テレビ伝道師
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伝道師(でんどうし、: evangelist(エバンジェリスト))とは、伝道師とは、キリスト教聖公会プロテスタント教職者のうち、下記に例示される何らかの意図・理由などにより、牧師とは区別される伝道者の役職名あるいは称号。
按手礼を受領しておらず、聖礼典を執行する権能を持たない、下位教職位の教会担任教師。聖礼典を執行する権能を持つ教会担当教師を正教師というのに対して、それを持たない伝道師を補教師という場合がある。

牧師の資格をもっているいないは関係なく教会を牧していない巡回説教者、路傍伝道者の通称名。

この語は、上述の用法から転じて、他人に企業製品やサービスを熱心に勧める人に対して使われる場合がある。
テレビ伝道師グアテマラの福音派テレビ伝道師、キャッシュ・ルナ 。

テレビ伝道(: televangelism)[1]とは、布教活動で特にテレビ媒体を活用するものを言う。テレビ伝道師は公式であれ自称であれ、自身の宗教活動の大部分をテレビ放送に捧げる伝道者である。一部のテレビ伝道師は自分の礼拝所(多くの場合メガ・チャーチ)の正規牧師なり聖職者であるが、その信徒の大半はテレビやラジオの視聴者から来ている。それ以外は伝統的な信徒教会を持っておらず、主にテレビを通して活動している。

テレビ伝道はアメリカ合衆国特有の現象として始まったもので、事実上誰にでもテレビ放送網ケーブルテレビの視聴が開かれている大規模なメディア規制緩和と、必要資金を提供できる大規模なキリスト教人口とが相まって出来上がったものである。自主制作であれキリスト教派を中心に組織運営されたものであれ、テレビ伝道は米国の福音派プロテスタントの聴衆の間で特に人気を集めていた。ただし、放送グローバル化の発展で一部の米国テレビ伝道師の番組が、トリニティ・ブロードキャスティング・ネットワークやゴッド・チャンネルといった、一部キリスト教徒向けの性質がある国際放送網を通じて、より広範な視聴者に届けられるようになった。ブラジルなど幾つかの国では自国内で生み出されたテレビ伝道が存在しており、増加しつつある。

一部の国では、宗教放送の視聴に全面規制がされていたり宗教放送に特殊規則がある規制媒体となっている。こうした国では、宗教番組は民間の利益団体ではなく一般的にはテレビ局側によって(時には規制案件または公共要件として)制作されている。
用語ローマカトリック教会フルトン・J・シーン司教

テレバンジェリズムという単語は、テレビと福音伝道(エバンジェリズム)のかばん語であり、南部バプテスト連盟による小規模なテレビ連続番組の題名として1958年に創られた[2]。ジェフリー・K・ハデンとチャールズ・E・スワンが1981年の調査報告書『Prime Time Preachers:The Rising Power of Televangelism』でこの言葉を普及させたとされている[3]。ただし、1952年にはテレバンジェリストという用語が既にタイム誌で使われており、当時テレビ映えするローマカトリック教会フルトン・J・シーン司教が「最初のテレバンジェリスト」として言及されている[4]
全米宗教放送事業協会

福音派プロテスタントの全米宗教放送事業協会 (National Religious Broadcasters) は1944年に設立された。
歴史
ラジオ(1920年代以降)

キリスト教は、大宣教命令の啓発として福音教義を世界じゅうに説くことを常に強調してきた。 歴史的に、これは十二使徒の拡散に始まる宣教師の派遣によって行われ、後年には印刷機発明後の聖書および宗教トラクトの配布なども含まれた。1920年代に始まるラジオの急速な普及はこの任務にとって強力な新しい道具になると一部のキリスト教徒が理解して、彼らはラジオ番組の最初のプロデューサーになった。ラジオ放送は伝統的な宣教師を補完する活動と見なされ、比較的低コストで膨大な人数に教義を届けられるようになり、違法として宣教師が禁止された国でもキリスト教を説くことが可能になった。クリスチャンラジオの目的は、人々をキリスト教に改宗させて信徒達に教義や支援を施すことだった。これらの活動は特に発展途上圏で現在も続いている。世界規模で放送されているキリスト教構成の短波放送局には、エクアドルのHCJB(アンデスの声で知られる)、ファミリーラジオのWYFR、BBN聖書放送などがある。

