テレサ・カレーニョ
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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はカレーニョ、第二姓(母方の)はガルシア・デ・セナです。

テレサ・カレーニョ
Teresa Carreno
撮影年未詳
基本情報
出生名マリア・テレサ・カレーニョ・ガルシア・デ・セナ(Maria Teresa Carreno Garcia de Sena)
生誕 (1853-12-22) 1853年12月22日
出身地 ベネズエラ カラカス
死没 (1917-06-12) 1917年6月12日(63歳没)
アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ニューヨーク市 マンハッタン
ジャンルクラシック音楽
職業ピアニスト
声楽家
作曲家
指揮者
担当楽器ピアノ
活動期間1862年 - 1917年

ポータル クラシック音楽

マリア・テレサ・カレーニョ・ガルシア・デ・セナ(Maria Teresa Carreno Garcia de Sena, 1853年12月22日 - 1917年6月12日)はベネズエラの上流階級出身の女性ピアニスト声楽家作曲家指揮者。一般には、テレサ・カレーニョ (Teresa Carreno) として知られている。生前は世界的なピアニストとして、また当時の最も重要なピアニストとして名を残し、しばしば「ピアノの女帝」「ピアノのヴァルキューレ」とあだ名されていた。
目次

1 生涯

2 業績

3 作品

3.1 ピアノ曲

3.2 合唱曲

3.3 その他の作品


4 参考文献

5 外部リンク

生涯

父マヌエル・アントニオ・カレーニョは、外務大臣や大蔵大臣を歴任したベネズエラの政治家で、素人ながらピアノの才能にも恵まれていた。また、スペイン語圏で広く知られ、たびたび版を重ねたスペイン語の礼儀作法の指南書『お行儀必携』(Compendio del manual de urbanidad y buenas maneras) の著者でもあった。母クロリンダ・ガルシア・デ・セナ・イ・トロは音楽家の娘である。父方の祖父ホセ・カイエターノ・カレーニョ(スペイン語版)(1774年 - 1836年)はベネズエラの作曲界の重鎮であった。

カラカスに生まれたテレサは父からピアノの手ほどきを受けた後、ドイツ系ベネズエラ人ピアニストのフリオ・オエネに師事する。1862年、カレーニョ家はベネズエラ国内の政変のためにアメリカ合衆国に移住し、テレサはニューヨークルイス・モロー・ゴットシャルクの指導を受ける。同年11月28日、わずか9歳にして、ニューヨーク・アーヴィン・ホールにてデビューを果たす。

1863年にはホワイトハウスエイブラハム・リンカーンに御前演奏を披露した。同年パリに上陸し、フレデリック・ショパンの高弟ジョルジュ・マティアスと、アントン・ルビンシテインにそれぞれ入門。ヨーロッパ全土で演奏活動に着手し、1876年にはオペラ歌手としてもデビューする。1885年になるまでベネズエラに帰国せず、しかもほんの束の間の滞在に留まったと言われている。1889年にヨーロッパに引き返し、同年11月18日にベルリンにデビュー。この地を拠点にさらに演奏旅行に勤しみ、1890年までの演奏旅行によって名声の頂点を築く。20世紀初頭には、2度の世界的な演奏旅行を行なったが、1917年に体調を崩し、マンハッタン96番街のウェスト・エンド・アベニュー749に位置する住宅「デッラ・ロッビア」に永眠した。

カレーニョは男性遍歴も華麗であり、4回の結婚歴がある。1873年から1875年までヴァイオリン奏者のエミール・ソーレと最初の結婚をして、この間に娘エミリタを儲けている。1876年から1891年まではイタリアのオペラ歌手、ジョヴァンニ・ターリャピエトラと内縁関係にあって2児を儲けた。そのうち娘のテレシータ・ターリャピエトラ=カレーニョは、母親と同じく有名なピアニストになった。カレーニョはカラカスでターリャピエトラと共同でイタリア・オペラを興行し、自らも歌手として舞台に上がった。1892年から1895年まではオイゲン・ダルベールと再々婚し(ダルベール自身、結婚回数の多さで名高い)、さらにオイゲニアとヘルタの2女を儲ける。1902年から没年までは、かつての義弟アルトゥーロ・ターリャピエトラと結婚した。
業績

カレーニョは、欧州や米国・豪州での演奏旅行の合間を縫って作曲も行い、少なくとも40のピアノ曲と2つの歌曲管弦楽伴奏による2つの合唱曲、2つの室内楽曲を書き上げた。だが未完成作品も少なくない。1905年4月2日に、自動再生ピアノ「ウェルテ=ミニョン」のために、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの《ヴァルトシュタイン・ソナタ》や自作曲を含む計18曲のピアノロールを録音した。これらは現在、ドイツフライブルク・イム・ブライスガウにあるフライブルク大学図書館と、同市のアウグスティン美術館に保存され、CDに復刻されている。翌1906年には、娘テレシータもウェルテ=ミニョンのための録音を行なった。

ピアノ教師としても活動し、門下には、エドワード・マクダウェルとテレマック・ランブリノ(1878年 - 1930年)がいる。ルドルフ・マリア・ブライトハウプト(1873年 - 1945年)は、近代的なピアノ奏法論『巨匠テレサ・カレーニョの自然なピアノ演奏法』をカレーニョに献呈している。

カラカスの「テレサ・カレーニョ総合文化施設」はカレーニョにちなんで名付けられ、テレサ・カレーニョ劇場 (Teatro Teresa Carreno) の名でも親しまれている。
作品 カレーニョ臨終の地を示す追悼碑

ベネズエラの国歌勇敢なる人民に栄光を》(Gloria Bravo Pueblo) は、同国の作曲家フアン・ホセ・ランダエタの作曲であるが、しばしばカレーニョが作曲したと誤解されることがある。カレーニョ自身、《ボリバル賛歌》(Himno a Bolivar) と《華麗なるアメリカを称えて》(Himno a El Ilustre Americano) の愛国的な合唱曲2つを作曲している。
ピアノ曲

ゴットシャルクのワルツ Valse Gottschalk, Op. 1

カプリス=ポルカ Caprice-Polka, Op. 2

ワルツ《花篭飾り》 Corbeille des fleurs, Valse, Op. 9

演奏会用ポルカ Polka de Concert, Op. 13

《ノルマ》幻想曲 Fantaisie sur Norma, Op. 14

バラード Ballade, Op. 15

嘆き(悲歌 第1番) Plainte, premiere elegie, Op. 17

別れ(悲歌 第2番) Partie, deuxieme elegie, Op. 18

《アフリカの女》幻想曲 Fantaisie sur L'Africaine, Op. 24

春 Le Printemps, Op. 25

夢の舞踏会 Un Bal en Reve, Op. 26

Une Revue a Prague, Op. 27

瞑想曲《海で見る夢》 Un reve en mer, Meditation, Op. 28

6つの演奏会用練習曲 Six Etudes de Concert, Op. 29

サロン風マズルカ Mazurka de salon, Op. 30

スケルツォ=カプリース Scherzo-Caprice, Op. 31

2つのイタリアのスケッチ Deux Esquisses Italiennes Op. 33
ヴェネツィア Venise

フィレンツェ Florence


スケルツォ風間奏曲 Intermezzo Scherzoso, Op. 34

子守唄《子供の居眠り》 Le Sommeil de l'enfant, Berceuse, Op. 35

小スケルツォ Scherzino, Op. 36

ハイランド(スコットランドの想い出) Highland (Souvenir de l'Escosse), Op. 38

幻想的円舞曲《偽りの音符》 La fausse note, Fantasie-Valse, Op. 39


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