ディープ・スロート
Deep Throat
監督ジェラルド・ダミアーノ
脚本ジェラルド・ダミアーノ
製作ウィリアム・J・リンクス
ルイス・ペライノ
フィル・ペライノ
出演者リンダ・ラヴレース
ハリー・リームス
ドリー・シャープ
ビル・ハリソン
公開 1972年6月12日
1975年8月16日[1]
上映時間61分
製作国 アメリカ合衆国
言語英語
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『ディープ・スロート』(Deep Throat)は、アメリカ合衆国で1972年夏に公開された成人映画、ハードコア。脚本・監督:ジェラルド・ダミアーノ、主演:リンダ・ラヴレース。アメリカ公開後に世界中の映画館で上映され、1970年代のポップカルチャーに影響を与えた。上映時間61分。
内容は、喉の奥に陰核がある[1]という設定の女性が登場する、ディープスロートをテーマにしたポルノ作品である[2][3]。
キャスト
リンダ・ラヴレース
ハリー・リームス
ドリー・シャープ
ルイス・ブッチ・ペライノによって製作された。制作費は2万2千から2万5千ドル(約550万円)[4]で、ブッチはその大半を父親のアンソニー・"ビッグ・トニー"・ペライノ
と叔父のジョー・"ザ・ホエール"・ペライノに頼んで出してもらった。監督のジェラルド・ダミアノは本名を出すのをはばかり、変名の「ジェリー・ジェラルド」としてクレジットされた。さらにダミアノはパーティーの場面で短時間現れる。クレジットに彼は「アル・ゴーク」と記述された。彼は収益に対する3分の1の権利を持っていたが、映画が大成功するとペライノらに取り分を踏み倒された。
主演のリンダ・ラヴレースは本作の大ヒットで、一躍ポルノ界の大物女優にのしあがったが、本作の出演料は1200ドルだったという。のちに出版した自伝では、夫のチャック・トレイナーが彼女を無理やり出演させ、さらに出演料を横取りしたとして非難している。
共演のハリー・リームスは、もともとも製作スタッフとして200ドルで雇われたのだが、100ドルの上乗せで映画にも出演することにした[5]。
リンダの夫チャック・トレイナーも撮影のマネージャーとして働いていた。一時は俳優として出演しようとしたが、カメラの前で勃起することができなかった。リンダ・ラヴレースとは1974年に離婚し、別のポルノスターのマリリン・チェンバースと浮名を流した。撮影場所には、ニュージャージーの某アパートの一室を使い、3日間で完成させた[4]。 映画は公開されると、その奇抜な発想がウケて[2]、ポルノ映画としては空前の大ヒットとなった[2]。当初はアメリカでもニューヨークやサンフランシスコなどの大都市以外では上映禁止になっており、海外配給も当時まだ数ヶ国にとどまっていたポルノ解禁国のスウェーデンとデンマークだけであった[2]。トータルの興行収入は約6億ドル、当時の円換算で2000億円近いとする、信頼性が怪しい説[6]もある一方、"ビッグ・トニー"がマフィアのコロンボ一家に所属していたためFBIがこの映画の利益を調査し、およそ1億ドル(当時300円強なので300億円強)の収入があったと推定している[7]。これは同時期の大作「ゴッドファーザー」の興行収入の1/3を超える金額である。 前述のように世界でもハードコアを解禁していた国(ポルノ解禁国)は多くはなく[2]、フランスでもハードコアが解禁されたのは1975年の4月だった[8]。日本ではそれをあえて東映系の洋画配給会社・東映洋画が買い付け、新興の会社として業界にひと泡吹かせてやろうという意気込んだ[2][3][9]。
公開
日本公開