ディベート
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この項目では、一般的な語義としてのディベートについて説明しています。

フジテレビで放送されていた深夜番組「The Debate」については「JOCX-TV2#1988年」をご覧ください。

フォードカーターによる大統領候補討論会(1976年)

ディベート(debate)とは、ある的な主題について異なる立場に分かれ議論することをいう(広義のディベート)。討論(会)とも呼ばれている。

ディベートは、語史としては古期フランス語の古フランス語中世フランス語-debatre-ドゥバート(「戦う」こと)が中期英語の古英語中英語に移入したもので(debaten)、ディベートという語のもつ語義は「相手を打ち負かそうと公式の場で」討論することであり[1]ディスカッション(discussion)や単なる議論とは異なるものを指すのであるが、一般にはこれらの区別なく「ディベート」ないし「討論」と呼ばれることが多い(最広義のディベート)。この語法は既に定着している部分もある[2]が、誤った使い方であるとの見方も根強い。

様々な教育目的のために行われる教育ディベート(educational debate)が、単に「ディベート」と呼ばれることもある(狭義のディベート)。特に、教育ディベート関係者の間では、「ディベート」といえば通常は教育ディベートを指す。

教育ディベートでは、その多くが説得力を競い合う競技の形で行われる。競技として行われるディベートを競技ディベート(competitive debate)という(最狭義のディベート)。多くの異なったスタイルがあり、目的に応じて選択される。

以下では、特に断りのない限り、広義のディベートを「ディベート」と呼ぶ。
歴史
古代ギリシア

議論・討論の技術の嚆矢としては、古代ギリシアにおいて、ソフィスト達によって教授されていた「弁論術」(レートリケー)や「論争術」(エリスティケー)、ソクラテスプラトンのような哲学者たちによって担われていた「問答法弁証法弁証術」(ディアレクティケー)等を挙げることができる。

これらは後に、アリストテレスによって、『オルガノン』や『弁論術』のような著作を通してまとめられ、古代ローマキケロ等へと伝えられ、西洋における技術の1つとして定着・継承されていった。
古代インド

古代インドにおいても、討論の伝統はあった。それは、王が宮廷にバラモン達を集め、牛などの賞品をかけて公開討論会を行うもので、『ウパニシャッド』に描かれているジャナカ王とヤージュニャヴァルキヤ等の話は特に有名である。

こうした伝統は、後にニヤーヤ学派によってまとめられ、インド論理学を生み出した。仏教もまた、特に中観派唯識派を通して、因明として、その伝統を引き継いでいる。
ディベート(広義のディベート)

ディベートとは、ある的な主題について異なる立場に分かれ議論することをいう。この定義から、ディベートは以下の2つの要素を持つ議論であるということが分かる。
公的な主題:公的な主題について行われる

意見の対立:異なる立場に分かれて行われる

ディベートの多くは、現実社会に何らかの影響を与えることを目的としておこなわれる(実質的意味でのディベート)。政治の分野における典型的な例としては、米国での大統領候補討論会、日本英国での党首討論がある。また、司法の分野における裁判も広義のディベートに含まれる。他方、現実社会への影響を何ら意図せず行われるディベートも多い(形式的意味でのディベート)。その典型的な例として教育ディベートが挙げられる。そのようなディベートは、古くは古代ギリシアの時代に見られる。代表的なソフィストであるプロタゴラスが、アテネでディベートの技術を教えていたという事実は示唆に富む。また、アリストテレスはディベートを含む議論全般を体系づけ、その成果である論理学修辞学が現代に到るまで広い分野に大きな影響を与え続けている。
ディスカッション・議論との相違

ディスカッションとディベートとは、意見対立の有無という点で異なる。ディスカッションとは、ある的な主題について議論することをいうが、それに加えてディベートでは当事者間の意見対立が前提とされる。例えば、ある公的なテーマについての単なる意見交換は、ディスカッションとしてならば成立する余地があるが、ディベートとしては成立しない。この帰結として、意見対立を何らかの形で解消する必要がある場合には、ディベートでは第三者に、ディスカッションでは当事者に、その役割が期待されることとなる[3]

なお、単なる議論では、通常、主題の特定は必要ないし、それが的なものである必要もない。また、意見の対立が前提されない議論も、議論と呼びうる。以上のことから、ディベートは、ディスカッションの一種であり、議論の一種でもあるともいえる。他方、ディベートとはいえないディスカッションや議論もあり得ることになる。
その他「ディベートではない」もの

ディベートでないものとして「口論」「詭弁」が挙げられることがある。このような議論は、ディベートが「口論の技術」ないし「相手をやり込める技術」を教えるものであり「詭弁家・ソフィストを作るものだ」などといった批判[4][5]への反論という形であらわれる。そこでは、理性的ないし論理的な議論のみがディベートとされ、ディベートに対する批判は「ディベートについての誤解」に過ぎないとされるのである[6]

しかし、このようなディベートの定義は、望ましい議論のあり方についての論点の先取りを含むもので妥当とはいえない[7]。ある議論が、ディベートであるか否かという事実的評価と、ディベートとして望ましいか否かという規範的評価は全く別の問題である。にもかかわらず、このような定義が呈示され続ける背景には、教育ディベートに対する批判があるものと考えられる[8]。なお、教育ディベートに対する批判については後述する。
ディベートと洗脳

苫米地英人によれば、ディベート技術は宗教や洗脳(マインドコントロール)に関連があり、カルト的な宗教集団のマインドコントロールを脱洗するさいにはディベートが有効であるとする[9]。ディベートの弁論技術はカトリックの教義の正当性を世界のあらゆる場所で立証するために発展してきた面があり、ディベートは脱洗だけでなく誘導の方法においては洗脳(マインドコントロール)を行う際の有効な手段になると指摘する。
現代的意味でのディベート(最広義のディベート).mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2022年2月)

ディベートとディスカッション、あるいはディベートと単なる議論とは厳密には意味内容が異なるものだが、これらを区別しないで「ディベート」ないし「討論」と呼ぶケースも@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}非常に多い。


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