この項目では、映像の伝送・再現システムについて説明しています。伝送された映像の再生装置については「テレビ受像機」をご覧ください。
「テレビジョン」と「TV」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「テレビジョン (曖昧さ回避)」、「TV (曖昧さ回避)」をご覧ください。
テレビは、テレビジョン(英: television)の略称であり、テレビジョンは、映像と音声を離れた場所に送り、再現するしくみ[1]。光学像を電気的な信号に変換し、無線または有線により伝送し、テレビ受像機で映像として再生する通信方式[2]。光学像および音響を電気信号に変換し、電気的な波の形で有線もしくは無線で離れた場所に伝送し、それを光学像および音響に再変換する電子的なシステム[3]。TVと表記することもある。2番目の意味として、その受像機も指す[3]。3番目の意味としてはコミュニケーション媒体(メディア)としてのテレビジョン、またテレビジョン産業を指す[3]。
当記事では、前半で主に光学像および音響を伝送し再現するしくみ(電子的システム)とその歴史について解説し、後半でテレビジョン産業、媒体としてのテレビジョンの性質や人々に与える影響、視聴傾向などについても説明する。 主に放送(テレビジョン放送)、遠隔監視、テレビ電話などに利用されている。 日本の電波法では「テレビジョン」は「電波を利用して、静止し、又は移動する事物の瞬間的影像を送り、又は受けるための通信設備」と定義されている[4]。放送法ではテレビジョン放送は「静止し、又は移動する事物の瞬間的影像及びこれに伴う音声その他の音響を送る放送(文字、図形その他の影像(音声その他の音響を伴うものを含む。)又は信号を併せ送るものを含む。)」と定義されている[5]。 「テレビジョン」は直接的にはフランス語のtelevision 原理としては電送写真(ファクシミリ、FAX)と似ており、走査によって光学像と電気信号を相互に変換する技術を用いる[1]が、ファクシミリが1枚の画像を伝送するのに数十秒ほどの時間をかけるのに対して、テレビジョンは人間の視覚の残像の性質(を利用して像が動いているように見せること)を考慮すると、光学像を1秒間に50?60枚ほど伝送しなければならない[1]。送信側では、光学像を電気信号に変換する装置(ビデオカメラ)が、受信側では、電気信号を光学像に変換して表示する装置(代表的なものでは液晶パネルやブラウン管など)が必要である[1]。送信側と受信側ではそれぞれ、分解走査と組立走査が行われるが、何らかの方法で同期をとらなければ正しく送受信できない。 伝送方式については基本的には無線方式や有線方式(ケーブルテレビや有線の監視テレビ)がある。 21世紀からはインターネット経由で信号を伝送する方式(インターネットテレビ)も盛んに用いられるようになっている。テレビ局などの組織が一方向的にテレビジョン放送するだけでなく、個人がテレビジョンのコンテンツをネットワーク経由で公開したりリアルタイム放送したり、個人間で双方向的にテレビジョンを使うようになっている。具体的に言うと、2000年ころからインターネットのブロードバンド化つまり高速化が進み、2010年代にはYouTubeが普及し、個人がカメラで光学像の撮影・録音および編集を行いネットワーク上で不特定多数の人々に公開したり、個人がその瞬間の様子をリアルタイム撮影して放送すること(ライブ配信)もさかんに行われるようになっている。 テレビジョンに必要な要素を備えたパソコン、スマートフォン、タブレット端末が急速に普及したことで、テレビジョン技術を双方向に利用し個人と個人がテレビジョンで互いの姿を見つつ会話をすること(テレビ電話)や会議・打ち合わせを行うこと(テレビ会議・ビデオ会議)も気軽に行われるようになっている。
概説
語源
原理、必要な装置や施設
テレビカメラによる屋外撮影
テレビの中継車。カメラの映像をまず放送局へと送信するための衛星アンテナを備えている。
テレビ・スタジオ
編集室
テレビ放送のコントロール・ルーム
テレビ放送の送信機
テレビの送信アンテナ
各家庭に設置された受信アンテナ群
テレビ受像機
伝送方法の基本と多様化、組織から個人、一方向から双方向
Netflix
ビデオ通話
ビデオ会議
テレビの歴史
開発史
19世紀
1873年 - イギリスで明暗を電気の強弱に変えて遠方に伝える装置=テレビジョンの開発が始まる。
1875年 - アメリカ合衆国のジョージ・ケリー、並列式の機械式走査の概念を提案。
1877年 - アメリカ合衆国のウィリアム・ソーヤー、直列式の機械式走査の概念を提案。
1884年 - ドイツのパウル・ニプコウ、直列式の機械式走査を実現する「ニプコー円板」の発明。
1896年 - イタリアのグリエルモ・マルコーニが電波を使って、3キロメートル離れた地点間でモールス信号の無線通信実験に成功(無線電信参照)。
1897年 - ドイツのフェルディナント・ブラウン、陰極線管であるブラウン管の発明。
20世紀
1907年 - ロシアのボリス・ロージング、ブラウン管によるテレビ受像機を考案し特許出願。
1908年 - イギリスのキャンベル・スウィントン、撮像側にも陰極線管を使った電子式走査法の概念を科学雑誌『ネイチャー』に発表。全電子式テレビジョンを示唆。
1911年 - ロシアのボリス・ロージング、世界で初めてブラウン管を用いたテレビの送受信実験を公開。撮像に機械式のニプコー円板を、受像に電子式のブラウン管をそれぞれ用いた。簡単な図形の輪郭の受像に成功。しかし実用レベルの受像に至るには撮像側の電子化が求められ、映像を電気信号に変換する撮像管の開発や、映像信号を増幅する真空管の発達を待たねばならなかった。
1923年 - 浜松高等工業学校の高柳健次郎が電子式走査方式の研究を開始[6]。同時期にアメリカでツボルキンも電子方式のテレビ開発を始めたが互いに全く相手のことを知らなかった[6]。