ディック・ブルーナ
[Wikipedia|▼Menu]

ディック・ブルーナ
2007年、自身のアトリエにて撮影
生誕ヘンドリック・マフダレヌス・ブルーナ
Hendrik Magdalenus Bruna
(1927-08-23) 1927年8月23日
オランダ ユトレヒト
死没 (2017-02-16) 2017年2月16日(89歳没)
オランダ ユトレヒト
国籍 オランダ
職業グラフィックデザイナー
絵本作家
配偶者イレーネ・ブルーナ
テンプレートを表示
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル 文学

ディック・ブルーナ(Dick Bruna、本名:ヘンドリック・マフダレヌス・ブルーナ(Hendrik Magdalenus Bruna)、1927年8月23日 - 2017年2月16日[1])は、オランダグラフィックデザイナー絵本作家ナインチェ・プラウス(ミッフィー)やブラック・ベアの生みの親として知られる。
生涯
少年時代

ブルーナは1927年ユトレヒト州ユトレヒト市で、出版社「A・W・ブルーナ&ズーン」(以下ブルーナ社)を経営する父アルバートと母ヨハナのもとに生まれる。

絵が好きなおとなしいタイプの少年で、いつもスケッチブックに絵を描いてはそれを大切にしていた。また、父が出版社を経営していたこともあって、さまざまな本に読み親しんだ。

中学に入ると、父の書棚にあったレンブラントファン・ゴッホの画集に触れ、鮮烈な色彩や画法に強い衝撃と感銘を受ける。そしてブルーナ社の専属デザイナーのもとで、絵の基本を学び、油絵を描くようになる。

また音楽にも興味を持ち、特にシャンソンに夢中になり、アコーディオンを手にし、演奏や作曲なども楽しんだ。

1945年第二次世界大戦が終了すると、画家になることを強く志望していたディックは、通っていた高校を辞める決意をするが、長男である息子を後継者にしたかった父と対立。その後「後継者の研修」をするのであればとの条件付きで、高校を退学する。
夢を追いかけて

退学した彼は、オランダの書店や、イギリスフランスの出版社に研修に出向き、出版のいろはを学んだ。研修の合間には、同じ画家志望の者と出会い、美術館や画廊を精力的にまわり、さまざまなインスピレーションを得る。

特にパリでは、フェルナン・レジェアンリ・マティスといった現代芸術家たちの作品に、ディックがそれまで抱いていた絵画のイメージを大きく覆すほどの強い衝撃とインスピレーションを受ける。そしてディック自身もスケッチブックを手に街の様々な風景をスケッチし、油絵にしていった。

20歳になったディックはオランダに戻り、父や祖父に改めて「自分は経営者には向いていない、アーティストになることを認めてほしい」ことを告げ、ディックを後継者にするつもりでいた父を説得し、これを了承。アーティストとしての道を歩むこととなる。

20歳以降の数年間、アーティストとしての方向性を探る日々が続いた。

本格的に絵を学んだことのなかったディックは、アムステルダムの国立美術アカデミーに入学するものの、方向性の違いから退学する。

その後、様々なアーティストの画法を研究し、アンリ・マティスや、レイモン・サヴィニャックカッサンドルたちの単純な輪郭や明解な色で構成されたシンプル、かつ訴求力のある作品を研究し、自らのデザインスタイルを確立させていった。

1951年、24歳になったディックは、イレーネ・デ・ヨングという女性と婚約し、2年後に結婚。またこの頃からブルーナ社の専属デザイナーとして働くようになる。
グラフィックデザイナーとして

ブルーナ社に入社したディックは、会社が発行するさまざまな書籍の装丁を任され、ジョルジュ・シムノンメグレ警部シリーズなどミステリー小説を中心に年間100冊もの装丁の仕事をこなす。

これらの装丁は、書籍のタイトルさえ分かればいいという、それまでの装丁の概念を覆し、パッと一瞬で引きつけるような、シンプルで斬新なデザインスタイルであった。

また、ブルーナ社のシンボルとしてデザインし直した「くま」がペーパーバックなどに使われ、そのくまに手を加えた「Zwarte Beertjes」(ブラック・ベア)が、読書週間のポスターなどに使用されるようになる。

1953年にイレーネと結婚。初の絵本「de appel」(りんごちゃん)を刊行する。
ナインチェ誕生

1955年になると、気軽に買えるペーパーバック「ブラック・ベア」シリーズがスタート。この頃には年間150冊もの装丁を手がけ、同時に宣伝用のポスターなども多数手がけた。

またこの年、「nijntje」(ナインチェ)という、うさぎを主人公とした字のない絵本を刊行。当時子供向けの本といえば、写実的な描写が主流で、デ・ステイルをはじめ現代芸術運動の流れを汲む(当時としては)斬新でモダンなキャラクターたちに、大人たちは「子供には理解できない」と敬遠していたのだが、シンプルな線と明解な色彩は子供たちの支持を得た。

