ディアブラーダ
様式的起源スペイン風文化
ボリビア: 1世紀のオルロ地方の住民ウル族(英語版)の行事を起源に持ち、1904年に振付師ペドロ・パブロ・コラレスがオルロで披露したのが近代での始まり。ペルー: 1576年のルパカ王国で行われた行事を起源に持ち、1892年に音楽バンド,シクリス・デル・バリオ・マニャソが披露したのが近代での始まり。
使用楽器シンバル, バスドラム, トランペット, チューバ, サンポーニャ, ケーナ, その他、地域により異なる。
サブジャンル
Diablada Punena.
関連項目
フォルクローレ
2009年、オルロのカーニバルでのディアブラーダのダンサー
ディアブラーダ(DiabladaまたはDanza de Diablos)は南アメリカアンデスの高原アルティプラーノの伝統的ダンス。「ディアブラーダ」は「悪魔の踊り」を意味する。ダンサーは、けばけばしい悪魔のマスクと衣装で踊りながら行進する[1][2]。この踊りはスペイン植民地時代に始まり、聖母に屈服した悪魔をイメージしたものである[3]。 ディアブラーダの起源はいくつか異説がある[4]。発祥の地としてボリビアとペルーの2説がある。ボリビアとペルーはアンデス山脈を挟んだ隣同士であり、アンデス文明圏の国である。スペインから来た宣教師は土地の住民に対し、天使と悪魔に見立てた芝居がかった踊りを見せることで、いわゆる七つの大罪の教えを説いた。その踊りが地元の踊りを取り入れたものだったので、結果としてスペインとアンデスの文化が融合したものとなった。 ボリビアのオルロのカーニバルは、2001年、ユネスコにより「人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言」がなされたが(2009年に無形文化遺産リストに記載)、その際にこれは今のオルロに住んでいたウル族
目次
1 歴史
2 舞踊形式
3 関連項目
4 脚注
5 参考文献
6 外部リンク
歴史
現在のペループーノ県にあたるアルティプラーノでチチカカ湖周辺にあるジュリ(英語版)に住むルパカ族(英語版)が1576年に始め、その他のスペイン領アメリカに広まったとする説もある[7]。
いずれにせよ、ディアブラダは長い時間をかけて南アメリカ各地で独自の発達を遂げ、その形も様々なものとなった。有名なものに、プーノのディアブラダ(英語版)やオルロのディアブラダ(英語版)などがある[8][9]。
舞踊形式 聖ミカエルに導かれる舞踏団
ディアブラダの踊りはシクリと呼ばれる楽団を伴う。アルティプラーノ地方のディアブラダはバンドやオーケストラを伴う。舞踏のステップや衣装も様々なものが工夫されており、場所も道路などの外や劇場やアリーナなど様々である。舞踏団の先頭はルシファーやサタン、女鬼(China Supay)である。それに続いて七つの大罪である傲慢、色欲、憤怒、暴食、嫉妬、強欲、怠惰の悪魔を模した行列が続く。また、ブラウス、短いスカート、剣、盾で装った聖ミカエルが天使の集団を率いていく。天使と悪魔の一団は踊りながらクロスや円に並ぶなどのマーチングを行う。マーチングは聖ミカエルの一団が悪魔の一団を打ち破るというストーリーで進んでいく。ディアブラダのコスチュームは豪華であり、重くもある。