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株式会社テレビ信州
TV Shinshu Broadcasting Co., Ltd.
テレビ信州本社(旧放送センター)
種類株式会社
略称TSB
本社所在地 日本
〒380-8555
長野県長野市若里一丁目1番1号
設立1979年(昭和54年)12月3日
業種情報・通信業
法人番号1100001006002
事業内容放送法に基づくテレビジョン放送事業
代表者代表取締役社長 小谷野俊介
資本金12億円
売上高47億2071万2000円
(2023年3月期)[1][2]
営業利益1億2365万1000円
(2023年3月期)[1][2]
経常利益1億3653万円
(2023年3月期)[1][2]
純利益6584万8000円
(2023年3月期)[1][2]
純資産60億3041万6000円
(2023年3月期)[1][2]
総資産72億8471万8000円
(2023年3月期)[1][2]
従業員数90名(2022年)
決算期3月31日
主要株主日本テレビホールディングス 19.6%
読売新聞グループ本社 16.6%
(2023年3月1日時点)[3]
主要子会社株式会社テレビ信州エンタープライズ
関係する人物小林司郎(初代社長)
外部リンクhttps://www.tsb.jp/
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テレビ信州
英名TV Shinshu
Broadcasting Co., Ltd.
放送対象地域長野県
ニュース系列NNN
番組供給系列NNS
略称TSB
愛称テレビ信州
TSB
呼出符号JONI-DTV
呼出名称テレビしんしゅうデジタルテレビジョン
開局日1980年10月1日
本社〒380-8555
長野県長野市若里一丁目1-1
演奏所本社と同じ
リモコンキーID4
デジタル親局長野 14ch
アナログ親局長野 30ch
ガイドチャンネル30ch
主なアナログ中継局#テレビチャンネル参照
公式サイトhttps://www.tsb.jp/
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テレビ信州松本営業部(旧本社)略称ロゴ
株式会社テレビ信州(テレビしんしゅう、英: TV Shinshu Broadcasting Co., Ltd.)は、長野県を放送対象地域とし、テレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者。
略称はTSB。 長野県で3番目に開局した、日本テレビ系列フルネットの民放テレビ局。局名に旧国名の「信州」が含まれており、このような例は全国でも少ない[注釈 1]。社名に「テレビ」を含んでいる放送局も、長野県内で同社のみである。コールサインはJONI-DTV。 開局から2007年(平成19年)9月までは本社が松本市にあり長野市には演奏所となる放送センターが置かれ、県内の放送局では唯一、「本社」と「演奏所」が分離していた(大半の放送業務は長野市の放送センターから行っていた)が、2007年(平成19年)10月より本社機能も長野市の放送センター内に移転した。なお、松本市の旧本社は現在「松本営業部」となっている。 アルピコグループと関係が深い。また、信濃毎日新聞[注釈 2]の資本も入っている。ほかに、NNN系列であるため日本テレビと読売新聞、さらにクロスネット時代の名残で朝日新聞とテレビ朝日の資本も入っている[注釈 3]。設立当初の発起人には当時の読売新聞名誉会長だった務臺光雄(長野県出身)も名を連ねていた。 長野朝日放送開局前の時点でのTSBは、ネット番組や資金、人的な結びつきなど多くの点で日本テレビの影響が大きかった上、日本テレビ、読売新聞グループの「TSB残留」の意思が極めて強固であった。なお、朝日新聞は最後までテレビ信州に残ることを強く主張して譲らなかったという[4]。 局のマスコットキャラクターとして現在は、2001年(平成13年)元日より登場した"マイチャン。"( ⇒参考リンク)を採用している。"マイチャン。"は、"銀河系のあっち、ほのぼの星"から来た宇宙人という設定である。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
概要
事業所
本社・演奏所
長野市若里一丁目1番1号(〒380-8555)
支社
東北信支社:本社に同じ
中南信支社:松本市丸の内4番18号(〒390-8611・旧本社)
