テレビ受像機
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液晶テレビ(2018年、東芝フラットハイビジョンブラウン管ワイドテレビ(2000年、ビクター

テレビ受像機(テレビじゅぞうき、: television setあるいはTV set)とは、テレビジョン受信用の機器。テレビジョンの映像(動画)を画面に表示しスピーカー類から音を出す。テレビ受信機、テレビジョン受信機(television receiver)ともいい、略称で単にテレビやTVともいう。
概要

送信されたテレビジョンの映像と音声信号受信し、それを再び映像と音声に変換し、画面に表示しスピーカーヘッドフォン類から音を出す装置。

日本地上デジタルBS・CS放送を視聴するためにはB-CASカードを差し込む[※ 1]

なお受信機チューナー)が内蔵されているものがテレビ受像機であり、受信機が内蔵されていないものは通常モニターディスプレイと分類し、テレビ受信機とは別分類とすることが一般的である。
種類・分類

現在の日本ではデジタル方式であり、解像度による分類としては「4Kチューナー内蔵」「4K対応」「HD」などの種別がある。ハイビジョン放送が始まる以前はアナログ信号方式のテレビであった。

表示画面に焦点を当てた場合液晶、有機ELなどの分類がある。2000年から2005年ころはプラズマディスプレイもあり、さらに以前、2000年ころまではブラウン管方式もあった。(表示画面の節で解説)

録画機能を搭載したテレビ受信機もある。録画機能を搭載したものは現在ではハードディスク(HDD)に録画するものが主流であり、HDD内蔵タイプと外付けHDD接続可能なタイプなどがある。かつてはビデオテープレコーダーに録画するテレビデオというものもあった。

1980年代ころまではカラーテレビ / モノクロテレビ(白黒テレビ)という分類が行われたが、現在では原則カラーであり、この分類はテレビの歴史を説明する時に用いられる。
スマートテレビ
インターネット接続ができるテレビを指すが、現在ではそれを超え、映像コンテンツを「いつでも、どこでも、誰とでも」視聴できるなど、新たなサービスモデルの構築を指向するものと考えられている[1]。定義は一律に定められておらず、放送事業者、メーカー、ネット企業により差異がある。また、AndroidなどのOSを備え、ネット経由でアプリをインストールしてさまざまなサービスをテレビ画面で利用することができる。動画共有サービスのアプリを利用するのが一般的。広義ではTVチューナーごと内蔵したものだが、チューナー機能を省き、チューナーレステレビとも呼ばれるものが狭義のスマートテレビである。
ポータブルテレビ
持ち運びができる小型・軽量なテレビ。現在は地デジ放送を受信可能な画面が10型-15型程度の大きさの液晶ポータブルテレビが販売されている。その他、ごく少数だが防災用品売り場では"FM/AM 受信機兼ワンセグ受像機"も販売されている。1970年代後半には外出先でも視聴が可能なポータブルテレビが登場し、この頃はラジカセとの一体型で、画面はブラウン管方式でモノクロ(白黒)であり、一応は持ち運べるがかなり重いものだった(1978年東芝が発売したラジカセ付きGT-4500[2]などがあった)。1980年代に入ると液晶を用いることで手の平サイズにまで小型化され(最初期のモニターは白黒)、1980年代半ばにはポータブルなカラー受信機が登場した。2006年にワンセグ放送が開始してワンセグ搭載の携帯電話スマートフォンもかなり普及したが、2010年代にNHK受信料の支払い問題を機に新製品には搭載されなくなった。現在ではチューナー部は据置で、画面だけはワイヤレス方式で家の中で持ち運べるタイプもある。ワイヤレステレビはチューナー機器とモニターが独立しており、両者の間で映像および音声信号を無線通信無線LANなど)により伝送する。

ワイヤレステレビチューナーというチューナー部だけのものも販売されており、これはPCやタブレットやスマホがテレビ画面となる[3]

据え置き型ゲーム機内蔵テレビというものも存在する。シャープ製のブラウン管テレビ「ファミコンテレビC1」は任天堂ファミリーコンピュータを、「SF1」は後継機のスーパーファミコンを内蔵したテレビであった。2000年にフジテレビが88,888円の価格で、5,000台をWeb限定で販売した「CX-1」は、CPUに「CX-1エンジン」を搭載したセガライセンスを受けたドリームキャスト互換機として扱われたブラウン管テレビであった。2010年にソニーが製造し、イギリスのみで販売したBRAVIA KDL22PX300は、PlayStation 2を内蔵した液晶テレビであった。現在ではスマートテレビでAndroidアプリのスマートテレビ対応ゲームをインストールしてプレイするという方法も可能である。
世界における歴史詳細は「テレビ#テレビの歴史」を参照イギリスMurphy Radio社1951年製ブラウン管方式白黒テレビ

この節の加筆が望まれています。 (2022年12月)

日本における歴史テレビの世帯普及率の推移。ソニートランジスタテレビ TV8-301(1960年)
世界初の直視型オールトランジスタテレビ
アナログ時代
初期

1926年昭和元年)12月、高柳健次郎ブラウン管を応用した世界初の電子式テレビ受像器を開発、片仮名の「」の文字を表示させることに成功した。そのブラウン管の走査線数は40本だった[4]。この時のカメラは機械式のニポー円盤

