テレビ新潟放送網
[Wikipedia|▼Menu]

株式会社テレビ新潟放送網
Television Niigata Network Co., Ltd.

TeNYテレビ新潟放送網 本社
種類株式会社
市場情報非上場
略称TeNY、テレビ新潟
本社所在地 日本
950-8555
新潟県新潟市中央区新光町1番11号
設立1980年10月23日
業種情報・通信業
法人番号4110001003425
事業内容放送事業(日本テレビ系列)
代表者代表取締役社長 正力源一郎
資本金10億円
売上高60億1084万9000円
(2023年3月期)[1]
営業利益4億3804万8000円
(2023年3月期)[1]
経常利益4億6653万6000円
(2023年3月期)[1]
純利益3億1241万3000円
(2023年3月期)[1]
純資産116億2491万7000円
(2023年3月期)[1]
総資産129億1914万5000円
(2023年3月期)[1]
従業員数88名(2012年7月1日時点)
主要株主読売新聞グループ本社 22.3%
日本テレビホールディングス 15.3%
(2023年3月1日時点)[2]
主要子会社株式会社 プロメディア新潟
関係する人物等々力英男(初代社長)
外部リンクhttps://www.teny.co.jp/
テンプレートを表示

テレビ新潟放送網
英名Television Niigata
Network Co., Ltd.
放送対象地域新潟県
ニュース系列NNN
番組供給系列NNS
略称TeNY
愛称TeNY
テレビ新潟
呼出符号JOPI-DTV
呼出名称テレビにいがた
デジタルテレビジョン
開局日1981年4月1日
本社950-8555
新潟県新潟市中央区新光町1番11号
演奏所本社と同じ
リモコンキーID4
デジタル親局新潟 26ch
アナログ親局新潟 29ch
ガイドチャンネル29ch
主なデジタル中継局#デジタル放送の項を参照
主なアナログ中継局#アナログ放送の項を参照
公式サイトhttps://www.teny.co.jp/
特記事項:
1998年1月1日に、TNNからTeNYに略称を変更。
テンプレートを表示

株式会社テレビ新潟放送網(テレビにいがたほうそうもう、Television Niigata Network Co., Ltd.)は、新潟県全域を放送対象地域としたテレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者である。

通称はテレビ新潟、略称愛称はTeNY(テニィ)。

コールサインはJOPI-DTV(新潟 26ch)。日本テレビ系列NNNNNS)のフルネット局で、リモコンキーIDはキー局の日本テレビ放送網と同じ「4」。

キャッチフレーズは「あなたとわたしとてとてとTeNY」(2017年平成29年)4月1日から)。
概要

開局は1981年昭和56年)4月1日で、新潟県内で3番目に開局した民放テレビ局である。日本の地上波テレビ放送局で社名に「放送網」の字が入るのは、本局とそのキー局である日本テレビ放送網のみである[注 1]

1973年(昭和48年)、新潟県に3局目の民放テレビ局の開局枠が割り当てられたものの、免許を申請した業者が余りにも多数で一本化できず、各社間の調整にも失敗したため結局申請は却下、第一次オイルショックによる不況も重なり、29chという枠を残して一旦計画は白紙となった。その後、1980年(昭和55年)8月ごろの会合により新潟県に民放テレビの第3・4局の割り当てがあり、先に日本テレビ系である第3局(29ch・本局)が割り当てられ、次にテレビ朝日系列局の第4局(21ch、新潟テレビ21(NT21、現・UX)・1983年(昭和58年)10月1日開局)が割り当てられた。

開局当初の略称は、英語の登記名「Television Niigata Network」の頭文字からとった「TNN」(ティーエヌエヌ)。特徴的なロゴデザインで、2文字目のNは字画の先端が上下に大きく伸び、電波を表していた。

