『テンペスト』(英: The Tempest)は、英国の劇作家ウィリアム・シェイクスピア作の戯曲。「テンペスト」は「嵐」を意味し、日本では『あらし』の題名でも上演される。シェイクスピア単独の執筆としては最後の作品と言われる。
シェイクスピアが書いた中でも人気の高い作品で、2012年のロンドン・オリンピック開会式では、物語の舞台となる魔法の島を模したセットで作品の一部が朗読されるなど重要な役割を果たした[1][2]。
あらすじプロスペローとエアリエル
(画)ウィリアム・ハミルトン
ナポリ王アロンゾー、ミラノ大公アントーニオらを乗せた船が大嵐に遭い難破、一行は絶海の孤島に漂着する。その島には12年前にアントーニオによって大公の地位を追われ追放された兄プロスペローとその娘ミランダが魔法と学問を研究して[3]暮らしていた。船を襲った嵐はプロスペローが復讐のため手下の妖精エアリエルに命じて用いた魔法(歌[4])の力によるものだった。
王の一行と離れ離れになったナポリ王子ファーディナンドは、プロスペローの思惑どおりミランダに出会い、2人は一目で恋に落ちる。プロスペローに課された試練を勝ち抜いたファーディナンドはミランダとの結婚を許される。
一方、更なる出世を目論むアントーニオはナポリ王の弟を唆して王殺害を計り、また島に棲む怪物キャリバンは漂着したナポリ王の執事と道化師を味方につけプロスペローを殺そうとする。しかし、いずれの計画もエアリエルの力によって未遂に終わる。
魔法によって錯乱状態となるアロンゾー一行。だが、プロスペローは更なる復讐を思いとどまり、過去の罪を悔い改めさせて赦すことを決意する。和解する一同。王らをナポリに送り、そこで結婚式を執り行うことになる。
魔法の力を捨てエアリエルを自由の身にしたプロスペローは最後に観客に語りかける。「自分を島にとどめるのもナポリに帰すのも観客の気持ち次第。どうか拍手によっていましめを解き、自由にしてくれ」と。
主要登場人物
プロスペロー
前ミラノ大公
ミランダ
プロスペローの娘
エアリエル
空気の精
キャリバン
島に住む怪獣
アロンゾー
ナポリ王
セバスチャン
王の弟
ファーディナンド
王の息子
アントーニオ
ミラノ大公、プロスペローの弟
ゴンザーロー
ナポリ王の顧問官
主人公親子 『テンペスト』の初演日は確実にはわかっていないが、1611年11月1日に宮廷で上演されており、これが現在残っている最初の上演記録である[5]。1623年に出版されたファースト・フォリオの最初に収録されている[6]。直接の出典は特定されていないが、1609年にバミューダ諸島沖で英国の船が遭難した事件や、またモンテーニュのエッセイ「人喰い人種について」などからの影響が指摘されている[7]。 シェイクスピア作品の一部を特に「ロマンス劇」と呼ぶことがあり、この『テンペスト』はその代表作の一つに数えられる[8]。「ロマンス」は恋愛ものの劇という意味ではなく、現実離れした空想譚を指し、もとはロマンス語(イタリア語やフランス語など)で書かれた中世の荒唐無稽な物語を指す言葉だった[9]。シェイクスピア研究者のエドワード・ダウデンが考案した用語で、シェイクスピアは魔法のような人知を超えた力が重要な役割を果たす「ロマンス劇」を晩年に連続して執筆している[7]。 またプロスペローに服従している醜い獣「キャリバン」は、復讐から和解・解放へいたる物語のなかで人々からあざけられつづけ誰からも許されることがないため、西洋文明と植民地の関係を象徴する存在として、近年[いつ?]の文学研究で大きな注目を集める存在となっている[10][11]。 時間と場所と筋の統一を主張する古典主義のいわゆる「三一致の法則」を守ったシェークスピア唯一の戯曲である[9]。
12年前に漂着島の住人等他
嵐で漂着
妖精
エアリエル←幽閉魔女
シコラクス
(故人)→信仰神
セティボス
↑
母子
↓↑
信仰
↑
←筒抜け怪物
キャリバン
↑
救出
酷使
↑↓
うんざり
↓
主人公
元ミラノ大公
プロスペロー→島掠取
←復讐
↑
父娘
↓↑
追放
↑↑
兄弟
↓↓
復讐
↓↑
結託
↓
娘
ミランダ→叔父
←姪現ミラノ大公
アントーニオ→教唆ナポリ王弟
セバスティアン執事
ステファノー
道化師
トリンキュロー
↑
結託
↓↓
害意
↓↑
兄弟
↓↓
出来心
↓
ナポリ王
アロンゾー→臣下
←領主
↑
恋人
↓↑
父子
↓↑
領主
↑↓
臣下
↓
ナポリ王子
ファーディナンドナポリ貴族
フランシスコー
エイドリアン
執筆の背景
解釈
有名な台詞
ファーディナンドとミランダ(第5幕)
(画)Edward Reginald Frampton「この大地にあるものはすべて、消え去るのだ。そして、今の実体のない見世物が消えたように、あとには雲ひとつ残らない。私たちは、夢を織り成す糸のようなものだ。そのささやかな人生は、眠りによって締めくくられる[12]」(Yea, all which it inherit, shall dissolve, and, like this insubstantial pageant faded, leave not a rack behind. We are such stuff as dreams are made on; and our little life Is rounded with a sleep.(第4幕第1場、プロスペローの言葉。いずれすべては消え去るという諦観が『ハムレット』に共通するとも言われる[11])
「だが、この荒々しい魔法の力を私は今日限り捨てよう[12]」(But this rough magic I here abjure.)(第5幕第1場、事を成就させたプロスペローの独白。『テンペスト』がシェイクスピア単独の執筆としては最後の作品となったため、これがシェイクスピア自身の絶筆宣言などと解釈されることがある[13])
「まあ、不思議!ここにはなんて多くのすてきな人たちがいることでしょう!人間ってなんて美しいのでしょう!ああ、すばらしき新世界、こんなに人がいるなんて[12]」("O, wonder, how many goodly creatures e there here! How beauteous mankind is! O brave new world, that has such people in'it!")(第5幕第1場、生まれて初めて大勢の人間を目にしたミランダの言葉。オルダス・ハックスレーの小説 『すばらしい新世界』の題名はここから取られている[11])
日本語訳
「テムペスト(颶風)」坪内逍遥訳 早稲田大学出版部 1915
「テムペスト」奈倉次郎・沢村寅二郎譯註 三省堂 1917
「あらし」豊田實訳 岩波文庫 1950
「大嵐」沢村寅二郎訳註 研究社出版 1950