ディーター・ブラウン
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ディーター・ブラウン
ディーター・ブラウン, 1975
グランプリでの経歴
国籍 ドイツ
活動期間1968 - 1977
チームスズキヤマハ
レース数112
チャンピオン125cc - 1970
250cc - 1973
優勝回数14
表彰台回数49
通算獲得ポイント904
ポールポジション回数0
ファステストラップ回数9
初グランプリ1968 125cc 西ドイツ
初勝利1969 125cc ユーゴスラビア
最終勝利1976 250cc ユーゴスラビア
最終グランプリ1976 350cc ドイツ
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ディーター・ブラウン(Dieter Braun 、1943年2月2日 - )はドイツウルム出身の元オートバイレーサーロードレース世界選手権で2度ワールドタイトルを獲得している。
目次

1 略歴

2 戦績

2.1 ロードレース世界選手権


3 脚注

略歴

1970年スズキのマシンで125ccクラスのタイトルを獲得。1973年にはヤマハの250ccで2度目のタイトルを獲得している[1]

ブラウンは、東ドイツGPが世界選手権から外れるきっかけとなったライダーとしても知られている。1971年の東ドイツGPで西ドイツ出身であるブラウンが勝利し、表彰台で西ドイツ国歌が流れた時、東ドイツの群集が合唱を始めたのである。この事態に危機感を覚えた東ドイツ政府は、翌年の東ドイツGPに西側諸国のライダーが出場することを制限した。その結果、東ドイツGPは世界選手権としての権利を失い、1973年からはグランプリのカレンダーから外されることとなった[2]

1977年のオーストリアGPでクラッシュし、この時の怪我により引退した[3]
戦績
ロードレース世界選手権

1950年から1968年までのポイントシステム

順位123456
ポイント864321

1969年から1987年までのポイントシステム

順位12345678910
ポイント1512108654321


凡例

ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。

年クラスマシン12345678910111213ポイント順位勝利数
1968125ccMZGER
4SPA
-IOM
-NED
5DDR
-CZE
4FIN
-ULS
5ITA
6117位0
1969125ccスズキSPA
-GER
2FRA
-IOM
-NED
-BEL
2DDR
-CZE
2FIN
4ITA
-YUG
1592位1
250ccMZSPA
7GER
-FRA
-IOM
-NED
6BEL
-DDR
-CZE
6FIN
5ULS
-ITA
-YUG
-2010位0
1970125ccスズキGER
-FRA
1YUG
1IOM
1NED
1BEL
-DDR


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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