テレビのツボ
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テレビのツボ
番組の生放送が行われていたうめだ花月
ジャンル情報バラエティ番組
企画MBS放送研究会
出演者ぜんじろう
大桃美代子
藤岡久美子
ほか
オープニング当該節参照
製作
プロデューサー増谷勝己
浜田尊弘
西原かなえ
制作毎日放送

放送
音声形式モノラル放送
放送国・地域 日本

テレビのツボ
放送期間1992年10月6日 - 1995年9月30日
放送時間当該節参照
回数715

週刊テレビのツボ
放送期間1995年10月7日 - 1996年3月23日
放送時間土曜 0:50 - 2:20
放送分90分
回数24
特記事項:
MBS毎日放送社長賞受賞
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『テレビのツボ』は、1992年10月6日(5日深夜)から1995年9月30日(29日深夜)まで毎日放送で放送されていた情報バラエティ番組である。全715回[1]。毎週月曜深夜から金曜深夜の週5日間、大阪うめだ花月シアター(後のうめだ花月)からの生放送

この項目では、1995年10月7日(6日深夜)から1996年3月23日(22日深夜)まで同局で放送されていた後継番組『週刊テレビのツボ』(しゅうかんテレビのツボ)についても触れる。
概要近畿地方

近畿地方で放送される全てのテレビ番組の中から面白視聴ポイント(ツボ)を探し出し、それらを面白おかしく紹介していた関西ローカル深夜番組である[2]。それを通じて、改めて視聴者にテレビ視聴の面白さに気付いてもらおうというのが基本コンセプトとして存在していた[2]。視聴者からは「テレツボ」という愛称で呼ばれて親しまれていた。

この番組は、毎日放送の自社製作番組やTBSからのネット受け番組のみならず、他系列局が放送する番組も題材に取り上げていた。そのため、いつしか各放送局間の橋渡しに一役買う存在となっていた。実際、他局の番組制作関係者や広報担当者たちもたびたびこの番組にゲスト出演していた。しかし、他局の番組をネタにするにあたって該当番組の録画VTRを使用すると映像の著作権等の問題が発生してくるため、これに関してはその状況を描いたフリップを使いながら出演者に説明させるという、低予算番組であることを逆手に取った手法でどうにかクリアしていた。この番組が持っていた「無局籍」なスタンスは、その後も毎日放送の自社製作番組群に受け継がれている。2000年以降の例としては朝の情報番組『あん!』があり、同番組も一部のコーナーで他局の番組の考察や視聴率ランキングの発表などを行っていた。

番組は週5日間の帯で放送されていたが、深夜のローカル番組ということもあって毎日放送から与えられる制作予算は非常に限られていた[2]。番組内での公表によれば、当初の制作予算は1回の放送につき50万円で、司会を務めていたぜんじろうの1か月分のギャラは88,888円(源泉徴収税を引いた後の手取り金額は8万円)だったという。そのような中にありながらも展開していた企画内容の斬新さは視聴者から高く評価され、深夜帯ながら視聴率が10%を超えることもあった[3]。また、視聴者に自らが見つけたネタをハガキFAXで投稿するよう募集を掛けてはそれらを積極的に紹介したり、毎日放送社長賞を受賞した時にもその賞金を番組イベントの参加者たちに配布するグッズの原資に充てるなど[4]、視聴者・ファンを大事にする姿勢を明確にしていた。

番組は3年間にわたって放送され続けたが、全国ネット番組の仕事が増え始めていたぜんじろうが東京へ転居することが決まっていたこともあり[5]、1995年9月30日(29日深夜)放送分をもって一旦終了。その翌月からは『テレビのおもうツボ』という枠を新設し、月曜から木曜まではリポーターがビデオカメラで撮影してきた映像を基にトークをする新番組『ビデリンが行く!』(司会:ベイブルース高山)を、金曜にはテレツボの縮小版『週刊テレビのツボ』(司会:ぜんじろう、藤岡久美子)を放送するようになった。

なお、番組タイトルにある「の」の文字は、実際のタイトルロゴにおいては左右反転した形(鏡文字)で表記されていた。これは『週刊テレビのツボ』でも同様である。
放送時間
テレビのツボ

火曜 - 金曜 0:50 - 1:50 (月曜深夜 - 木曜深夜)、土曜 0:20 - 1:50 (金曜深夜、1992年10月 - 1994年2月)

火曜 - 金曜 0:53 - 1:53 (月曜深夜 - 木曜深夜)、土曜 0:20 - 1:50 (金曜深夜、1994年3月 - 1995年3月) - このほか、1993年10月にも2週間ほど同時間帯で放送されていた時期がある。