東京支社:東京都中央区銀座五丁目3番13号 GINZA SS 85 10F
関西中部支社:大阪府大阪市北区堂島二丁目1番31号 京阪堂島ビル5F
支局
上田支局:上田市中央二丁目8番11号 伊藤ビル4階
南信支局:伊那市狐島3683-2 SKYマンション1階
沿革
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長野県第3波の電波割り当て時には、499件の申請があった[5]。これらの申請を1本化したのが、現在のテレビ信州である。
1973年(昭和48年)10月 - 長野県に民放第3局の周波数割り当てが決定される。長野地区では499件の免許申請があった。
1979年(昭和54年)
10月30日 - 予備免許交付。
12月3日 - 会社設立。初代社長に小林司郎が就任。
1980年(昭和55年)
9月24日 - サービス放送(TSBではこれを「試験放送」として、同社の広告・新聞等に記していた)を開始。
同時に音声多重放送の実用化試験放送も開始。
これに伴い、信濃毎日新聞での試験放送扱いでの番組表の掲載が開始。
10月1日 - 長野県3番目の民放テレビ局として開局。
この日から、信濃毎日新聞での番組表が本掲載となる。
当初はNNNとANN5:5のクロスネットだった(※開局から1991年(平成3年)3月31日までのニュースローテーションは朝NNN → 昼ANN → 夕方ANN → 夜NNNであった)。
開局時のキャラクターは「ヒカル」と「ミドリ」。イメージソング「テレビ信州の歌」の題名は「みつめあえばそこに」。
開局当日、『NNN朝のニュース』(開局時最初の日本テレビ系列の番組)、『ズームイン!!朝!』、『モーニングショー』(『溝口泰男モーニングショー』時代。開局時最初のテレビ朝日系列の番組)において、長野市にある同社放送センターから全国へ生中継を行う。
10月4日 - 開局記念番組として、『特別座談会 テレビ信州に望む』(14時から放送)、『集まれワッショイ!!お祭りひろば』(15時から松本市より放送。司会は押阪忍)を放送する。※いずれも生放送番組だった。
10月5日 - 開局記念番組として、『松本・長野二元ディスカッション ザ・テレビジョン、そしてその未来』を放送する(司会は伊丹十三)。※こちらも同じく生放送番組だった。
1982年(昭和57年)10月6日 - 第1回TSB児童画展開催。
1983年(昭和58年)9月22日 - アナログ・テレビの音声多重放送の本放送の免許を取得。これに伴い、同放送が本放送に切り替わる。[6]
1987年(昭和62年)10月1日 - テレビ朝日初のゴールデンタイム時間帯の平日ニュース番組『ニュースシャトル』(19:20から40分間の番組)が同年10月19日から放送開始するのに伴い、編成の一部を変更。ゴールデンタイムの約7割がテレビ朝日系列の番組となる。
※@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}この編成に対し視聴者からの不満が同社に殺到。長野県内での視聴率が最下位に転落した。また、全国的な視聴率も、この辺りからテレビ朝日は低下し、日本テレビは上昇傾向となった[要出典]。
1989年(平成元年)
1月26日18時8分?21時44分 親局である美ヶ原送信所の電源設備が故障し、さらに美ヶ原送信所から中継局へ電波を送信できなくなった影響を受け、3時間35分に亘り長野県全域で停波。TSBに問い合わせの電話が殺到する事態となった[7]。
4月3日 - 前記の『ニュースシャトル』の放送時間が、夕方の18時からの50分間の番組に変更。これに伴い、ゴールデンタイムの日本テレビ系とテレビ朝日系の番組比率が、同番組開始以前の5:5に戻る。
1991年(平成3年)
3月31日 - 翌日の長野朝日放送(ANN・テレビ朝日フルネット局)の開局に伴い、この日の『日曜洋画劇場』[注釈 4]の同時ネットを最後に、テレビ朝日系列の番組が姿を消す。
4月1日 - この日の長野朝日放送開局に伴い、ANNを脱退。これによりTSBは、日本テレビ・NNNのフルネット局となり、同時に同日開局した長崎国際テレビと共に、NNSに正式加盟する。
1996年(平成8年)
4月27日 - 長野県更埴市(当時、現在の千曲市)で発生した山火事の消火活動の取材のため、チャーターしたヘリコプター(東邦航空所属)が、同じく取材飛行中の長野放送のヘリコプター(朝日航洋が受託運航)と長野市篠ノ井横田の上空で衝突し、墜落する事故が発生。搭乗していた記者およびカメラマンを含む計4人全員が死亡[注釈 5][8][9]。