テレホート_(インディアナ州)
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テレホート市
City of Terre Haute

テレホートのダウンタウン
愛称 : Crossroads of America(アメリカの交差点)[1]
標語 : "A Level Above(1段上へ)"
位置

右: インディアナ州におけるビゴ郡の位置
左: ビゴ郡におけるテレホートの市域
座標 : 北緯39度28分11秒 西経87度23分23秒 / 北緯39.46972度 西経87.38972度 / 39.46972; -87.38972
歴史
創設1816年[2]
行政
アメリカ合衆国
 州インディアナ州
 郡ビーゴ郡
 市テレホート市
地理
面積 
  市域91.36 km2 (35.27 mi2)
    陸上  89.46 km2 (34.54 mi2)
    水面  1.89 km2 (0.73 mi2)
標高152 m (499 ft)
人口
人口(2010年現在)
  市域60,785人
    人口密度  679.5人/km2(1,759.8人/mi2)
  都市圏189,764人
その他
等時帯東部標準時 (UTC-5)
夏時間東部夏時間 (UTC-4)
公式ウェブサイト : ⇒http://www.terrehaute.in.gov/

テレホート(Terre Haute)は、アメリカ合衆国インディアナ州西端、ビーゴ郡に位置する都市。イリノイ州との州境から東へ約13km、州都インディアナポリスの西約125kmに位置する。人口は60,785人(2010年国勢調査)。ビゴ郡を中心に5郡にまたがる都市圏は189,764人の人口を抱える[3]

初期には豚肉加工業の中心地として発展した。やがて南北戦争の直後、テレホート周辺では石炭が産出され、市は石炭産業や製鉄業で栄え、歓楽街も形成された。しかし、1920年代に入ると、禁酒法の影響や石炭資源の枯渇によって市の経済成長は止まり、産業都市としての地位を落としていった。第二次世界大戦中には持ち直したものの、第二次世界大戦後には再び衰退への道をたどった。

また、20世紀中盤以降に全米各地で州間高速道路網が整備されるようになるまでは、テレホートは交通の要衝であった。初期には、テレホートの河港はウォバッシュ川における水上交通の要となっていた。やがて交通の主役が蒸気船から鉄道へ、自動車へと変わると、テレホートは東西の幹線であった国道40号線と南北の幹線であった国道41号線が交わる地となり、Crossroads of America(アメリカの交差点)と呼ばれた。

テレホートは連邦刑務所が置かれている地でもある。この刑務所では、連邦政府による死刑が執行される。目次

1 歴史

1.1 初期

1.2 石炭産業による発展

1.3 衰退と再生


2 地理

3 政治

3.1 連邦刑務所


4 交通

5 教育

6 文化

7 人口動態

7.1 都市圏人口

7.2 市域人口推移


8 姉妹都市

9 註

10 外部リンク

歴史
初期 ハリソン砦の戦い

18世紀中盤、ウォバッシュ川流域を探検していたフランス人の一行は、ウォバッシュ川のほとりの台地であったこの一帯を、フランス語で「高地」を意味するterre hauteと名付けた。これが今日のテレホートという市名の基となったと考えられている[1]

1811年テクムセの戦争が勃発すると、ウィリアム・ヘンリー・ハリソンはネイティブ・アメリカンのウィア族の村に程近いこの地にハリソン砦を建てた[1]。翌1812年9月、推定600人のネイティブ・アメリカンの隊がこのハリソン砦を襲撃すると(ハリソン砦の戦い)、ザカリー・テイラー大尉はこの砦を守り抜き、米英戦争中最初のアメリカ合衆国軍による陸上戦での勝利となった。その後、ウィア族はこの地を追われ、ウィア族の所有していた果樹園や草地の跡にテレホートの村が創設された。1818年にビゴ郡が創設されると、テレホートはその郡庁所在地となった。テレホートはその後1832年に町に、1853年に市に昇格した[1]

初期のテレホートは農業と豚肉加工業の中心地、およびウォバッシュ川を行き交う蒸気船などの船舶の寄港地として発展した。また、1835年から1839年にかけては、インディアナ州内においてカンバーランド道路の西への延伸工事が進められ、コーネリアス・オグデン少佐の指揮下でテレホートにアメリカ合衆国陸軍工兵隊の本部が置かれた。また、オグデンはウェストポイントの卒業生を何人かテレホートに連れてきた。その中の1人、チャウンシー・ローズは、テレホートの中心部、ウォバッシュ・アベニューと7thストリートの角にフェデラル様式の、ザ・プレーリー・ハウス(The Prairie House、後にテレホート・ハウスに改称)という名のホテルを建てた[4]1849年には、ウォバッシュ・アンド・エリー運河がテレホートまで開通し、オハイオ州トレドエリー湖へと通ずる水上交通路が確立された[5]1851年にはテレホート・アンド・インディアナポリス鉄道が開通し、テレホートは水上と陸上の両方において、交通の要衝としての地位を確立した。
石炭産業による発展 コレットパーク地区(1913年

南北戦争が終わると、それまでテレホートの主要産業であった豚肉加工業は衰退した。しかし1867年に近郊のクレイ郡石炭の鉱脈が発見されると、テレホートでは石炭産業や製鉄業が栄えた[1]


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