ディディエ・ドログバ
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ディディエ・ドログバ


名前
本名ディディエ・イヴ・ドログバ・テビリー
Didier Yves Drogba Tebily
愛称英雄・ティト・フィジカルキング
ラテン文字Didier Drogba
基本情報
国籍 コートジボワール
フランス
生年月日 (1978-03-11) 1978年3月11日(42歳)
出身地アビジャン
身長189cm
体重91kg
選手情報
ポジションFW
利き足右足
ユース
1989-1991 アブヴィル
1991-1993 ヴァンヌ
1993-1997 ルヴァロワ
1997-1998 ル・マン
クラブ1
年クラブ出場(得点)
1998-2002 ル・マン 64 (12)
2002-2003 ギャンガン 45 (20)
2003-2004 マルセイユ 35 (19)
2004-2012 チェルシー 226 (100)
2012 上海申花 11 (8)
2013-2014 ガラタサライ 37 (15)
2014-2015 チェルシー 28 (4)
2015-2016 モントリオール・インパクト 33 (21)
2017-2018 フェニックス・ライジング 22 (14)
通算497 (210)
代表歴
2002-2014 コートジボワール104 (65)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年11月9日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ディディエ・イヴ・ドログバ・テビリー(Didier Yves Drogba Tebily, 1978年3月11日 - )は、コートジボワールアビジャン出身の元サッカー選手。元コートジボワール代表。ポジションはフォワード。愛称はティト(Tito)。

2度のアフリカ年間最優秀選手、2度のプレミアリーグ得点王など数々の栄誉を手にしたストライカー。コートジボワール代表の元主将であり、最多得点記録の保持者でもある。目次

1 経歴

1.1 クラブ

1.2 代表


2 エピソード

3 名前の発音

4 個人成績

5 コートジボワール代表歴

5.1 ゴール


6 タイトル

6.1 クラブ

6.2 個人


7 脚注

7.1 出典


8 外部リンク

経歴
クラブ コートジボワール代表でキャプテンを務めるドログバ

裕福な銀行員の家庭に生まれる。将来は医者か何かに、と父親がエリート教育を望んだため、5歳で生まれ故郷のコートジボワールを離れフランスへ。サッカー選手であった叔父の元で育てられた影響で、学問だけでなくサッカーでも頭角を現す。18歳までパリ郊外の地元チームに所属、19歳でル・マンUCとプロ契約し選手生活が始まる。しかし黒人であることから、チームメイトから「なんで黒人がフットボールなんてやってんだ?」と言われるなどし、差別が根強かったサッカー文化に絶望したこともあるという。

ル・マンでは怪我もあり満足な活躍ができず、2001-02シーズン途中からギャンガンに移籍、2002-03シーズンに17得点を挙げると注目され、マルセイユに5年契約で移籍。素早い順応を見せ、リーグで18得点を挙げ、2003-04シーズンのリーグ・アン最優秀選手に選出された。UEFAカップでも6ゴールを挙げて準優勝の原動力になった。チャンピオンズリーグで対戦した当時FCポルトモウリーニョ監督の目に留まり同監督とともにイングランドプレミアリーグチェルシーへ、同クラブ史上最高額の推定移籍金3600万ユーロで移籍した[1]

背番号を15番から11番に変更した2006-07シーズン、アンドリー・シェフチェンコの加入により出番が少なくなると思われていたが、2トップで使われる形が多くなることもありチェルシー加入3シーズン目で本領発揮、開幕から活躍を見せアフリカ年間最優秀選手に選ばれる。最終的に公式戦59試合出場33得点を挙げた。20得点を挙げてプレミアリーグ得点王となった。

2008-09シーズンに就任したルイス・フェリペ・スコラーリ監督の下では、怪我などにより控えに回る事が多く不発に終わったが、2009年2月に就任したフース・ヒディンク監督の下では、これまでにはなかったニコラ・アネルカとの2トップを組み、UEFAチャンピオンズリーグ2008-09ユヴェントス戦では1stレグ、2ndレグともにゴールを決めるなど、怪我からの復調を印象付ける活躍をみせ、改めてエースとしての存在感を見せつけた。2009年5月6日にスタンフォード・ブリッジにおいて開催されたUEFAチャンピオンズリーグ準決勝2ndレグ、FCバルセロナ戦において主審を務めたトム・ヘニンク・エブレベの判定に対して試合後に激しい批判を行い、後に行動が不適切であったとして謝罪した[2]。また、以前から慕っていた元チェルシー監督のジョゼ・モウリーニョを追ってインテル・ミラノに移籍するという噂がメディアの間で度々出ていたが本人がこれを否定、更にはチェルシーとの契約延長が決まった。

2009-10シーズンのアンチェロッティ監督の下では前シーズン得点王のニコラ・アネルカと2トップを組み、ゴールを量産。自身は「相手にとって最も怖いFWコンビになる」とコメントしている。2009年10月10日のマラウイ戦ではコートジボワールの2大会連続W杯出場を決める同点ゴールを挙げた。そして2010年5月9日、勝てば自力でのチェルシーの優勝が決まる最終節のウィガン戦でハットトリックを達成するなどチームを勝利に導き、リーグ通算29点を挙げ得点王も獲得した。


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