テレタイプ端末
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ASR-32。テレックスで使われたテレタイプアメリカ軍の空母イントレピッドで通信に使用されたテレタイプ(現・イントレピッド海上航空宇宙博物館展示品)日本勧業銀行で本・支店間の通信に使用されたテレタイプ(1967年)紙テープリーダーとパンチを備えた ASR Teletype Model 33 は、コンピュータ用端末として使用可能

テレタイプ[1](端末)(テレタイプ(たんまつ)、英語: teletype、あるいはteletypewriter)は、回線で信号を送/受信するための、タイプライター的な装置[2]。テレプリンタ(英語: teleprinter)、TTYとも。漢字表記では印刷電信機。通信用だけでなく、コンピュータの入出力装置としても使われた。今日ではほとんど使われなくなった。
概要

もともと通信のために使う電動機械式タイプライターであり、いわば遠く離れて動かせるタイプライターやプリンタなのでteletypeやteleprinterと命名された。(tele-はギリシア語由来の接頭辞であり、「遠く離れて」という意味である。)
通信用

もともと有線式の電信に使われ、2台を単純に電線(導線)で直結するだけでも作動する[注釈 1]。その後様々な有線通信無線通信で使われるようになった装置であり、専用線、交換網、無線回線、マイクロ波リンクなどでも動く。
コンピュータの入出力用

通信用だけでなく、メインフレームミニコンピュータ入出力用の端末ユーザインタフェース)として、コンピューター・ルーム(計算機室)内に設置されて使われた。

特に1960年代初頭あたりからタイムシェアリングシステムが広まると、使われる台数が増え、モデムを介して電話回線で遠隔のコンピュータに接続しても使われた。
紙テープつき

テレタイプはそもそも普通の用紙に印字する装置であるが、それに加えて紙テープでもキーボードからの入力や受信したメッセージを記録できる機種もあり、紙テープに記録したメッセージを印刷したり再送したりといったことが可能である。また、この紙テープはコンピュータの入出力に使われるものと互換性があった。
プロトコル

物理的な装置としてのテレタイプは使われなくなったものの、そのプロトコルは現在でも使われることがある。いわゆるパソコン通信も、TTYの通信プロトコルを応用したものだった。UNIXシステムなどでは今も「TTY」という用語が使われている。

航空管制業務では今も広く使われており(AFTN(英語版)など)、またろう者が電話回線経由で通信するための装置「聴覚障害者用文字電話」(Telecommunications Devices for the Deaf、TDD)でも使われている。
歴史

テレタイプはロイヤル・E・ハウスデイビッド・エドワード・ヒューズ、チャールズ・クラム、エミール・ボドーなど多数の技術者の一連の発明によって進化した。

1846年、ワシントンD.C.とニューヨーク間でモールス式電信システムが開通した。同年、ロイヤル・E・ハウスが電信印刷機の特許を取得している。28キーのピアノ状のキーボード2台を相互接続したもので、各キーがアルファベットに対応していて、一方のキーボードのキーを押下すると相手側でその文字が印字される仕組みになっていた。「シフト」キーがあるので、各キーは2種類の値を発生できる。そのため合計56種類の活字で構成されるタイプホイールが双方にあり、同期して回転する仕組みになっている。送信側でキーを押下すると、受信側のタイプホイールが回転して対応する活字が印字される位置に移動する。したがってこれは同期式データ転送システムの一種である。ハウスの装置は1分間に約40語を伝送できたが、大量生産は難しかった。印字機構は1時間に2,000語まで印字可能だった。この発明は1844年、ニューヨークの Mechanics Institute で完成し展示された。

テレタイプの運用は1849年、フィラデルフィアとニューヨーク間で始まった[3]

1855年、デイビッド・エドワード・ヒューズがロイヤル・E・ハウスの作ったマシンを改良した。それから2年以内にいくつかの電信会社が合併してウエスタンユニオンが結成され、ヒューズのシステムを商用電報に適用しはじめた[4]ボドーの電信装置