1959年、それまでの絵のタッチや本の形を変え、色には『ブルーナカラー』と呼ばれる黄色を使い、以前に刊行した「りんごちゃん」を描き直し、加えて新しく描かれた「こねこのねる」「きいろいことり」「ぴーんちゃんとふぃーんちゃん」などが現在見られるような正方形の絵本となって刊行。

1963年には、「ナインチェ」を新たに描き直し、各国語に翻訳される。日本でも1964年石井桃子の訳により「ちいさなうさこちゃん」として刊行され、多くの子供たちに支持を受けた。

その後もコンスタントに絵本を発表し、人気絵本作家としての地位を確実に築いていった。
独立後ディック・ブルーナ・ハウス(後のナインチェ・ミュージアム)

1971年アムステルダムにディックの著作権を管理するメルシス社を友人のピーター・ブラティンガとともに設立。そして創作に専念したいとの思いから、1975年にブルーナ社を退職する。

独立後、社会福祉関係の仕事にも力をいれ、障害者向けの案内記号、歯の健康、献血、赤十字などの公共広告のポスター、デザインを数多く手がけた。

また創作のみならず、様々な場所で子供たちに絵本を読み聞かせるイベントを行い、常に子供たちの目線で見つめ、考えて、それらは創作の情熱にもなった。

日本においても、「うさこちゃん」「ミッフィー」として、その愛くるしいキャラクターたちは、オランダに負けないほどの人気を博す。また1998年には、郵政省(現・日本郵政)の「ふみの日」切手のデザインを提供した。

2006年2月には、「ディック・ブルーナ・ハウス(dick bruna huis)」がユトレヒト市のセントラル・ミュージアム横に開館し、ディックの作品が常設展示される。2016年2月に「ナインチェ・ミュージアム(nijntje museum)」に改称された[2]

毎日自転車でユトレヒトのスタジオに通って創作活動を続けたが、2011年に高齢のため引退したと2014年7月に報じられた[3]

2017年2月16日、ユトレヒトにて老衰で死去[4]。満89歳没。
作品の特徴と影響ロッテルダムにあるブルーナの手形

パブロ・ピカソアンリ・マティスフェルナン・レジェデ・ステイルなどに影響を受けた、パッと一瞬で引きつけるようなシンプルな線と明解な色彩「ブルーナカラー」で独自のスタイルを確立。ブルーナカラーには、緑色黄色、後年には、ぞうの色を付ける灰色、そして、くまや、犬を描くための茶色が付け加えられた。


作品に登場するキャラクターは、ゾウ、鳥、魚などわずかな例外を除いては、基本的に全てカメラ目線(顔を読者側に向けている)か後ろ姿で、横顔になっているカットがない[5]。画面を横方向に歩いている場面においても、キャラクターはたいていカメラ目線(現実的に考えればよそ見)である。これには「キャラクターたちはいつも、本と向き合っているあなたのことを見ている」という、ブルーナの深い愛情が込められている。


ブルーナに影響された人物には、五味太郎佐藤可士和[6]等がいる。

出版物
書籍・作品集

Paradise in Pictograms?the world of Dick Bruna(
1989年、メルシス社、Ella Reitsma著)
(邦訳:ディック・ブルーナの世界?パラダイス・イン・ピクトグラムズ、1991年駸々堂出版今江祥智訳)

Petit Glam Issue no. 3?Paradise in Pictograms Issue. (1998年、プチグラパブリッシング)

Dick Bruna boekomslagen.(1998年、Jansen Bert著)

ディック・ブルーナのすべて(1999年講談社

ディック・ブルーナ展 ミッフィー、ブラック・ベア、そのシンプルな色とかたち(2003年朝日新聞社、展覧会図典)

ディック・ブルーナ ぼくのこと、ミッフィーのこと(2005年、講談社)

dick bruna(2006年, Waanders Publisher, Joke Linders著)

みづゑのレシピ ディック・ブルーナさんの絵本のつくりかた(2007年美術出版社

ディック・ブルーナのデザイン(2007年、新潮社

ミッフィー誕生55周年記念「ゴーゴー・ミッフィー展」公式図録(2010年、朝日新聞社)

ZWARTE BEERTJES?Book Cover Design by Dick Bruna ブラック・ベア―ディック・ブルーナ 装丁の仕事(2015年、Glyph.編、フリーライド)

ミッフィーからの贈り物 ブルーナさんがはじめて語る人生と作品のひみつ(2015年、講談社)

ディック・ブルーナ ミッフィーと歩いた60年(森本俊司著 2015年 ブルーシープ、2019年 文藝春秋)

