テヴェレ川
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テヴェレ川
テヴェレ川とサンタンジェロ城
延長405 km
平均流量230 m³/s
流域面積17,374.996 km²
水源フマイオーロ山
水源の標高1,268 m
河口・合流先ティレニア海
流域 イタリア
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テヴェレ川の流路

テヴェレ川(テヴェレがわ、Tevere)は、イタリアで3番目に長い
概要

エミリア・ロマーニャ州アペニン山脈からトスカーナ州ウンブリア州を経由し、ラツィオ州ティレニア海に注いでいる。流域面積は17,374.996km2でイタリアで2番目である。

テヴェレ川はモンテ・フマイオーロの近隣にある二つの泉を水源としている。水源の周辺にはブナ林が広がっている。ベニート・ムッソリーニは、1930年代に、その水源とされる場所に、頂点にが象られた、大理石で作られた古風なローマ様式を立てた。その柱には、ここがテヴェレの生まれた場所であるという意味の文字が刻まれている。

ヨシ原沼地森林に囲まれる中流部の貯水池のナッツァーノ湖(イタリア語版)は1976年にラムサール条約登録地となった[1]。また、尖角状三角州を河口に形成している事でも有名である[2]

ムッソリーニ時代にモンテ・フマイオーロに建てられたテヴェレ川の水源

テヴェレ川からバチカンを見る

ローマとテヴェレ川

ローマ市内を流れていることで有名な河川で、中州にはティベリーナ島(Tiberina、面積2.4km2)がある。

古代ローマ時代には「澄んでいない川」を語源とするティベリス川(Tiberis flumen ラテン語)と呼ばれていた。日本語では、西欧諸語経由などで表記のゆれが激しく、イタリア語(Tevere)経由によるテーヴェレ川・テベレ川、英語(Tiber)経由によるティベル川、タイバー川、チベル川など、さまざまな表記がある。

ローマ皇帝ティベリウスなど古代ローマ時代の男性個人名「ティベリウス」や、イタリア人の個人名「ティベリオ」は、この川の名前に由来している。

伝説では、ローマの創始者であるロムルスが双子の弟レムスと共にこの川に流された事になっている。

2000年代には正月の行事として、市内のカブール橋から飛び込みが行われることが定番化している[3]
ティベリーナ島

テヴェレ川唯一の中洲には、ティベリーナ島がある。

ティベリーナ島

川に降りる階段

脚注[脚注の使い方]^ “Lago di Nazzano 。Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (1999年1月1日). 2023年4月19日閲覧。
^ “尖状三角州(世界大百科事典第2版)”. 平凡社. 2023年1月3日閲覧。
^ “新年定番、川へ飛び込み! 伊ローマ”. AFP (2023年1月2日). 2023年1月3日閲覧。

関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、テヴェレ川に関連するカテゴリがあります。

ミルヴィオ橋

サンタンジェーロ橋(イタリア語版)

アニエーネ川

イタリアの地理

クロアカ・マキシマ

ジョルダーノ・ブルーノ - 処刑後、遺灰はテヴェレ川へ投げ捨てられた。

オスティア港 ‐ 河口部にあった古代の港。


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