ディスペンセーショナリズム
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契約時期分割主義福音派の源流の一つ 
ディスペンセーション主義


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歴史
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関連項目
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ディスペンセーション主義(ディスペンセーションしゅぎ、: Dispensationalism)神の人類に対する取り扱いの歴史(救済史)が、七つの時期に分割されるとする神学。この名称の由来は、救済史における一連の「dispensation(経綸、天啓法)」についての理解から来ている。契約時期分割主義、天啓史観、経綸主義[1]とも言われる。ディスペンセーション主義と対極をなす見解に契約神学がある。
目次

1 特徴

2 七つの契約時期

2.1 1.無垢の時代

2.2 2.良心の時代

2.3 3.人間による統治の時代

2.4 4.約束の時代

2.5 5.律法の時代

2.6 6.恵みの時代

2.7 7.御国の時代


3 重要性

4 歴史

4.1 パウロの記述

4.2 19世紀イギリス

4.3 19世紀アメリカ

4.4 20世紀

4.5 20世紀日本

4.6 21世紀日本


5 脚注

5.1 注釈

5.2 出典


6 参考文献

7 関連書籍

特徴

神の計画における、
イスラエルと教会の分離。イスラエルは地上的神権政治的存在であり、教会は霊的普遍的存在になると考える。

旧約聖書の文字通りの解釈に基づいている。

教会の時代は、来るべきユダヤ的千年王国との間に、挟まれた挿入であり、旧約聖書に預言によって示されていた奥義であると考える。千年王国の到来によって、地上より教会は取り除かれると考える。

パレスチナの相続、神殿の復興、ダビデ王朝における異邦人世界の統治など、イスラエルに関する旧約聖書の預言が文字通り成就すると考える。

ヨハネの黙示録福音書の終末に関する記述は、全て教会に関する終末論ではなく、イスラエルに対する神の計画としての終末論と考える。

七つの契約時期

ディスペンセーション神学が主張する、七つの契約時期
1.無垢の時代

天地創造からアダムエバエデンの園追放までの時代。

人間は無垢の状態で創造された。しかし、罪を犯した結果、霊的な死、罪の知識、神からの交わりの喪失がもたらされ、エデンの園からアダムとエバが追放された時にこの時代は終わった。
2.良心の時代

創世記3章7節から8章19節までの洪水の前までの時代。

善悪を知るようになった人間は、自分の良心に基づいて生きるように、与えられていた神の知識に基づいて生きるように要求されていた。しかし、人間の邪悪さが極まったので、神は洪水によって人間を滅ぼすことになった。
3.人間による統治の時代

洪水後から、神が人間を地の前面に散らされるまでの時代。

人間は肉を食べることが許されるなど、それまでとは違った、生活が始まった。人間が神の権威に対抗して、バベルの塔を建てたことによって、神は人間の言語を混乱させて、人間の文明は散り散りにされた。
4.約束の時代

アブラハムの召しから、モーセに律法が与えられた時までの時代。

このディスペンセーションはイスラエル人だけのもので、異邦人は前の時代のままである。イスラエルにはモーセに啓示された、神の約束を信じる責任が与えられた。
5.律法の時代

モーセの律法が与えられた時から、ペンテコステのまでの時代。

それまで、イスラエルの民はモーセに律法に支配されていた。神の祝福は、イスラエル人が律法に服従することを条件にしていた。しかし、民は律法を破り、偶像礼拝を行ったために、イスラエル王国は二つに分裂して、北イスラエル王国はアッシリアに、南ユダ王国は新バビロニアへ捕囚になった。さらに、イスラエルはメシヤとしてこられたキリストを拒絶したので、神のさばきをもたらし、エルサレムは崩壊して、イスラエルの民は全世界に離散した。
6.恵みの時代

キリストの死と復活から始まって、現在も継続しており、携挙で終わる時代。

この時代には、人間に課せられた責任は、キリストを受け入れ、聖霊に導かれて歩むことである。救いは信仰のみによることが明白にされた時代である。

恵みの時代はパウロが書簡を書き始めた時から始まったとする、ウルトラ・ディスペンセーション主義と呼ばれる立場もある。
7.御国の時代

キリストの再臨をもって始まる時代、地上における人間生活最後の千年間の時代。

この時代に、ダビデに約束された御国が建てられる。イスラエル国が回復して、回心する、千年の間、国々の長、また、祭司の国として復活する。御国の時代における人間の責任は、主としてキリストに服従することである。この時代は、サタンが縛られ、悪霊どもの活動が阻止される。
重要性

高木慶太によると、ディスペンセーションの重要性は、聖書を適用する際に必要性があると主張する。例えば、今の信仰者に対しては、恵みの時代に生きる者に対して書かれた部分だけを直接適用すべきであり、他の時代に人々にあてて書かれた部分は、霊的教訓や原則を学ぶことはできても、それを直接引用することはできない。旧約聖書の教えがわれわれに当てはまると考えたり、キリストが公生涯で言われたことは、「律法の時代」の教えであり、すべて恵みの時代に当てはまるということは間違った聖書解釈であると主張する。また、キリストが「悔い改めて、契約の民として御国にふさわしい生き方をせよ」(マタイ10:5-7,15:24)といわれたのは、「御国の福音」であり、「恵みの福音」とは区別される。[2]
歴史
パウロの記述

使徒パウロは,自分自身の使徒性を弁明する際に、自分自身を「異邦人のための使徒」と呼んでいた。 あるディスペンセーション主義者はこのことがディスペンセーション主義の根拠であるとしている。また、ディスペンセーション(天啓法)の用語もパウロにさかのぼることができる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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