火曜 - 金曜 0:50 - 1:50 (月曜深夜 - 木曜深夜)、土曜 0:50 - 1:50 (金曜深夜、1995年4月 - 1995年9月) - 『
エリアコードドラマ06』の放送開始に伴い、金曜の放送枠が60分に縮小。

週刊テレビのツボ

土曜 0:50 - 2:20 (金曜深夜、1995年10月7日 - 1996年3月23日) - 週に1回の放送に縮小。

出演者

レギュラー陣およびコーナーレギュラー陣のみを挙げる。番組本編においてはぜんじろうと大桃美代子、もしくはぜんじろうと藤岡久美子のペアで進行するのが通例だったが、番組イベントにおいてはぜんじろう・大桃・藤岡の3人が揃った状態で行われることが多かった。
レギュラー
ぜんじろう
この番組の司会者で、週5日間毎日出演していた。番組の進行中に話が脱線すると、おかんの話や自分の中学・高校時代の話などに逸れることが多かった。司会に起用された理由は、「(番組を始めるにあたって司会を誰にするかで)うめだ花月に一番近いところに住んでいる芸人だったから選ばれた」とぜんじろう自身が番組内で語っていた。また、実際にうめだ花月まで自転車で来ていたとも語っている。放送中期以降のテレツボでは、スタジオにぜんじろう顔の巨大なカマキリのバルーンが鎮座していた。
大桃美代子
月曜・火曜・水曜担当のアシスタント。彼女がメインを務めたコーナーに「大桃美代子の教育テレビでエデュケーション」がある。また、時折チャンネル君たちと一緒にマライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」などを歌う自身の特別コーナーを設けてもらっていた。意外なところでマニアックな知識を持っており、放送中期火曜の「KING OF THE BATTLE」のコーナーで『機動戦士ガンダム』のモビルスーツの絵柄が入ったグラスを手に取った瞬間、「あ、ゲルググとかがいるー」と発言したことがある。彼女をモチーフにしたスタジオセットのバルーンは、大きな目とテレツボのロゴマークが付いたの実。
藤岡久美子
木曜・金曜担当のアシスタントで、テレツボの縮小版『週刊テレビのツボ』にも引き続き出演していた。大桃とはまた違うタイプの庶民的ないじられキャラで[6]、ぜんじろうからよく私生活でのエピソードや『宵待5』でのエピソードを番組トークのネタにされていた。彼女がメインを務めたコーナーに「藤岡久美子の打って、勝って、ロッテ」がある。放送初期においてはウェーブが掛かったロングヘアで、アップスタイルにしていることも多かったが、放送中期からはストレートヘアのショートになった。彼女をモチーフにしたスタジオセットのバルーンは、唇とほくろが特徴的な黄色いカエル
その他の主な出演者
チャンネル君
「きょうのテレビのツボ」のコーナーで各局放送番組のツボネタを報告していたアルバイトスタッフたち。このコーナーで報告するツボネタを調達してくるのもチャンネル君たちの仕事で、関西で放送される全てのテレビ番組の中から本番での報告に耐えうるだけのツボネタを探し出すため、放送当日日付変更前の早朝(
オープニングの時間帯)から23時頃まで担当チャンネルを見続けるという生活を送っていた。メンバーは曜日ごとに異なる上に、先のコーナーでの担当チャンネルも各人に振り分けられていたため、大勢の若者たちが籍を置いていた。また、女性も多かった[7]。チャンネル君たちは春と秋の改編期を目処にメンバーの入れ替えが行われていたが、中には番組スタート時から終了時まで在籍していた者もいる。
放送作家
この番組の構成を担当していた5人の放送作家たちは、たびたび「今日の特集」のコーナーに出演しては自ら業界ネタを発表していた。また、月曜担当の小林仁は自らが手掛けていた月曜の「テレツボ遣唐使」にも出演。そして、水曜担当の内木場秀樹と金曜担当の吉村智樹は「KING OF THE BATTLE スペシャル」の回に参加者としてエントリーし、非常にマニアックな所持品の数々で後述の渡辺享やリットン調査団藤原光博らとバトルを繰り広げた。その他の放送作家についてはスタッフの節を参照。
イラストレーター
「きょうのテレビのツボ」や「今日の特集」のコーナーで使うフリップのイラストや、スタジオセットの背景画などを担当していた5人のイラストレーターたち。このうち、木曜担当のD・K・ウラヂ(現・浦地思久理)は「今日の特集」のコーナーに出演し、自ら業界ネタのレポートを行っていた。その他のイラストレーターについてはスタッフの節を参照。
前塚厚志


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