ディエゴガルシア島
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ディエゴ・ガルシア島[1]
ディエゴガルシア島の地図、
1980年、中央情報局作成
所在地 イギリス領インド洋地域
所在海域インド洋[1]
所属諸島チャゴス諸島[1]
面積36[1] km²
最高峰25m[1]
OpenStreetMap
プロジェクト 地形
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ディエゴガルシア島(ディエゴガルシアとう、英語: Diego Garcia)はインド洋イギリス領インド洋地域チャゴス諸島にある環礁である。
概要不朽の自由作戦アフガニスタンに向かうディエゴガルシア基地のB-1 (航空機)、2001年10月7日

宗主国のイギリス政府によって、島全体がアメリカ合衆国貸与されており、同国の海軍基地「ディエゴガルシア海軍支援施設(英語版)」がある。施設は英軍も常設統合作戦基地(Permanent Joint Operating Base:PJOB)「イギリスインド洋地域軍(英語版)」を設置する形で共同使用している[2]

インド洋にあるアメリカ軍最大の拠点であり、湾岸戦争アフガニスタン攻撃イラク戦争の際に、B-52戦略爆撃機B-2ステルス爆撃機などがここより出撃した。アメリカの軍事戦略上の要衝である。
歴史ディエゴガルシア島の位置

16世紀の初期にポルトガル人によって発見され、「ディエゴ・ガルシア島」と名付けられた。当時は無人であったが、その後18世紀フランス人が入植して黒人奴隷を導入し、ココヤシ栽培とコプラ生産のプランテーションの経営を始めた。

1814年にイギリスが占領。モーリシャスの一部として統治されていたが、1965年にモーリシャスから分離され、新たに画定されたイギリス領インド洋地域の一部となった。

1966年にイギリスは、アメリカ合衆国による防衛目的での使用を50年間(終了の通知がない場合はさらに20年間)認める協定を結んだ。1968年からは、離島者の帰島を禁じる、制限された食料や医療しか与えない、ペットを殺害する等の方法で同島から島民の追い出しが図られ、1973年頃には、残った者たちが強制的にモーリシャスやセイシェルに向かう船に乗せられ、移住させられた。移住を余儀なくされた島民がイギリス政府を相手に同島への帰還と補償等を求めて訴訟を起こし、係争中である(2004年現在)。

2016年12月30日、アメリカ合衆国による使用協定の期限を迎えたが[3][4]、終了の通知がなかったため、規定に従って2036年まで貸与が延長された。ただし、モーリシャス政府はチャゴス諸島の返還後も改めて島をアメリカに貸与することを公言しているため、2036年以降も住民が帰還できるかは未知数である[5]

1970年代にアメリカ軍は、ディエゴガルシア島の基地拡張に乗り出し、空港は戦略爆撃機の離着陸を見据えて滑走路を4000m級に拡張したほか、港湾は空母原子力潜水艦の補給が可能なレベルにまで整備した[6]

2019年2月25日、国際司法裁判所は、1965年にイギリスがモーリシャスからディエゴガルシア島を含むチャゴス諸島を分離して「イギリス領インド洋地域」に編入した措置について「国際法に照らして違法である」という見解を示し、チャゴス諸島の統治を「可能な限り速やかに終える義務がある」と勧告した。ただし、この勧告に法的拘束力はない[7]

2020年、B-2戦略爆撃機が配備される。既に2003年段階でB-2用のシェルターが整備されていた[8]
地理ディエゴガルシア島(衛星画像:右が北)、2003年

面積は36km2でチャゴス諸島中最大、チャゴス諸島の南端に位置する環礁である。島の西部に4,000m級の軍用の滑走路が一本ある。環礁のため平坦であり、丘陵・山地はない。

島および周辺の海域にはタイマイアオウミガメオオグンカンドリアカアシカツオドリクロアジサシ、インドヒメクロアジサシ(英語版)などが生息しており、2001年7月に島の一部がラムサール条約登録地となった[9]

ディエゴガルシア島の海岸、2004年

ディエゴガルシア島の沼沢地、2005年

ディエゴガルシア島のベニノジコ(英語版)(紅野路子、Foudia madagascariensis)♂、2007年

ディエゴガルシア島の住民、1971年

気候

ケッペンの気候区分では熱帯雨林気候(Af)に属する。

ディエゴガルシア島の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)33.9
(93)33.9
(93)35.0
(95)35.0
(95)32.9
(91.2)35.0
(95)32.2
(90)32.2
(90)32.2
(90)32.0
(89.6)32.7
(90.9)33.3
(91.9)35.0
(95)


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