ディオンヌ・ワーウィック
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ディオンヌ・ワーウィック
Dionne Warwick
2018年
基本情報
出生名Marie Dionne Warwick
生誕 (1940-12-12) 1940年12月12日(83歳)
出身地 アメリカ合衆国 ニュージャージー州イーストオレンジ
ジャンルポップス、ポップ・ソウル
職業歌手
活動期間1963年 - 現在
レーベルScepter
ワーナー
アリスタ
コンコード
ライノ
公式サイトOfficial Site

ディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick、本名 Marie Dionne Warrick マリー・ディオンヌ・ワーリック、1940年12月12日 - )はアメリカのポップス歌手

Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第79位[1]

2024年4月21日、米国・Rock & Roll Hall Of Fameより、2024年度『ロックの殿堂 ミュージカル・エクセレンス・アワード』の受賞が発表された[2]
来歴

バート・バカラック作品を多数歌唱したシンガーである。またワーウィックの母方の叔母がシシー・ヒューストン(ホイットニー・ヒューストンの母)。姉妹は、共にR&Bシンガーのディー・ディー・ワーウィック(英語版)(2008年10月死去)、ジュディ・クレイ(英語版)(義理の姉妹。2001年7月死去)。オペラ歌手のレオンタイン・プライスが母方のいとこと、親族に歌手が多い。

ニュージャージー州イーストオレンジ出身。ハートフォード音楽大学(英語版)に於いて主専攻で音楽教育、副専攻でピアノを専攻する。ニューヨークのレコーディングスタジオでバックコーラスやデモ歌手をしている時に作曲家のバカラックと出会い、大学卒業後に歌手として本格的に活動を始め、1963年にデビュー。63年の「エニワン・フー・ハッド・ア・ハート(英語版)」は、ビルボード8位まで上昇し、彼女にとって最初のトップ10ヒットになった[3]1964年に「ウォーク・オン・バイ」のヒットで脚光を浴び、1967年に「あなたに祈りをこめて」のヒットを放ってからは、「サン・ホセへの道(英語版)」、「恋よ、さようなら」など、スタンダードとして親しまれている、バカラック=ハル・デヴィッド作品で多くのヒットを放った。USAフォー・アフリカにてウィ・アー・ザ・ワールドを歌う

1974年スピナーズとの共演で「愛のめぐり逢い(英語版)」がNo.1になったが、その後の数年間はスランプ状態に陥った。しかし、1979年バリー・マニロウのプロデュースによる「涙の別れ道(英語版)」が久々のヒット曲となりグラミー賞を受賞。1980年代に入ると1982年バリー・ギブ制作に依る「ハートブレイカー(英語版)(Heartbreaker)」がヒット、同曲を収録したアルバム『ハートブレイカー』はノルウェーのアルバム・チャートで10週連続1位を獲得した[4]1985年にはUSA for AFRICAウィ・アー・ザ・ワールドに参加するなどの活躍を見せる。1986年にはバカラックと、キャロル・ベイヤー・セイガーのライティングコンビによるグラディス・ナイトエルトン・ジョンスティーヴィー・ワンダーとの共演作「愛のハーモニー(That's What Friends Are For)」をディオンヌ&フレンズとしてヒットさせた。

2006年、自身のヒット曲をカバーしたCD『マイ・フレンズ・アンド・ミー?バート・バカラックへの想い』を発売。グロリア・エステファングラディス・ナイトオリビア・ニュートン=ジョンシンディ・ローパーらと共演した。

2008年、ゴスペル集『Why We Sing』を発売。ゲストは妹のDee Dee、他 BeBe Winance 等。ゴスペル集は1969年の『Soulful』についで2度目である。

2013年3月21日、ニュージャージー州の破産裁判所に自己破産を申請。負債総額は1070万ドル余り。
グラミー賞受賞歴

1968年 「サンホセへの道」Do You Know The Way To San Jose 女性ベスト・ポップ・ヴォーカル賞

1970年 「
恋よ、さようなら」I'll Never Fall'in Love Again 女性ベスト・ポップ・ヴォーカル賞

1979年 「涙の別れ道」I'll Never Love This Way Again 女性ベスト・ポップ・ヴォーカル賞

1979年 「デ・ジャ・ヴ」DeJa Vu 女性ベスト・R & B ・ヴォーカル賞

1986年 「愛のハーモニー」That's What Friends Are For 年間最優秀曲賞 / ベスト・ポップグループ賞(エルトン・ジョングラディス・ナイトスティーヴィー・ワンダーによるカバー)

日本公演

1972年
4月 初来日を果たす。前年予定されたが来日直前に胆石を患い延期となった。芝・郵便貯金ホール東京厚生年金会館渋谷公会堂、他大阪公演等

1973年
6月 4日?6日 東京厚生年金会館 7日 広島郵便貯金ホール 8日 大阪フェスティバルホール 9日 名古屋市公会堂

1974年
9月 21日 渋谷公会堂 22日 札幌厚生年金会館 23日 中野サンプラザ 24日 東京厚生年金会館
25日(クラブ)ゴールデン月世界(東京) 26日 ロイヤルホテル・ディナーショー(大阪)
27日 京都会館第一ホール、クラブ・京都ベラミ 28日 帝国ホテル・ディナーショー

1976年
4月1日、3日 東京厚生年金会館 5日 広島公会堂、広島・月世界
6日 大阪厚生年金会館 7日 芝・郵便貯金ホール
8日 熊本 9日 大分 10日 宮崎 11日 鹿児島 12日 久留米
13日 中野サンプラザ、(クラブ)ゴールデン月世界 14日 (クラブ)ゴールデン月世界

1980年
4月 第9回東京音楽祭でグランプリ受賞、及び単独公演1回 4月1日

1983年10月16日 NHKホール

1987年11月9日 東京厚生年金会館、11日 キャピトル東急ホテル、13日 中野サンプラザ、14日 大阪フェスティバルホール、15日 名古屋市民会館

1988年 Dionne with Burt Bacharach9月12日,13日,14日 中野サンプラザ、21日 大阪フェスティバルホール

1990年4月11日 神奈川県民ホール、13日,14日 中野サンプラザ、18日 ゆうぽうと簡易保険ホール


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