テンプテーションズ
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テンプテーションズ(1964年)

テンプテーションズ(The Temptations)は、アメリカのソウル・コーラス・グループである。1960年代に「マイ・ガール[1]等のヒット曲を出した、モータウンを代表するグループの一つ。1989年ロックの殿堂入りを果たした。

テンプテーションズは、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第68位にランクインしている。リード・ヴォーカルのデヴィッド・ラフィンは、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第65位にランクインしている。
略歴

結成当初、グループはキャバリアーズやプライムズを名乗っている。プライムズ当時でも、地元デトロイトでは、その綿密なパフォーマンスが評判になっていた[2]1961年モータウンからデビュー。当時のメンバーはオーティス・ウィリアムス(Otis Williams)、メルヴィン・フランクリン(Melvin Franklin)、エディ・ケンドリックス(Eddie Kendricks)、ポール・ウィリアムズ(英語版)(Paul Williams)、エルブリッジ・ブライアント(Elbridge Bryant)の5人。しばらくはヒットに恵まれなかった。1964年、エルブリッジの後任としてデヴィッド・ラフィン(David Ruffin)が加入、いわゆる黄金時代となる。スモーキー・ロビンソンとロナルド・ホワイト(Ronald White)が作り、デヴィッドがリード・ヴォーカルを担当して同年リリースした「マイ・ガール[1]等が、翌1965年に全米チャート1位に輝いた。その後も「ゲット・レディ」「ドント・ルック・バック」などのヒット曲を量産した。1968年にデヴィッドが脱退し、デニス・エドワーズ(Dennis Edwards)が加入。アルバム『クラウド・ナイン(Cloud Nine)』(1969年)は、サイケ色を取り入れたサウンドと、社会派の歌詞を含む楽曲となった。1971年には「はかない想い」が全米1位となる。デビュー当時からのメンバーだったエディとポールが脱退するが、デーモン・ハリス(Damon Harris)とリチャード・ストリート(Richard Street)を加えた新体制で、1972年に「パパ・ワズ・ア・ローリン・ストーン(Papa Was a Rollin' Stone)」を全米1位に送り込む。なお、ポール・ウィリアムズは1973年に自殺してしまう。1970年代後半にアトランティックに移籍するが、1980年代にはモータウンに戻る。1983年、デニス・エドワーズの後任としてアリ・オリー・ウッドソン(Ali Ollie Woodson、1951年9月12日- 2010年5月30日)がリード・シンガーに抜擢される。1984年発表のアルバム『トゥルーリー・フォー・ユー』から正式に参加し、ここに収録された「トリート・ハー・ライク・ア・レディー」を、共同作曲、共同プロデュースし、一躍注目される。1986年には、「レディー・ソウル」をソウル・チャートでヒットさせた。1990年代には、デヴィッド・ラフィン、エディ・ケンドリックスが死去した。その後もメンバー・チェンジを繰り返し、1995年には、デビュー当時からのメンバーはオーティスだけとなってしまうが、21世紀もテンプテーションズの名前は引き継がれている。2013年第55回グラミー賞特別功労賞生涯業績賞を受けた。2018年2月1日、デニス・エドワーズが死去[3]

ベリー・ゴーディは自身の曲は全て白人、黒人共に等しく魅了することができると主張し、ゴーディが望む双方での成功を達成するためモータウンのアーティストを育てるのを助ける大規模な制作チームを雇った。モータウンの振付師チョリー・アトキンスは、ポール・ウィリアムズと共に、テンプテーションズがステージで披露する洗練されたダンス・ステップを考案した。最も有名な「テンプテーション・ウォーク」または「テンプテーション・ストラト」はフラミンゴス[注釈 1]やヴァイブレーションズの類似したステップから採用され、アトキンスやウィリアムズが特徴的なステップを完成させた。

当時の他の類似したグループと同様、モータウンはアメリカレコード協会(RIAA)に加盟しておらず、独立して数千ものレコード店「マム&ポップ」や小さなラジオ局を通じて広く供給されていた。「1977年にモータウンがRIAAに加盟」するまで、テンプテーションズなどのモータウンのアーティストによるヒット・シングルはゴールドディスクおよびプラチナディスクに認定されなかった。

1960年代および1970年代、トランプス、トラベラーズ、マンハッタンズ、シャイライツ、パーラメンツドラマティックス、デルズ、スピナーズ、ソフトンズ、デルフォニックス、モータウン所属のミラクルズ、フォー・トップス、モニターズ、グラディス・ナイト&ピップス、オリジナルズ、アンディスピューテッド・トゥルースなど数多くのソウル・グループがテンプテーションズから歌唱法、振付などで多大な影響を受けた。

テンプテーションズの楽曲は、リズム・アンド・ブルース歌手のオーティス・レディング("My Girl")、ボビー・ウーマック("I Wish It Would Rain")、ルーサー・ヴァンドロス("Since I Lost My Baby")から白人ソウル・レゲエ・バンドのレア・アース("Get Ready")、UB40("The Way You Do and The Things You Do")、ローリング・ストーンズ("My Girl", "Ain't Too Proud to Beg", "Just My Imagination")、ミック・ジャガーとレゲエ・アーティストピーター・トッシュのコラボ("Don't Look Back")まで、多くのミュージシャンからカバーされている。モータウンのファンク・ブラザーズは「"My Girl"」、「"Runnaway Child Running Wild"」、「"Papa Was a Rolling Stone"」をレコーディングした。ホール&オーツはデヴィッド・ラフィンおよびエディ・ケンドリックスとのライヴで「"My Girl"」、「"The Way You Do The Things You Do"」を演奏した。マーカス・ミラーは「"Papa Was a Rolling Stone"」をカバーした。イギリスのロック歌手ロッド・スチュワートは1971年に「"I'm Losing You"」をカバーし、1991年にシングル「"The Motown Song"」でテンプテーションズとコラボした。2017年、テンプテーションズとオーティス・ウィリアムズの当時の弟子とされたカイル・マックはマックのEP『Shaky Ground』に「"Treat Her Like a Lady"」のカバーを収録した他、2曲のテンプテーションズのカバーが収録された[4]

2004年、『ローリング・ストーン』誌は最高のアーティスト100組の67位にテンプテーションズをランクインさせた[5]。2005年、ミシガン州のロックンロール殿堂に投票により殿堂入りした[6]。2013年、グラミー賞特別功労賞を受賞した。2013年8月17日、テンプテーションズはクリーヴランド州立大学卒業式でR&B音楽の殿堂に殿堂入りした[7]

2018年、テンプテーションズのストーリーに着想を得たジュークボックス・ミュージカルエイント・トゥ・プラウド』が制作され、2019年3月にブロードウェイで開幕した。第73回トニー賞において11部門にノミネートされ、振付賞を受賞した。
ディスコグラフィ

The Temptations discographyも参照。
代表的シングル

マイ・ガール」 ("My Girl") - 1964年発表、グループにとって初の全米1位を獲得。リード・ヴォーカルはデヴィッド・ラフィン。オーティス・レディングローリング・ストーンズママス&パパスカヴァー1991年、映画『マイ・ガール』の主題歌になり、リバイバル・ヒットした。

「ゲット・レディ」 ("Get Ready") - スモーキー・ロビンソン作曲、エディ・ケンドリックス、リード・ヴォーカル

「ドント・ルック・バック」 ("Don't Look Back") - スモーキー・ロビンソン作曲、ポール・ウィリアムズ、リード・ヴォーカル


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