ディアボーン
市
Dearborn
フォード・モーター世界本社、愛称:グラスハウス
標語: Home Town of Henry Ford[1]
ウェイン郡内の位置
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}ディアボーンアメリカ合衆国内の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯42度18分52秒 西経83度12分48秒 / 北緯42.31444度 西経83.21333度 / 42.31444; -83.21333
ディアボーン(Dearborn)は、アメリカ合衆国ミシガン州南東部、ウェイン郡に位置する都市。デトロイトの西に隣接する。人口は9万5884人(2013年推計)。
ディアボーンはヘンリー・フォードを生んだ地であり、またフォード・モーターが本社を置く地でもある。ディアボーンにあるフォードのリバー・ルージュ工場は、初期にはフォード・モデルTを、また1960年代にはフォード・マスタングを生産していた。全盛期には、この工場は120,000人の従業員を抱えていた。 この地に最初のヨーロッパ人入植地が設けられたのは1786年のことであった[5]。ディアボーンの村は1836年に設立された。村の名は独立戦争における将軍で、第3代大統領トーマス・ジェファーソンの下で第5代陸軍長官を務めたヘンリー・ディアボーンにちなんでつけられた。1929年には、デトロイトへの吸収合併を避けたフォードソンとの合併が成立し、現在の市域が確立された。当時の2つの町の間には未開発の地域が多く、現在でも部分的に開発が進まないままで残っている。 古くは一面の農地だったこの一帯の土地を購入したヘンリー・フォードは、この地にフェア・レーンという自らの邸宅やフォード・モーターの本社を建てた。1925年には、全米最初の近代空港の1つであるフォード空港が設置され、シカゴとの間の便が就航した。このフォード空港は、1947年にデトロイト・メトロポリタン・ウェイン・カウンティ空港が開港するまで使用された。その後、この空港はフォードの試験場に転用された。 ディアボーンは北緯42度18分41秒 西経83度12分49秒 / 北緯42.31139度 西経83.21361度 / 42.31139; -83.21361
歴史
地理ルージュ川とミシガン州道39号線
市内にはルージュ川が流れている。ヘンリー・フォードの屋敷の敷地内では、ルージュ川には人工の滝が設けられ水力発電がなされていた。ルージュ川の3本の支流はディアボーンで合流する。ルージュ川はリバー・ルージュ工場の近くでは船舶の航行のために人工的に川幅を広げられ、運河として整備されている。 ディアボーンを含むデトロイト都市圏の玄関口となっている空港はデトロイト・メトロポリタン・ウェイン・カウンティ空港(IATA: DTW)である。6本の滑走路を有する全米有数の大空港であり、またデルタ航空(旧ノースウェスト航空)のハブでもある同空港には、全米のみならず、太平洋路線や大西洋路線を含む国際線も多数発着する。 デトロイト都市圏をカバーする高速道路網はディアボーンも通っている。市の南東には州間高速道路I-94
交通
アムトラックのディアボーン駅にはシカゴとデトロイト北郊のポンティアックを結ぶ中距離列車、ウォルバリン号が停車する。シカゴ方面にはアナーバーやカラマズーを、ポンティアック方面にはデトロイトのダウンタウンを通る。ウォルバリン号はシカゴからグランドラピッズへ向かうペレ・マーケット号、ポートヒューロンへ向かうブルー・ウォーター号とあわせて、ミシガン線(Michigan Services)と呼ばれる3本の中距離列車のうちの1つである。 ディアボーンにはミシガン大学ディアボーン校がキャンパスを置いている。同校はアナーバーの本校やフリント校とあわせて、ミシガン大学システムを形成する3つの州立大学のうちの1つである。同校は約8,000人の学生を抱えている。 ディアボーンのK-12課程は西に隣接するディアボーンハイツ市の一部も含めて、ディアボーン公立学区の運営下にある公立学校によって支えられている。同学区は3校の主要な高等学校を含む34校の公立学校を抱えている。 ディアボーンは歴史的にアイルランド系、ドイツ系、およびポーランド系の住民が多く住んでいる。彼らは19世紀中盤から20世紀初頭にかけてこの地に移入してきた移民の子孫である。またディアボーンには、アルメニア系の住民も多い。彼らの多くは、オスマン帝国が崩壊したときに渡米してきた難民とその子孫である。一方、黒人人口率が総人口の約8割に達する東隣のデトロイトとは異なり、アフリカ系の住民は少ない[6]。 そして、現代のディアボーンにはアラブ系住民の巨大なコミュニティができている。ディアボーンにおけるアラブ系アメリカ人の人口は、全米でもニューヨークに次ぐ大きさで、ディアボーンの30倍以上の人口を有するロサンゼルスよりも多い[7]。ディアボーンにおけるアラブ系住民は約30,000人を数え、総人口の33.4%に達する。また、アラビア語を第一言語とする住民は総人口の29.3%を占める。最初のアラブ系住民は1900年代中盤、ディアボーンの自動車工場で働く労働者として移入してきたレバノン系のキリスト教徒であった。
教育
人口動態イスラミック・センター・オブ・アメリカ