ディスプレイ_(コンピュータ)
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ノートPCのディスプレイ(左)と外付けディスプレイ(右)(2017年)同サイズを2台並べる使用法iMacのディスプレイ上でソフトウェア開発中。(2016年)ノートパソコンの液晶ディスプレイ(右)とUSB接続の小型増設ディスプレイ(左)(2008年)2008年のTFT液晶ディスプレイ。このころの一般的なアスペクト比(横と縦の比)は4:3。1990年代後半?2000年代前半に販売されたブラウン管(CRT)式ディスプレイ(左)(2008年に撮影)

コンピュータの分野でディスプレイ(: display)とは、文字図形画像、映像(動画)などを表示する装置[1]。モニタ (: monitor) ともいう[2][3][1]
概要

コンピュータの出力装置のひとつである[3][1]

画像を表示する方法には以下のようなものがある。

液晶ディスプレイ (LCD)

有機ELディスプレイ (OLED)

プラズマディスプレイ (PDP)

マイクロLEDディスプレイ(英語版)(mLED、Crystal LED Displayなど。)

ビデオプロジェクタ

ブラウン管 (CRT)

このうち、ビデオプロジェクタは、デジタルミラーデバイス (DMD) や液晶パネルの映像をレンズで拡大表示するものが多い。

デスクトップパソコン向けの単体のディスプレイ装置は、かつては、ほとんどがブラウン管式であった。しかし、1990年代後半から液晶ディスプレイが普及し、2007年頃までにパソコン専用のCRTの生産はほとんど行われなくなった。

ビデオ信号はビデオ表示回路(ビデオカードなど)で生成発生され、少なくとも一つ以上の表示規格を満たす。規格には画面サイズ(表示領域の大きさ、表示画素数では無いことに注意)、発色数、水平および垂直方向の走査周波数、信号インターフェースの電気的特性などがあり、これらのいくつかは互いに関係しあう。

コンピュータディスプレイは、他に「ビデオ表示端末」(VDT) とも呼ばれる。

パソコン専用の単体のディスプレイ装置(ブラウン管・液晶とも)については、パーソナルコンピュータ (PC) 本体とともに、「資源の有効な利用の促進に関する法律」の適用を受けることになり、メーカーによる回収・リサイクルが制度化された。詳しくはパーソナルコンピュータ#電子ごみ問題とリサイクルを参照のこと。
解像度など
解像度詳細は「画面解像度」を参照

ディスプレイに表示される総画素数。「ヨコ × タテ」のように掛け算の書式で表現することが一般的である。 おもに1920×1080 (Full-HD) 。1世代前や小型のものでは1024x768など。高精細な2048×1536 (QXGA) 、3840×2160(フルUHD)、3940×2160 (4K) などが使われることもある。

ディスプレイ解像度とPC側の設定を食い違う状態にし拡大または縮小処理させると文字がぼやけて見づらくなるので、PC側の設定をディスプレイの解像度に合致させて用いるのが望ましい。
リフレッシュレート詳細は「リフレッシュレート」を参照

リフレッシュレートとは、表示画像を「リフレッシュ」つまり書き換える頻度。表示の書き換え頻度。1秒間に何回描き換えるか、ということ。単位はヘルツHz)。リフレッシュレートがあまりに低いと「ちらつき」が感じられるようになり見づらくなる。解像度を上げるほどリフレッシュレートの上限は低くなる関係にある。
アスペクト比詳細は「画面アスペクト比」を参照

画面の横と縦の長さ(あるいは画素数)の[4]。一般的には「横:縦」のように「:」をつかう書式で表記する[4]。たとえば解像度が640×480ピクセルの場合アスペクト比は「4:3」と表記するなど、互いに素整数の比で表示することが一般的。まれに縦を「1」に固定して「1.33:1」などと表示することもある[4](つまり「4:3」と「1.33 : 1」は同じアスペクト比である)。

ブラウン管ディスプレイのアスペクト比は4:3が主流だった。液晶ディスプレイのほうは、1990年代はおもに4:3や5:4(1280×1024ドット)だったが、2000年代半ばから16:10のワイド画面が特に家庭向けで多くを占めるようになり、さらに2008 - 2009年ころにデジタルハイビジョン放送・薄型テレビと同じアスペクト比である16:9が主流になった。
応答速度詳細は「応答時間」を参照
液晶パネルの種類詳細は「液晶ディスプレイ#液晶パネルの種類(アクティブ・マトリクス駆動)」を参照
グレアとノングレア詳細は「液晶ディスプレイ#多様な技術」を参照



