ディズニーランド
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東京ディズニーランド」、「ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート」、「ディズニーランド・パーク (パリ)」、「上海ディズニーランド」、あるいは「香港ディズニーランド」とは異なります。

この項目では、アメリカ合衆国カリフォルニアにあるテーマパークについて説明しています。その他の用法については「ディズニーランド (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ディズニーランド
Disneyland


施設情報
テーマディズニー
キャッチコピーThe Happiest Place on Earth
事業主体ウォルト・ディズニー・カンパニー
管理運営ディズニー・エクスペリエンス
ディズニーランド・インク
面積37万m2
来園者数1866万人
開園1955年7月17日
所在地 アメリカ合衆国カリフォルニア州アナハイム
公式サイトdisneyland.disney.go.com/destinations/disneyland/
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ディズニーランド・パーク(英語: Disneyland)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州アナハイムにあるディズニーパークディズニー・エクスペリエンスが運営している。ディズニーランドの上空写真(2004年)
別称

他のディズニーランドと混同が起こるため、ディズニーのファンから元祖ディズニーランド、カリフォルニアディズニーランド、アナハイムディズニーランドなどの非公式名称で呼ばれることも多い。
概要

アメリカのカリフォルニア州ロサンゼルス近郊のアナハイム市の南西部に位置し、1955年にオープンした。現在世界中でウォルト・ディズニー社が運営するディズニーパークのうち最初に建設された。マスコットキャラクターはミッキーマウス

中心となるディズニーランドを含む複数のテーマパークホテル、ショッピングモールなどを含む「ディズニーランド・リゾート」の一部をなす中心的存在である。

オープン以降現在に至るまで、アメリカ国内のみならず、世界で最も有名でかつ利用客の多いテーマパークであり、1975年には、アメリカを国賓として訪問した昭和天皇皇后も訪れた[1]他、ジャワハルラール・ネルーモハンマド・レザー・パフラヴィーをはじめ、ロサンゼルスを訪れた各国の王族や首脳が数多く訪れることでも有名である[2]
歴史
建設計画ウォルト・ディズニー(左)
ヴェルナー・フォン・ブラウン(右)

ウォルト・ディズニーは、遊園地で楽しいのは子どもだけで大人にはベンチ位しか居場所がなかった1923年の実体験から、大人と子どもの両方が楽しめ、恒久的な娯楽施設の建設を計画した。その際、ディズニーが参考にしたのは、カリフォルニア州オークランドに1950年に作られた、最初の子供用遊園地「チルドレンズ・フェアリーランド」と、デンマーク1843年に作られた遊園地チボリ公園である。

最初の計画では、カリフォルニア州のディズニー社のスタジオの隣に8エーカー(32,000 m2)の土地を取得し、蒸気鉄道をメインとしたパークを建設する予定であった。これはウォルトが子供の頃、鉄道模型を買ってもらえなかったのが理由とされている。当初の目的はディズニー社の社員の娯楽施設だった。
建設開始設計図を見るウォルト・ディズニー(中央、1954年

第二次世界大戦後、当初の計画は大幅に拡張され、より広い土地が必要であることが判明した。1950年代初め、事業資金を入手する困難に直面したディズニーには、新たな資金源の開拓が必要となった。ウォルト・ディズニーはテレビを利用することを決め、彼の構想する魔法の王国を各家庭に売り込むことを図り、1954年から『ディズニーランド』と題された番組がABCにより放送された[3][4]

この際に「自分の制作したものはたとえ一部分たりとも他社に所有権を与えない」という「禁」を破り、ABCに遊園地の一部所有権を与え、契約金75万ドルを得た(後に豊かになったディズニーがこの一部所有権を買い戻した)。

スタンフォード大学の研究員の示唆により、ディズニーは計画中の遊園地のために、初めの計画の22倍に相当する160エーカー(730,000m2)の用地を、1エーカーあたり4000ドルでロサンゼルス近郊のアナハイムに取得した。

この土地は当時オレンジ畑とクルミ畑であったが、一年を通して好天に恵まれている上に、連邦ハイウェイ101(現在の州間高速道路5号線)の建設が予定されており、将来の発展と交通の便が見込まれる土地であった。

1954年7月21日に着工されて以降、ウォルト・ディズニーは建設現場にほぼ毎日訪れ、屈んで子供の視線になって、様々なアトラクションや各種施設が出来上がっていくのをチェック、建物や木々の配置の変更を自ら作業員に指示していたという逸話が残されている[4]
オープン

