ディック・ヘクストール=スミス
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ディック・ヘクストール=スミス
Dick Heckstall-Smith
ディック・ヘクストール=スミス
基本情報
出生名Richard Malden Heckstall-Smith
生誕 (1934-09-26) 1934年9月26日
出身地 イングランド シュロップシャー州ラドロー
死没 (2004-12-17) 2004年12月17日(70歳没)
ジャンルブルースロックポスト・バップフュージョン
職業ミュージシャン
担当楽器サクソフォーンピアノクラリネット
活動期間1962年 - 2001年
共同作業者ブルース・インコーポレイテッド、グレアム・ボンド・オーガニゼーション、ジョン・メイオールコロシアム

ディック・ヘクストール=スミス[1](Dick Heckstall-Smith、1934年9月26日 - 2004年12月17日)は、イングランドのジャズとブルースのサックス奏者[2]。1960年代と1970年代の最も影響力のあるブリティッシュ・ブルースロックフュージョン・バンドのいくつかと共演した。
略歴
初期

ディック・ヘクストール=スミスはイングランドシュロップシャー州ラドローにあるロイヤル・フリー病院で生まれ[3]、ラドナーシャー州ナイトンで育ち、子供の頃にピアノ、クラリネット、アルトサックスの演奏を学んだ。ヨークボーディングスクールに通ったが、そこで2学期を拒否し、代わりに父親が地元のグラマースクールの校長職を引き受けたゴードンストウンに入学した[2]

ヘクストール=スミスは、ダーティントン・ホール・スクールで教育を修了した後、1953年からケンブリッジのシドニー・サセックス大学で農業を学び、大学のジャズバンドを共同で率いた[3]。15歳の頃、ダーティントンの時期にシドニー・ベシェの音に魅了されてソプラノサックスを演奏するようになった。その後、レスター・ヤングやテナーサックス奏者でビバップ・ジャズ・マンのワーデル・グレイが彼に大きな影響を与えたことがわかっている[4][5]
音楽キャリア1970年5月にドイツのデュッセルドルフで開催された合同ミーティング・フェスティバルでのディック・ヘクストール=スミスとコロシアム

ヘクストール=スミスは、1950年代後半からロンドンのジャズ・シーンに積極的なメンバーとして関わっていった(クラリネット奏者のサンディ・ブラウンが率いるバンドでの1957年12月からの6か月の期間を含む)[6]。1962年にアレクシス・コーナーの画期的なブルース・グループであるブルース・インコーポレイテッドに参加し、アルバム『R&B フロム・ザ・マーキー』をレコーディングした。翌年、彼はそのバンドからの離脱ユニットであるグレアム・ボンド・オーガニゼーションの創設メンバーとなった(ラインナップには、ブルースロックのスーパーグループとなるクリームの将来のメンバーであるベーシストのジャック・ブルースとドラマーのジンジャー・ベイカーも含まれていた)。

1967年、ヘクストール=スミスは、ギタリストでボーカリストであるジョン・メイオールのブルースロック・バンド、ブルースブレイカーズのメンバーとなった[3]。ジャズ寄りとなったバンドには、ドラマーのジョン・ハイズマン、ベーシストのトニー・リーヴス、そして後にローリング・ストーンズへ加入するギタリストのミック・テイラーも在籍していた。彼らは1968年にアルバム『ベア・ワイヤーズ』をリリースした[3]

1968年から1971年まで、ヘクストール=スミス、ハイズマン、リーヴスは、イギリスの先駆的なジャズ・ロック・バンドであるコロシアムのメンバーとなった[3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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