ディズニーランド_(テレビ番組)
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『ディズニーランド』(Disneyland)は、アメリカ1954年から1958年まで、その後はタイトルやネットワークを変更しながら2008年まで放送されたテレビ番組。日本では1958年8月29日から1972年4月30日まで日本テレビ系列で放送されていた。
番組概要

ウォルト・ディズニー・プロダクション制作の一時間番組。ウォルト・ディズニー・スタジオが初めてテレビ界に提供した作品として有名である。世界初のディズニーパークであるディズニーランドの事業資金を確保し、またウォルト・ディズニー自身が構想する魔法の王国を広く知らせる目的で企画された紀行番組であった。初期はウォルト自らが出演し、「未来の国」「おとぎの国」「冒険の国」「開拓の国」の4つの国のうちから、ティンカー・ベルが妖精の粉を振りかけた一つの国をとりあげ、それに関連した内容を紹介するものであった。

アメリカではABCで1954年10月27日に放送開始。司会はウォルト・ディズニー[1]。1955年にはプライムタイム・エミー賞のバラエティ/音楽/コメディ番組(シリーズ)部門で作品賞を受賞している。ディズニーパークのディズニーランドが開園した際には、俳優のロバート・カミングスロナルド・レーガン、パーソナリティのアート・リンクレターらを迎えて生放送のスペシャルが組まれた。1958年には『Walt Disney Presents』と改題。1960年にはNBCへ移行し『Walt Disney's Wonderful World of Color』と改題した。1966年にウォルトが死去した後はしばらく司会が置かれず、1969年に『The Wonderful World of Disney』と改題した。その後、放送時間の変遷とともに視聴率が低下すると、ディズニー側は放送局の要求にこたえるべく、近代的なロゴデザインで『The Wonderful World』と改題し、主題歌などのリニューアルを行った。1981年にはCBSへ移行し『Walt Disney』と改題するも2年で終了。

そして3年半のブランクを経た後に、1986年にABCにて『The Disney Sunday Movie』という2時間番組として復活。久々に司会が置かれ、マイケル・アイズナーが務めた。しかし視聴率競争で厳しい戦いを強いられ、3年後には1時間番組『The Magical World of Disney』としてNBCに移行、さらに2年後にはディズニーチャンネルに移行し1996年まで続いた(このチャンネルでの放送終了をもって、アイズナーも司会を降板)。1997年にはABCへ移行し(前年には、ディズニーがABCを買収している)、再び『The Wonderful World of Disney』のタイトルで放送。そして2008年12月24日放送分をもって、54年におよぶシリーズの放送を終了した。
日本での放送

日本では、「三菱ダイヤモンド・アワー」と題された三菱電機による一社提供であった。[2] 金曜20:00(放送開始 - 1968年2月16日)→日曜19:00(1968年4月7日 - 1969年9月21日)→日曜10:00(1969年10月5日 - 1970年3月29日)→日曜14:30(1970年4月19日 - 放送終了)に放送された。[3]

なお、放送開始当初は2週間に一度の放送(隔週編成)で、『日本プロレス中継』との入れ替わりで放送された。この「入れ替わり放送」については、日本テレビが、当時人気があった『日本プロレス中継』を、特別番組という形から毎週放送するレギュラー番組にすることで視聴率を稼ごうとしていたのに対し、スポンサーである三菱電機が『ディズニーランド』との入れ替わり放送を強く求めたためである、といわれている。なお、『ディズニーランド』は、1968年1月に『日本プロレス中継』の視聴率が『TWWAプロレス中継』(TBS)よりも下回ったことを受けての緊急会議により、2月16日を以って金曜20:00における隔週放送が終了し[4]4月の『ディズニーランド』枠移行後は、双方の番組はそれぞれの時間帯で毎週放送されるようになった。

後述の放送リストにあるように、内容は常に新作ではなく、再放送も頻繁に行われていた。当時のラテ欄の番組紹介では、再放送の場合でも取り上げていることがあった。[5]

第1回から第195回までは原則的にモノクロ放送で、例外的に一部の回で「素晴らしいカラーの世界より」と銘打ちカラー放送が行われた。1966年3月18日放送の第196回から原則的にカラー放送に移行した。番組最高視聴率は、1963年1月11日放送の43.7%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)[6]
放送一覧詳細は「ディズニーランド (テレビ番組)の放送一覧」を参照
日本版での声の出演

(50音順)

愛川欽也

青野武

今西正男

臼井正明

大平透

大宮悌二

小沢栄太郎

小山田宗徳(ウォルト・ディズニー役)

川久保潔

喜多道枝

木下秀雄

黒澤明

黒沢良(司会)

桑原毅

小林修

里見京子

佐原妙子

沢井正延

高橋和枝

滝口順平

多田美佐子



中沢すみ江

納谷悟郎

西桂太

野沢雅子

羽佐間道夫

久松保夫

北条美智留

坊屋三郎

増岡弘

舛方勝宏

松島トモ子

御木本伸介

宮部昭夫

三輪勝恵

矢島正明(ナレーター)

矢田耕司

和久井節緒



映画

ディズニーの宇宙旅行(原題:Man in Space

アメリカでは1955年3月9日に放送。日本では1957年8月7日に公開[7]、配給は大映[8]。日本語版ナレーターを秋山雪雄が務めた(ウォルトの声優は不明)[7]
ディズニーランド・ストーリー


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