1874年、エミール・ボドーが5単位(5ビット)符号体系(Baudot Code)を使ったシステムを設計。このシステムは1877年にフランスで採用された。1897年、パリとロンドン間の単方向通信システムにボドーのシステムが採用され、その後イギリス国内の電信サービスでも双方向のボドーシステムが採用された[5]Donald Murrayと電信用タイプライタ

1901年、Donald Murray(ドナルド・マレーもしくはドナルド・ミュレー)がタイプライター状のキーボードの開発過程でボドーの符号体系に改良を加えた。ミュレーのシステムはキーボードからの入力をいったん紙テープに鑽孔可能で、紙テープからメッセージを送信できる装置も備えていた。受信側では、メッセージを紙テープに印字することもできるし、鑽孔することもできる[6]。このようにすることでオペレータの手の動きと転送されるビット列は直接の関係がなくなったため、オペレータの疲労を最小化する必要がなくなり、むしろよく使われる文字のコードが紙テープ上で穴が少なくなるように修正を加えた。ミュレーはまた「制御文字」と呼ばれるコードとしてキャリッジ・リターン (CR) や改行コード (LF) を符号体系に加えた。NULL、BLANK、DELといったコードはボドーの符号体系から移動させられ、その値が長らく使われることになった。NULLやBLANKは送信中に何も送信していない状態を表すのに使われた[7]

1902年、電気技師 Frank Pearne は電信印刷機の実用化の研究スポンサーを求め、Morton Salt の Joy Morton に接触した。Joy Morton はそれが出資に値するか否かを判断するため、Western Cold Storage Company の副社長で技師のチャールズ・クラム(英語版)に意見を求めた。クラムはPearneの研究に関心を寄せ、Western Cold Storage の研究室にそのためのスペースを設けた。Frank Pearne は1年ほどでプロジェクトに興味を失い、教職に就いた。クラムは研究を続け、1903年8月に ‘typebar page printer’ と題した特許を取得[8]。1904年には ‘type wheel printing telegraph machine’ と題した特許を出願し[9]、1907年8月に発効した。1906年には息子のハワード・クラムも父の研究に参加している。符号電信システムの通信開始・終了時の同期方法を考案し特許をとったのはハワードであり、それによってテレタイプ端末の実用化が可能となった[10]

1908年、(Joy Morton と Charles Krum の名を組み合わせた)モルクラム社がテレタイプ端末 Morkrum Printing Telegraph を開発し、Alton Railroad と共同で実地試験を行った。1910年、モルクラム社の初の商用テレタイプ端末がボストン-ニューヨーク間の電信線で導入された[11][12]

1916年、エドワード・クラインシュミット(英語版)がタイプバー式ページプリンターについての特許を出願[13]。1919年、モルクラム社が先述の開始・終了時の同期技法についての特許を取得すると、間もなくクラインシュミットが Method of and Apparatus for Operating Printing Telegraphs と題した特許を出願[14]。この特許にはモルクラム社の開始・終了技法の改良版が含まれていた[15]Creed社のModel 7(1930年)

開始・終了技法について特許紛争で時間と金を無駄にする代わりに、クラインシュミットとモルクラムは合併することを選び、1924年にモルクラム・クラインシュミットとなった。この新会社は両社の機種の長所を生かした新機種を開発した[15]

1924年、Frederick G. Creed が創業した Creed & Company がテレタイプ端末市場に参入。1925年、Creed は Baudot Code を合理化したミュレーの符号体系についての特許を獲得し、1927年の新機種にそれを採用した。この機種は受信したメッセージをゴムを塗布した紙テープに毎分65語の速度で印字でき、Creedとしては初の送受信機能を一体化した大量生産機だった。




イギリス空軍(1939年-1945年ころ)

空軍。第二次世界大戦ころ。

(1956年)

図書館間の相互貸出システム(1972年)

仕様と使用法

テレタイプ端末の文字セットはごく限られ、印字部は活字式プリンターであり印字品質は貧弱だった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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