その後、1940年(昭和15年)に開催が予定されていた東京オリンピックのテレビ中継のために研究・実験が進められていたが、日中戦争によりオリンピック開催が返上され、その後も太平洋戦争が激化することに伴い、研究が一旦中断される。
白黒テレビ

終戦後、GHQにより、テレビ研究の禁止令が出されていたが、1946年(昭和21年)から再開され、1953年(昭和28年)1月にシャープから国産第1号の白黒テレビが発売される(サイズは14インチ、価格は175,000円)[5]。 同年2月に日本放送協会(NHK)がテレビ本放送を開始。その当時は高価だったことから、一般家庭における購入者は富裕層がほとんどであったため、同年8月に開局した日本初の民放テレビ局である日本テレビ放送網(日本テレビ)[※ 2]広告料収入と受像機の普及促進を兼ねる形で街頭テレビを設置し、当時の看板番組で、力道山戦などのプロレス中継巨人戦が主のプロ野球中継大相撲中継などのスポーツ中継の時間には街頭テレビに人が集まるほどの人気と広告収入が一番大きかったため、後に開局した大阪テレビ放送(OTV・現:朝日放送テレビ)と中部日本放送のテレビ部門(現:CBCテレビ)にも波及した。そのため、客寄せの一環で喫茶店銭湯などにも家庭用テレビが業務用途に設置する動きも診られるようになった。家電屋の店頭に設置したテレビも事実上の街頭テレビと看做されている。後に一般家庭にも1959年(昭和34年)の皇太子明仁親王の成婚パレードを境に普及が進んだ。1950年代後半から1960年代初頭までには、白黒テレビは電気洗濯機電気冷蔵庫などとともに「三種の神器」の一つに数えられるようになった。「まず百人のうち九十人までは夕食後のひとときを自宅の茶の間でテレビをたのしむような生活がしたいと望んでいるのだよ。ところがテレビは二十万円もして手が出ないから、ビールかコーヒーをのんで喫茶店のテレビでまにあわせたいが、その金も不足がちだ。そこでテレビの時間になると子供遊園地が大人で押すな押すなだよ。無料のテレビがあるからさ」
ちまたの消息通だけあって、うまいことをいう。これは桐生に限らないだろう。日本人の多くの人々がせめて自宅の茶の間でテレビをたのしむ生活がしたいと考えているに相違ない。しかし思えば文明も進んだ。自宅に好むがままの芸人や競技士をよんで楽しむことができたのは王侯だけであったが、いまやスイッチをひねるだけで王侯の楽しみができる。天下の王侯も今ではたった二十万円かといいたいが、あいにく拙者もまだ王侯の域に達していないのである。
「数年のうちにすべての家庭にテレビを」
と約束してくれるような大政治家が現われてくれないものかと思う。民衆の生活水準を高めることを政治家の最上の責務と感じる人の出現ほど日本に縁のなかったものはない。 ? 坂口安吾『桐生通信』[6]
カラーテレビ

1960年(昭和35年)7月、東芝から国産初のカラーテレビが発売される(サイズは21インチ、価格は52万円)[7]カラーテレビ1964年(昭和39年)の東京オリンピックを契機に、各メーカーが宣伝に力を入れはじめ、1960年代後半には、カラー放送が大幅に増えたことによって普及が進んだ。カラーテレビはクーラー自動車などとともに「新・三種の神器」(3C)の一つに数えられるようになった。1973年(昭和48年)には、カラーテレビの普及率が白黒テレビを上回っている。

放送時術の進化に合わせて、1978年(昭和53年)頃からは音声多重放送対応テレビ、1990年代になるとハイビジョン放送対応テレビが登場した。

輸出も盛んに行われ、世界各地に日本メーカーのテレビが鎮座していたが、1985年(昭和60年)のプラザ合意以降は輸出が減っていった[8]
デジタル移行期
薄型テレビ

2000年代になると、約半世紀に渡って大多数を占めたブラウン管テレビに代わって、液晶ディスプレイプラズマディスプレイを使用した薄型テレビが台頭した。電子機器メーカーの業界団体、電子情報技術産業協会(JEITA)によると、2003年に液晶・プラズマといった薄型の出荷額がブラウン管を初めて上回った。これは既に国内メーカーはブラウン管テレビの国内生産を打ち切っており、将来的にその生産自体を取り止める方針である事(後述)や、小型軽量かつ省エネ・省スペースである点が消費者に受け入れられている事などが挙げられる。

ブラウン管式のテレビ受像機は、2001年以降、冷蔵庫洗濯機エアコンとともに家電リサイクル法の対象商品とされ、廃棄する際に粗大ゴミとして出せなくなり、メーカーごとの窓口への有料(6000?10000円程度かかる)引き取り手続きなどが義務付けられている。なお、2009年4月より、液晶やプラズマなどの薄型テレビ受像機も、家電リサイクル法の対象に追加された。ただし、廃棄にかかる時間や手間、費用がかかるためなのか、日本各地の森林や山奥に不法投棄されるなどし、大きな問題となった。業界団体によれば、アナログ放送停波に伴い、6400万台のアナログ式受像機が廃棄されると予測されていた[9]

2015年、ブラウン管式のテレビ受像機の製造を日本国内のメーカーとして最後まで続けてきたシャープが、フィリピンで行なってきた製造から撤退。


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