テンダラー
メンバー白川悟実
浜本広晃
結成年1994年
事務所吉本興業
活動時期1994年6月 -
出身NSC大阪校8期(白川)
事務所直入(浜本)
出会いショーパブ「アランドロン」
旧コンビ名$10
現在の活動状況テレビ・ライブなど
芸種漫才、コント
ネタ作成者浜本広晃
現在の代表番組よんチャンTV
同期白川
千原兄弟
FUJIWARA
チャンス大城など浜本
ロンドンブーツ1号2号
ペナルティ
サバンナなど
公式サイト公式プロフィール
テンダラーは、吉本興業大阪本社に所属する日本のお笑いコンビ。1994年6月結成。2011年・2012年『THE MANZAI』、2023年『THE SECOND ?漫才トーナメント?』ファイナリスト。
メンバー
白川 悟実(しらかわ さとみ、 (1970-11-01) 1970年11月1日(53歳) - )
ツッコミ担当。大阪府大阪市出身、大阪市立汎愛高等学校中退。身長169 cm、血液型A型。ニックネームはシラ、シラ猫。2023年現在、独身で結婚歴はない。BOOWYの大ファンで、自らも楽器演奏を得意とする。NSC大阪校8期出身。後輩の高井俊彦(元ランディーズ)らと2010年から「ジ・白川バンド」としても活動。象使いの免許を取得している。
浜本 広晃(はまもと ひろあき、 (1974-02-15) 1974年2月15日(50歳) - )
ボケ・ネタ作り担当。大阪府堺市中区出身、大阪府立農芸高等学校中退。身長177 cm、血液型O型。浜本の「浜」は戸籍上「濱」になっている。ニックネームはハマー。大の甘党であり、ペリエ好き。愛車は日産・スカイライン C110型(ケンメリ)。既婚者。2014年、6年の交際を経て14歳年下の一般女性と結婚[1]。だが2022年3月、ヨガインストラクターを務める一般女性との不倫が「文春オンライン」にて報道され、浜本はTwitter上で不倫を認め謝罪した[2]。焼き鳥店「焼き鳥Diningハマー」をプロデュースし、大阪市中央区東心斎橋にて展開している。後輩の西森洋一(モンスターエンジン)と仲が良く、プライベートではよくゴルフなどに行っている[3]。
来歴
横山アラン・ドロンのドロンが経営していたショーパブ「アランドロン」の難波店の主任だった浜本と梅田店の主任だった白川は、親睦ボウリング会などで顔を合わせる程度の仲だった。浜本が芸人の道を目指し始めた際、白川がNSC出身だったことを聞いた浜本が白川の店を訪ね意気投合してコンビ結成。組んで間もなくになんばグランド花月を訪れ、「ここに出させてください」と吉本の社員に懇願したところすぐさまネタ見せが行われ、OKが出て10日後になんばグランド花月の舞台にてデビューできた。
旧コンビ名は「$10(読み同じ)」。コンビ名の由来は、浜本が記号を使いたかったため。
2009年6月13日、コンビ名をカタカナ表記の「テンダラー」に改名した[4][リンク切れ]。表記を変えた訳は、主に出演するなんばグランド花月や京橋花月など比較的年齢層の高い観客に『じゅうドル』と読み間違えられることが多かったから。
コンビとしての芸歴は、NSC大阪校12期出身(COWCOW・2丁拳銃・小籔千豊など)とほぼ同期にあたる[注 1]。
同じショーパブの先輩にあたる水玉れっぷう隊とダンスユニット「ギアトランス4」を結成している。
漫才もコントも熟せる実力派だがお笑いの賞とは案外縁がなく、受賞歴は第1回よしもとお笑いワールドグランプリ(毎日放送)での優勝のみ。2006年、MBS新世代漫才アワードにて決勝進出したものの、優勝まであと一歩のところでNON STYLEに敗れ2位となった。また、2007年には準決勝でアジアンに敗れた。2008年もMBS新世代漫才アワードで再びアメリカザリガニやとろサーモンと共に決勝進出したもののアメリカザリガニに敗れ、またしても2位に終わった。THE MANZAI 2011は予選7位の成績で決勝進出。決勝戦一次グループではHi-Hi・スリムクラブと同点で並ぶも、視聴者投票のポイント差により敗退した。しかしここでの注目がきっかけとなり、THE MANZAI マスターズでは常連出演者となっており、2023年の放送では実質的なMVPでもあるたけし賞を受賞した。
2人とも熱狂的な阪神ファン。同球団に選手・コーチングスタッフとして在籍していた島野育夫とは、親交が深かった。
閉館した京橋花月の最多出演芸人である[5]。
2014年11月には、アメリカ・ロサンゼルスにて英語漫才を披露した。
一時期は東京へ進出するか否かが原因でコンビ間でのすれ違いも生じたが、大阪で認められる漫才師を目指そうと東京には進出せず関西を中心に活動中。そういった地に足をつけた活動の結果、2015年に第50回上方漫才大賞で大賞を受賞している。
出演
テレビ
現在のレギュラー出演
過去のレギュラー出演
爆笑オンエアバトル(NHK)戦績13勝3敗 最高533KB ゴールドバトラー認定
第3回チャンピオン大会 セミファイナル10位敗退
第5回チャンピオン大会 ファイナル3位
初挑戦は2000年7月2日放送回の大阪大会。初挑戦でいきなり509KBを記録、トップ合格を果たした。続く2000年9月10日放送回の東京収録では529KBを記録し、2連続トップ通過・オーバー500を記録した[注 2]。特に529KBはアンジャッシュに並ぶ2000年度の最高得点となっている。それから3年後となる2003年6月20日放送回では自己最高となる533KBを記録した[注 3]。ちなみに2000年度に記録した2回のオーバー500はどちらもコントであり、533KBは漫才で達成している。
番組初挑戦となる2000年度は全てコントを演じ、2001年度以降は漫才での挑戦が多くなり番組ではコントあるいは漫才のみと限定せず、比較的ジャンルが偏らないという数少ない芸人でもあった[注 4]。2001年4月21日放送回で漫才を初披露、313KBと比較的低い結果となってしまったが4位通過となり、この記録は4位の最低記録となっている[注 5]。全てコントを披露していた2000年度は全て460KB以上と好調だったが、この回で313KBを記録したことで平均KBが一気に下がってしまった。
初挑戦こそ大阪だったが以降の挑戦回は全て東京収録であり、関西芸人としては珍しく地方大会への出場は少ない[注 6]。
?マジっすか!(毎日放送)
爆笑レッドカーペット(フジテレビ、不定期) - $10時代のキャッチコピーは「お笑い両替所」、改名後のテンダラーのキャッチコピーは「上方漫才 維新の会」
モモコのOH!ソレ!み?よ!(関西テレビ) - 準レギュラー