サブピクセルアンチエイリアス技術

LCD等、ディスプレイ技術によっては、原理的に色のレジストレーションずれ(RGB各色の輝点の中心が完全にはそろわないこと)がある。このため、色によって、輝点の中心が異なる事になる。2001年頃から、ソフトウェア設計者が鮮明なテキストイメージを表示するためにこのレジストレーションずれをうまく利用しはじめた。その例としてマイクロソフトClearTypeアドビのCoolTypeがある。macOSでもQuartzにより同等の機能が実装されている。

人間の目が、輝点の位置の認知については鋭敏だが、色については鈍感であることを利用し、文字表示についてのみ実際の画面解像度以上の解像度を擬似的に利用することが可能である。以前から、同様の技法として、ジャギーの周囲に、周辺色との混色を配置するアンチエイリアシングが存在したが、この手法を、1ピクセル以下の領域で行うのがクリアタイプである。ただし日本語文字フォントではこの機能は働かない場合がある。

ディスプレイの解像度が低すぎてイタリック表示ができない場合でも、文字を移動させればイタリック表示になりうる。見かけ上ピクセルの何分の一かの移動は、その分の時間軸を遅延させることにより実現できる。
VESAマウント

VESA規格で定められたディスプレイ取り付け基部。モニターアームとの接続に使用する。
画面回転(ピボット)機能

液晶ディスプレイの一部には画面を90度回転し縦長の状態で使用できる製品がある。縦長な印刷物の制作などに適している。ただし回転させるとサブピクセルの配列の見え方が異なるため、細かい文字等の表示に違和感が生じたり、上記のようなサブピクセルレンダリング技術は適切に動作しない。

ピボット機能をもつ液晶ディスプレイはスタンドに回転機構が備わっているが、そうでないディスプレイでも別売のモニターアームなどを使って回転させることができる。

OS側を画面回転に対応させるために、かつては専用のユーティリティソフトウェアを使用する必要があったが、近年ではビデオカードのドライバやOS自体にその機能が含まれており特別なソフトウェアをインストールすることなく対応できる場合が多い。

CRTモニタでは、奥行きが大きいため縦長画面にして安定的に設置できる場合がある[※ 1]アーケードゲーム移植した縦スクロールシューティングゲーム等では縦長表示に対応しているものがあった。
ディスプレイの歴史

ディスプレイの歴史について説明するにあたりディスプレイの前史、ディスプレイが無かった時代のコンピュータの出力装置にも軽く触れておくと、古いほうから並べると豆電球を並べたもの、紙テープせん孔装置(Tape punch)、紙カードせん孔装置[5](Card punch)、テレタイプ端末などが使われていた。

コンピュータにディスプレイが使用され始めたのは1960年代のことであり、IBMUNIVACRCA等の米国メーカーが先行し、その後に日本のコンピューターメーカーがそれに追従した。

当初はベクタースキャン方式のディスプレイとラスタースキャン方式のディスプレイが別系統のディスプレイとして別々に存在していて、ベクタースキャン方式のディスプレイは主に幾何学図形を表示するのに使いラスタースキャン方式のディスプレイは主に文字を表示するのに使う、などという役割分担が設定されていた時代がある。

文字表示のためのディスプレイの初期段階はVDTであったわけだが、VDTが登場した当時は、それまで一般的であったテレタイプ端末と比較・類比され「ガラスのテレタイプ端末」などと呼ばれた。この段階のVDTはブラウン管(CRT)方式でしかも基本的な文字類(アルファベット・数字・記号)しか表示できずグラフィクス表示機能を持たなかった。文字表示に関しては欧米ではアルファベット数字といくつかの記号の表示のみで充分だと考えられていたが、日本ではカタカナの表示機能も必要だと考えられそれが追加され、さらにはひらがな漢字の表示の機能を追加していった。それと平行して図形、画像を表示するディスプレイが開発され、最終的には文字、図形、画像のいずれも表示できるディスプレイに発展した。
CRT(ブラウン管)技術

コンピュータディスプレイが開発されはじめた1950年代1960年代は、CRT(Cathode Ray Tube : 陰極線管、またはブラウン管ともいわれる)の時代であった。