日本軽金属新潟工場(現在は新潟県庁などが立地)に隣接する信濃川右岸、新潟市新光町に本社を建設。社屋には当時県内で最大面積となる100坪のテレビスタジオと、「TNNタワー」と呼ばれる展望塔型の送信塔が設けられた。1980年(昭和55年)9月19日に予備免許を取得。当初は翌1981年(昭和56年)10月の開局を目指していたが、キー局の日本テレビのドル箱番組だった巨人戦中継を放送するため[注 2]、同年4月のプロ野球シーズン開幕に何とか間に合わせるため、翌年4月の開局を目指して会社設立からわずか半年間という短い期間で準備を進めることになった[注 3]。また当時日本テレビ系列のNNN-NNSに加入していたNSTは他にフジテレビ系列(FNN-FNS)、テレビ朝日系列(ANN)とのクロスネットを行っており[注 4]、番組の自社制作に消極的な姿勢も一部見られた背景から、本局は積極的に自社番組を制作し県内・外の情報を県民により多く発信することも方針付けられた。

こうして1981年(昭和56年)3月25日にサービス放送を、4月1日に本放送を開始した。開局にあわせてイメージソング「Yes My Song」(作詞:森雪之丞、作曲:小六禮次郎、歌:サーカス/山本理沙)も制作された。若者達が気球を膨らませてゆく、若々しいイメージのステーションブレイクを放送して新しいテレビ局をアピールした。

旧略称・TNNの時代は「Yes My TNN」というキャッチフレーズで親しまれた。「わたしのテレビ・TNN」を意味しており、県民にとって身近な存在のテレビ局でありたいという理念を示したものだった。自社番組を「Yes Myシリーズ」と銘打って「Yes My お天気」「Yes My お店往来」「土曜ワイドYES MYにいがた」など、タイトルの冠に「Yes My」を付けていた他、社主催のイベントにも「Yes My 映画試写会」「Yes My スキーツアー」と銘打つなど様々なシーンで使用されていた(但し後年についてイベントなどは「TNN」「テレビ新潟」という冠を付けるケースが多かった)。

1998年平成10年)1月1日CI導入によりマーク・社名ロゴなどを一新、略称を「テレビ」と「新潟」の頭文字をアレンジした「TeNY」(テニィ)に変更、併せて新しいイメージソング「手と手と手とTeNY」[注 5]も制作された[注 6]。なお、旧ロゴは放送上ではほぼ淘汰されたものの、現在もTeNY本社本館前、車寄せのひさし部分には「テレビ新潟」の旧ロゴのエンブレムが掲げられている他、新潟駅万代口、JR東日本新潟支社の屋上に設置された中継アンテナも「TNN テレビ新潟」の旧ロゴのままである。また、カラーバーは2006年(平成18年)6月のマスター更新まで旧ロゴのままだった。

2013年(平成25年)4月1日より、新たなロゴデザインが登場。自社製作のバラエティ、情報番組・ホームページ等で使用を開始した。但し、あくまでも正式なロゴマークは従来からのものであり、報道関係・Yahoo!ニュース等では従来のロゴが使用されている[3]。また、各種広報・画面上のウォーターマーク等も継続して従来からのロゴを使用していたが、2017年(平成29年)4月1日から新しいロゴデザインに変更された[4][5]

2023年(令和5年)の年間視聴率で14年連続三冠王になった。年度視聴率でも14年連続三冠王になった[6]
事業所

本社 -
新潟県新潟市中央区新光町1番11号

東京支社 - 東京都港区新橋2丁目19番10号 新橋マリンビル

関西支社 - 大阪府大阪市北区曽根崎新地2丁目2番16号 西梅田MIDビル

長岡支社 - 新潟県長岡市今朝白1丁目8番18号 長岡DMビル

上越支局- 新潟県上越市木田2丁目1番1号 上越セントラルビル

番組の傾向

開局以後、前述の方針を遵守して積極的に自社番組の制作に取り組んだ。土曜正午のトークバラエティ「嫁さんきなせや」にはMCに宮尾すすむを招くなど芸能人を起用した。なお、「嫁さんきなせや」のアシスタントは、当時、同局のアナウンサーだった坂上みきが担当していた。