1955年7月17日に正式オープンとなり、ウォルト・ディズニー本人をはじめ[5]、カリフォルニア州知事とカトリック教会の司祭、プロテスタント牧師、ユダヤ教の指導者がスピーチを行ったほか、フランク・シナトラも来場した。この日のオープンの模様は先述のテレビ番組『ディズニーランド』でアメリカ中に生中継され、約9000万人が視聴した[6]。ディズニーは、当日のスピーチにおいて、ディズニーランドは「大人はかつての記憶を懐かしみ、若者は未来への挑戦と約束を味わう」場所であり、「世界中の喜びと創造力の源泉になるという願いを込め、アメリカを築き上げた理想と夢と揺らがぬ事実に捧げられている」と、そのコンセプトを述べた[5]。同番組では、俳優のロバート・カミングスロナルド・レーガン(後のカリフォルニア州知事、およびアメリカ合衆国大統領)、パーソナリティのアート・リンクレターらが出演し、オープンの様子を伝えた[6]

オープン当日は猛暑になった上に、パーク内の多くはまだ建設中であったこともあり、ガス漏れからウォーターディスペンサーの故障まで様々なトラブルが相次いだ。さらにオープン当初はジャングルクルーズ蒸気船マーク・トウェイン号など、11種類のアトラクションしかなかった上に故障も頻繁に起きたため、初日の様子はキャストから「ブラックサンデー(黒い日曜日)」[7]、メディアからは「ナイトメア(悪夢)」と称された[6][8]

また、入場券の偽造や場内への無断侵入などにより[7][9]、収容人数15,000人に対して2倍近くの28,000人以上が来場した[6][7][9]
1950年代後半-1960年代

その後も順調に来客者数を増やし、1956年に「オムニバス」、「ホースレスキャリッジ」、「トムソーヤ島いかだ」、「スカイウェイ」、「おとぎの国のカナルボート」がオープン、1958年に「不思議の国のアリス」、「帆船コロンビア号」がオープン[10]TWA・ムーンライナーの更新が行われたほか、1959年には「ディズニーランド・アルヴェーグ・モノレール(現:ディズニーランド・モノレール)」や「サブマリン・ヴォヤッジ」、「トゥモローランド・オートピア」[10]などの、その後人気を博すアトラクションが追加されるなど複数のアトラクションが追加、更新された。また、同年に1500万人目のゲストが来園した[10]

なお、モノレールはその後数回にわたり車両の更新が行われており、2020年現在は5世代目の車両となっている。またサブマリン・ヴォヤッジは1998年に一時改装のため閉鎖されたが、その後映画『ファインディング・ニモ』の要素が追加されてファインディング・ニモのサブマリン・ヴォヤッジとして再オープンした。

1959年にアメリカを初訪問したソビエト連邦の最高指導者であるニキータ・フルシチョフは、大使館員からディズニーランドの存在を聞き訪問を強く希望したものの、保安上の観点からシークレットサービスに訪問を拒否された。これに怒ったフルシチョフは、歓迎晩餐会の挨拶の場でこの事に対する苦情を述べた。1963年のディズニーランド
1960年代

1963年に「魅惑のチキルーム」などオーディオ・アニマトロニクスを導入したアトラクションがオープン[10]

1965年には開園から10周年を迎えた。その後5年と10年ごとにアニバーサリー企画が催され、園内が華やかに飾られる他、ゼネラルモーターズなどのスポンサーによる自動車などの入園プレゼント企画も提供された。また、同年に「ウォルト・ディズニー・ストーリー/リンカーン大統領の演説の感動」がオープン[10]

1966年には1964年からニューヨーク州で開催されたニューヨーク万国博覧会からイッツ・ア・スモールワールドがファンタジーランドに移設されてオープン。ニューオーリンズ・スクエア、「カリブの海賊」も同年にオープンした[10]

1969年に「ホーンテッド・マンション」などがオープン[10]

その他、1960年代には、同じく移設されたピープルムーバーがグッドイヤーのスポンサーの元でトゥモローランドにオープンした。さらにディズニーランド・モノレールの路線を延長することで園内と直結した、初の直営ホテルであるディズニーランド・ホテルが開業した。
1970年代

1970年代には、ティーンエイジャー以上の年代の若者の取り込みを目的に、当時若者を中心に人気を集めていたジェットコースター的なアトラクションの充実が図られ、スペース・マウンテンビッグサンダー・マウンテンを始めとする、その後もディズニーランドのアイコン的人気を得ることになるアトラクションが追加された。

1972年に「メインストリート・エレクトリカルパレード」がスタート[10]

1976年に1億5000万人目のゲストが来園[10]


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