CRT自体は(今から120年以上前の)1897年にドイツ人科学者Karl Ferdinand Braunによって発明され、古くからオシロスコープ等の測定器やレーダー等で使用されていたが、テレビ放送やテレビ受像機というものが考案され、その受像機の実際の生産が1930年代にドイツ・フランス・イギリス・アメリカで始まり急激に大量生産されるようになっていた。

図形を表示するためのベクタースキャン方式のコンピュータディスプレイにはオシロスコープの描画の原理を応用し、ラスター方式のコンピュータディスプレイには基本的にはテレビ受像機の技術を応用してゆくことになった。
IBMのディスプレイの歴史

コンピュータ関連の歴史を振り返る場合、IBMの製品の歴史は特に重要なのでここで触れておく。en:Category:IBM display devicesも参照のこと。

en:IBM 780 (1954年 - 1959年)。(en:IBM 740用のディスプレイ)

en:IBM 2250(1964年 -)

IBM 2260(1964年 -)

IBM 3101(1979年- )

en:IBM 3196

IBM 3270(1971年 - )

IBM 5250(1977年 - )

ベクタースキャンディスプレイ1970年発売のen:Imlac PDS-1で3次元迷路を描画したものテクトロニクス社のTektronics 4014でアメリカの州のマップを描いたところ

ベクター・スキャン・ディスプレイは基本的にはオシロスコープと同様の原理で描画する。偏向板と呼ばれる金属板が2組あり、それにかける電圧によって左右方向への曲がる量および上下方向への曲がる量をコントロールできる。コンピュータディスプレイの場合は、コンピュータからベクトル(線分)を表現したデータ群を受けとり、それを図形やグラフ(ベクターイメージ)として表示する。ベクタースキャンディスプレイは「ベクター・グラフィック・ディスプレイ」とも呼ばれた。

1963年には、マサチューセッツ工科大学のアイバン・サザランドがベクターグラフィックディスプレイを使うSketchpadというCADの先駆的プログラムを開発した。

初期のものはCRT画面に仮想格子点を設け、その格子の交点から別の交点へ電子ビームを走査してベクトルを表示する方式であった。その後、半導体メモリが低価格で供給されるようになり方式が変わっていき、各格子点に対応してメモリ(カラーや濃淡を表す場合は複数ビット)を割り当て、ベクトルデータを演算して表示する格子点のメモリに記憶させる方式となっていった。@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output .mod-gallery-left{float:left;margin-right:1em}.mw-parser-output .mod-gallery-right{float:right}.mw-parser-output .mod-gallery-none{float:none}.mw-parser-output .mod-gallery-collapsible{width:100%}.mw-parser-output .mod-gallery .title,.mw-parser-output .mod-gallery .main,.mw-parser-output .mod-gallery .footer{display:table-row}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div{display:table-cell;text-align:center;font-weight:bold}.mw-parser-output .mod-gallery .main>div{display:table-cell}.mw-parser-output .mod-gallery .gallery{line-height:1.35em}.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div{display:table-cell;text-align:right;font-size:80%;line-height:1em}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div *,.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div *{overflow:visible}.mw-parser-output .mod-gallery .gallerybox img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important}

1959年に製造開始されたDECのPDP-1ブラウン管式でベクタースキャン方式のグラフィックディスプレイ

AT&TのBell telephone magazineの1967年1-2月号[6]に掲載された写真。

1969年に富士通が開発したグラフィックディスプレイF6233は米国Westinghouse社(en:Westinghouse)から輸入した22インチ円形で表示面がフラットなCRTを使用し、画面上に4,096×4,096の格子点を設けコンピュータからのデータをもとに格子点から別の格子点への線分を表示して図形を表現し、線分データは仮想格子上の位置と縦方向と横方向の長さデータで構成され、リフレッシュ・メモリとして最大16K語のコアメモリを使用し、約8,000本の線分を表示することが出来た。ロケットの設計や軌道計算、列車ダイヤの編成、自動車の設計や科学計算の結果表示等に利用された。同時に富士通が開発したグラフィックディスプレイF6232はテレビ型の17インチCRTを使用、仮想格子点は1,024×1,024でリフレッシュメモリは4K語のコアメモリを使用、約2,000本の線分を表示した[7]

グラフィックディスプレイは先端科学技術分野から次第に商業・生産等のビジネス分野へと応用範囲が広がりローコストで簡易な製品が求められた。1973年に富士通が開発したグラフィックディスプレイF9530は線分表示用のメモリとしてスキャンコンバータ管[8](当初はThomsonCSF社製を、次にRCA社製を輸入し、最終的には富士通社内で生産した)を使用した。


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