別冊太陽 ディック・ブルーナ ミッフィーの魅力、再発見(2015年平凡社

誕生60周年記念 ミッフィー展 60 years with miffy 展覧会図録(2015年、朝日新聞社)

シンプルの正体 ディック・ブルーナのデザイン(2017年、ブルーシープ)

MOE特別編集 プルーナが語るミッフィーのすべて(2017年、白泉社)

ディック・ブルーナ 永遠のデザインとことば[7](2022年、KADOKAWA

dick bruna: zijn werken voor prentenboeken ブルーナ絵本展(展覧会公式図録 2024年、朝日新聞出版)

絵本

以下の年はすべてオランダ語原書の出版年。■は先述のブルーナの書籍と作品集で日本語による仮題が設けられている絵本を指す。日本では未刊行。
1953年


■りんごぼうや(初版) de appel

■フォーレンダムのトト toto in volendam

1955年


■ちいさなうさこちゃん(初版) nijntje

■うさこちゃんとどうぶつえん(初版) nijntje in de dierentuin

■おうさま(初版) kleine koning

1957年


■ティス tijs

■じどうしゃ de auto

1959年


de appel(りんごちゃん第2版 舟崎靖子訳、講談社)(りんごぼうや(改訂版) 松岡享子訳、福音館書店)

きいろいことり(het vogeltje, 石井桃子訳、福音館書店

こねこのねる(poesje nel, 石井桃子訳、福音館書店)

ぴーんちゃんとふぃーんちゃん(fine en pien, 石井桃子訳、福音館書店)

1962年


ふしぎなたまご(het ei, 石井桃子訳、福音館書店)

おうさま(改訂版) (de koning, 松岡享子訳、福音館書店)

さーかす(circus, 石井桃子訳、福音館書店)

ちいさなさかな(de vis, 石井桃子訳、福音館書店)

1963年


ちいさなうさこちゃん(改訂版)(nijntje, 石井桃子訳、福音館書店)

うさこちゃんとうみ(nijntje aan zee, 石井桃子訳、福音館書店)

うさこちゃんとどうぶつえん(改訂版)(nijntje in de dierentuin, 石井桃子訳、福音館書店)

ゆきのひのうさこちゃん(nijntje in de sneeuw, 石井桃子訳、福音館書店)

クリスマスってなあに(KERSTMIS, 舟崎靖子訳、講談社)

1964年


ようちえん(de school, 石井桃子訳、福音館書店)

de matroos(ちいさなふなのりのぼうけん 舟崎靖子訳、講談社)(ふなのりのやん 松岡享子訳、福音館書店)

1966年


シンデレラ(ASSEPOESTER, 角野栄子訳、講談社)

■おやゆびこぞう KLEIN DUIMPJE

あかずきん(ROODKAPJE, 角野栄子訳、講談社)

しらゆきひめ(SNEEUWWITJE, 角野栄子訳、講談社)

1967年


ABCってなあに(b is een beer, 小林悦子監修、講談社)

1968年


じのないえほん(boek zonder woorden、石井桃子訳、福音館書店)

かぞえてみよう(1?12)(tellboek, 舟崎靖子訳、講談社)

1969年


わたしほんがよめるの(ik kan lezen, 松岡享子訳、福音館書店)

もっとほんがよめるの(ik kan nog meer lezen, 松岡享子訳、福音館書店)

こいぬのくんくん(snuffie, 松岡享子訳、福音館書店)

くんくんとかじ(snuffie en de brand, 松岡享子訳、福音館書店)

1970年


うさこちゃんひこうきにのる(nijntje vliegt, 石井桃子訳、福音館書店)

うさこちゃんのたんじょうび(het feest van nijntje, 石井桃子訳、福音館書店)

1972年


かぞえてみよう(13?24)(tellboek 2, 舟崎靖子訳、講談社)

しろ、あか、きいろ(mijn hemd is wit, 松岡享子訳、福音館書店)

■わたしのくにのどうぶつ dieren uit ons land

どうぶつ(dieren uit andere landen, 松岡享子訳、福音館書店)

1974年


じのないえほん2(boek zonder woorden 2, 福音館書店)

ぼくがいっぱい(ik ben een clown, 舟崎靖子訳、講談社)

1975年


うさこちゃんとゆうえんち(nijntje in de speeltuin, 石井桃子訳、福音館書店)

うさこちゃんのにゅういん(nijntje in het ziekenhuis, 石井桃子訳、福音館書店)

■はなのほん bloemenboek

1976年


ひとりでできるよ(ik kan nog veel meer lezen, 舟崎靖子訳、講談社)

■むずかしいことばもよめるの ik kan moeilijke woorden lezen


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:43 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef