ディンケルスビュール
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紋章地図
(郡の位置)

基本情報
連邦州:バイエルン州
行政管区:ミッテルフランケン行政管区
郡:アンスバッハ郡
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯49度04分13秒 東経10度19分04秒 / 北緯49.07028度 東経10.31778度 / 49.07028; 10.31778座標: 北緯49度04分13秒 東経10度19分04秒 / 北緯49.07028度 東経10.31778度 / 49.07028; 10.31778
標高:海抜 442 m
面積:75.16 km2
人口:

12,053人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:160 人/km2
郵便番号:91550
市外局番:09851
ナンバープレート:AN, DKB, FEU, ROT
自治体コード:

09 5 71 136
行政庁舎の住所:Segringer Strase 30
91550 Dinkelsbuhl
ウェブサイト: ⇒www.dinkelsbuehl.de
首長:クリストフ・ハンマー (Christoph Hammer)
郡内の位置

地図

ディンケルスビュール(ドイツ語: Dinkelsbuhl, ドイツ語発音: [?d??k?lsby?l][2])は、ドイツ連邦共和国バイエルン州ミッテルフランケンアンスバッハ郡に属する都市である。
地理

ディンケルスビュールは、フランケン地方南東部およびシュヴァーベン地方の北部にあるヴェルニッツ川沿いに位置する。この町のモットーである『川と草地のロマンティック』は、その特徴をよく表現している。

住民の大部分はアレマン語の一方言であるシュヴァーベン語を言語とするアレマン人が多い(アレマン諸語の最北端に属する)。
自治体の構成

本市は、公式には67の地区 (Ort) からなる[3]。このうち小集落や孤立農場などを除く集落を以下に列記する。

ベルンハルツヴェント

ボッツェンヴァイラー

ブルクシュタル

ディンケルスビュール

ゲルスブロン

ヘレンバッハ

ホーエンシュヴェルツ


ランゲンシュタインバッハ

ノイシュテットライン

オーバーラダッハ

ラートヴァング

ライン

ゼーグリンゲン

ザイデルスドルフ


ジンブロン

ジットリンゲン

ウンターヴィンシュテッテン

ヴァルデック

ヴァイデルバッハ

ヴォルフェルツブロン


歴史

ディンケルスビュールに初めて都市施設が作られたのは、1130年頃のことである。それはシュタウフェン家ヴェルフェン家とのローマ王位をめぐる争いの中で、シュタウフェン家の所領を結ぶ防衛拠点の一部として形成されたものであった。この都市は、元々カロリング朝時代に創られたヴェルニッツ川渡渉地点沿いの入植地を拡充させてできたのである。付近の森林地帯へは、フランク族が支配していた時代の後期、8世紀頃に入植が行われていた。

市壁は、防衛上の理由から円形に巡らされた(この内部を、以下「中核地区」と呼ぶ)。この痕跡は、現在の街でも明らかに見て取れる。それは、シュピタールガッセ、ウンテルン・シュミーツガッセ、フェーレンベルクガッセ、ヴェートガッセと一致するが、これらは、市壁の痕跡ではなくむしろその外側の濠の跡なのである。ディンケルスビュールのゲオルク教会

たとえばローテンブルク・オプ・デア・タウバーのような13世紀に形成された多くの他の街とは異なり、ディンケルスビュールには、街の中心に、長方形のマルクト広場がない。そのかわり漏斗状のワイン市場から北に36mも延びた市場通りが設けられている。この通りは、様々な取引や生産が行われた名残を伝えている。ワイン市場の他に、現在の旧市街内ゼークリンガー通りは、壺市場、パン市場、食用油市場などに分割して利用され、アルトラートハウスプラッツ(旧市庁舎広場)は家畜市場に、ネルトリンガー通りは皮革製品市場にそれぞれ利用されていた。旧市街の構造は、都市の拡張が14世紀から始まり、都市の中心地や経済中心が少し移動したことを示している。1499年には都市文化の精華を象徴するゲオルク教会の建設が完了した。街の景観は、これ以後基本的に変わっていない。ディンケルスビュールの中心街。左から3軒目がドイチェス・ハウス

ディンケルスビュールの経済的な最盛期は14世紀から15世紀であった。昔の市門の外側に外縁街(フォアシュタット)が形成された。おそらくは、ローテンブルガー門(北)、ゼークリンガー門(西)、ヴェルニッツ門(東)、ネルトリンガー門(南東)の順であったと推測される。ディンケルスビュール旧市街では、川という自然の防衛施設に取り囲まれたヴェルニッツ・フォアシュタットをのぞく形で、1372年から現在の市壁の建設が行われた。ローテンブルガー・フォアシュタットとネルトリンガー・フォアシュタットでは、それぞれ南北軸に並行した通り、北のバウホーフ通り、南のランゲガッセ(長小路)がフォアシュタットの開発のために設けられた。ヴェルニッツ・フォアシュタットは、建物が建て込んでいて狭くて、空き地のない実質的な地区であった。ローテンブルガー・フォアシュタットには火災発生の危険性が高い職種(鍛冶屋)が定住した。シュミーツガッセ(鍛冶屋小路)の東の地区にはシュピタールホーフ(病院兼宿屋)があり、固有の完結した建造物群を形成していた。このシュピタールホーフの建物は現在、老人ホームと歴史博物館に利用されている。田舎風のネルトリンガー・フォアシュタットには、市の水車用水濠があるため、染色工や革なめし業者が住んだ。建物がまばらであったローテンブルガー、ゼークリンガー、ネルトリンガーのフォアシュタットには織物工が住み着き、広場を設けることも定められた。市の外側には、カプチン会カルメル会修道院ドイツ騎士団の施設が設けられた。


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