米国では、1930年代の世界恐慌により中西部と南部で改宗テント[注釈 1]での説教が復活したのが確認され、巡回移動する説教師は町から町へと巡って、寄付金で生活していた。幾人かの説教師が自身の人気の結果としてラジオ番組を始めた。ラジオを大々的に使った最初の牧師の1人が、1923年に番組を始めたS・パークス・キャドマンだった[5][6]。1928年には、毎週日曜の午後にキャドマンがNBCラジオ網でラジオ放送をしており、彼の強力な演説は全米500万人の聴衆に届けられた[7]

より多くの聴衆に届けるため即座にラジオに鞍替えしたもう一人の先駆的なテント改宗説教師がエイミー・センプル・マクファーソンだった。1920年代と1930年代のラジオは最終的には彼女に全米的な評判を与え、ペンテコステ派最初期のメガチャーチの1つを建設するまでになった。

1930年代、当時の有名なラジオ伝道師はローマカトリック教会の司祭チャールズ・カフリンだった。彼の強力な反共産主義反ユダヤ主義のラジオ番組は何百万人もの聴衆に届いた。1920年代から1930年代にかけて米国で全国放送されたその他の初期クリスチャンラジオ(カッコは放送年度)には、ボブ・ジョーンズ・シニア(1927-1962)、ラルフ・W・ソックマン(1928-1962)、G・E・ロウマン(1930-1965)、チャールズ・E・フラー (1937-1968)などが出演、番組では『Music & the Spoken Word』(1929-現在)、『The Lutheran Hour』(1930-現在)、などがあった[8][9]。タイム誌は1946年、ラルフ・ソックマン牧師出演のNBC放送番組『全国ラジオ講壇(National Radio Pulpit)』が毎週4000通の手紙を受け取っており、ローマ・カトリック教会のフルトン・J・シーン大司教が毎週3000-6000通を受け取ったと報じた。その年の米国でラジオ牧師たちのラジオ番組を聴いていた人達の合計は、1000万人と推定された[10]
テレビ(1950年代以降)ビリー・グラハム テキサス州にあるメガチャーチ、レイクウッド教会のテレビ伝道師ジョエル・オスティーン

テレビも1930年代に始まったが、1950年代初頭まで宗教目的では使用されなかった。 1949年春に(先駆けとして)ジャック・ウィルツェンとパーシー・クロフォードがテレビ放送に転向した。注目すべきもう1人のテレビ説教師がフルトン・J・シーンで、彼は人気ラジオ放送を20年経て1951年にテレビに鞍替えしても成功し、タイム誌は彼を「最初のテレビ伝道師」と称した[11]。シーンは1950年代初頭から1960年代後半にかけて、自身の番組で数々のエミー賞を受賞した。

レックス・ハンバードは、長年のラジオ放送を経た1952年に毎週テレビで教会儀式を放送した最初の人物となった[注釈 2]。1980年までに、レックス・ハンバードの番組は91言語695放送局もの世界中で放送され、これまでの伝道番組で最大のカバー範囲である。1957年までにオーラル・ロバーツの放送は、放映可能な500局のうち135局を介してテレビ視聴可能地域の80%に届けられた[13]

1960年代から1970年代初頭の米国では、テレビが家庭の主な娯楽メディアとしてラジオに取って代わったが、それは特にビリー・グラハムの国際的なテレビ・ラジオ伝道放送を介した福音派キリスト教のさらなる信徒数増加とも一致した。多くの有名なテレビ伝道師がこの時期に活動を開始し、中でも著名なのはオーラル・ロバーツ、ジミー・スワガート、ジム・ベイカー&タミー・フェイ(彼らは日本語版『PTLクラブ』も放映)、ジェリー・ファルエルパット・ロバートソンらである。大半が独自のメディア網、ニュース告知、政治的影響力を展開した。21世紀には、テレビ放送された幾つかの教会礼拝が引き続き多くの聴衆を引き付けた。米国には、ジョエル・オスティーン、ジョイス・マイヤー、T・D・ジェイクスが[14]、ナイジェリアには、イーノック・アデボイエとクリス・オヤキロムがいる[15]


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