また平日夕方のローカルニュース「にいがたNOW」は、新潟放送の「BSNニュースワイド」などと並ぶローカル報道番組に成長した。1990年代(平成)に入ると土曜昼の生放送による情報番組「てんこもりテレビ」「情報山脈テレビDON!」など生ワイド番組の制作にも乗り出した。これらが昇華して平日帯のローカル情報番組「夕方ワイド新潟一番」(1995年平成7年)10月開始)へとつながり、県内民放各局の夕方生ワイド番組に先鞭を付けた。本局はこの「夕方ワイド新潟一番」の番組広告を皮切りに、1996年(平成8年)から現在まで新潟交通のバスカードに企業広告を出している(現在はTeNYデジタル放送のPR広告)。また本局は日本テレビや札幌テレビなどと共同でウラジオストクなどロシア極東地方の主要都市に支局を開設、これら地域のニュースや経済情報を伝える「ヴォストーク」は日本海側各県のブロックネット番組にもなった。

日本テレビが制作・プロモーションなどで関係している映画では、主役俳優らに系列各局のキャッチフレーズを叫んでもらい(いわゆる「怒鳴り」)、ステーションブレイクを兼ねた映画宣伝のスポットCMとして各局で放送しているが、当局の場合は前述のキャッチフレーズ「手と手とテニィ」が使われている。2005年(平成17年)には映画「宇宙戦争」の監督スティーヴン・スピルバーグもこの「手と手とテニィ」のステーションブレイク(5秒スポット)に登場した。

積極的な自社番組制作などで実績を挙げている当局だが、開局以来ほぼ全く同じ内容で放送を続けているCMが現在もいくつか残存している。このうち代表的なものが当局の発起人企業の一つでもある丸新新津グループ(現・丸新グループ)のCMで、松山千春空 ?翼を広げて」をBGMに、飯豊連峰を登山する社員達の姿が描かれている。開局前に撮影・制作されたものだが、映像構成やナレーション、BGMの入れ替えなど細かな修正を加えた以外はほぼ開局当時のままである。現在も木曜20時54分の「TeNYニュース」内などで放送されている。

前述の新潟駅にある中継アンテナは、駅前からの中継を行う際に、以前は月曜から金曜毎日駅前からの中継があり毎度の中継アンテナ、中継システムのセッティングを簡略化するため、JRの協力を得て、固定設置されたものである。「夕方ワイド新潟一番」の駅前中継、報道で使用される。
地上波デジタル放送

地上波デジタル放送は、アナログ?アナログ変換の都合もあり、総務省の計画により2006年平成18年)10月1日に放送開始が設定され、同日に開始された。東京キー局から新潟へ送られる光ファイバーによるハイビジョン・デジタル中継回線は、NHK及び新潟県内民放のキー局4局からのものは既に2006年(平成18年)1月には整備を完了していたこともあり、同局は同日地上波デジタル放送を開始する放送局中では、全国で最も早く同年6月5日にサイマル試験放送を始めることができた。しかし、日本テレビ系列局の中でローカル面でのハイビジョン化の切り替えのスピードの出足は最も遅れた方で、自社制作番組においてのハイビジョン制作は開始当初、外部のカメラ取材を編集して制作したデジタル放送開始記念番組程度位だった。その後、報道用のハイビジョン中継車を2007年(平成19年)4月に県内民放で初めて導入し[注 7]、それを「ズームイン!!SUPER」や日本テレビでの報道番組の生中継等で稼動させ、同年10月1日からはようやくニュースセンターのスタジオがハイビジョン化され、これに伴い、重要な報道やハイビジョンとして報道する価値があるものについては、ハイビジョンでの取材を行うようになった[注 8]2008年(平成20年)6月8日には、ようやく自社の報道用ハイビジョン中継車を使ったローカル単発番組のハイビジョン生中継番組を制作、放送するようになり(「トキ・・・未来へつなごう」)、2009年(平成21年)1月13日にはメインスタジオを始めとする放送局舎を全面ハイビジョン化させ、この日の「夕方ワイド新潟一番」の年始第1回から、一部の中継の場合を除きローカル番組を全部ハイビジョン化させた。新潟県内の民放で放送センターの局舎を全面ハイビジョン化させたのは、NST、BSNに次いでTeNYが3番目である。

スカパー!との業務協力(作成依頼)により、Jリーグ中継のうちデンカビッグスワンスタジアムで開催されるアルビレックス新潟戦の多くを制作している。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:133 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef