テルニ
Terni
旧市街眺望
行政
国 イタリア
州 ウンブリア
県/大都市テルニ
CAP(郵便番号)05100
市外局番0744
ISTATコード055032
識別コードL117
分離集落#分離集落参照
隣接コムーネ#隣接コムーネ参照
地震分類zona 2 (sismicita media)
気候分類
テルニ(イタリア語: Terni ( 音声ファイル))は、イタリア共和国ウンブリア州南部にある都市で、その周辺地域を含む人口約111,000人の基礎自治体(コムーネ)。テルニ県の県都である。ウンブリア州では州都ペルージャに次ぐコムーネ人口を有する。
古代に起源を持つ都市であるが、19世紀以後に製鉄所を中心に工業都市として発展し、「鉄鋼の町」(La Citta d'Acciaio)、「イタリアのマンチェスター」(Manchester italiana)と称された。このために、第二次世界大戦では爆撃の被害を受けた。21世紀初頭の現在も重要な産業都市であるとともに、歴史・文化的遺産や自然環境を生かした観光業も発展している。また、都市の守護聖人である聖ウァレンティヌス(聖バレンタイン)にちなみ「恋人たちの町」(Citta degli Innamorati)という名でも称される。 テルニ県南東部のコムーネ。ヴィテルボから東北東へ約47km、州都ペルージャから南南東へ約64km、ラクイラから西北西へ約67km、首都ローマから北へ約75kmの距離にある。[4]テルニ県 隣接するコムーネは以下の通り。括弧内のRIはリエーティ県、PGはペルージャ県所属を示す。 この地方には青銅器時代からウンブリ人 紀元前3世紀にはローマ人(共和政ローマ)によって征服され、まもなくフラミニア街道上に位置する重要なムニキピウムとして位置付けられた。ローマ人はこの都市を「2つの川の間に」を意味する「インテラムナ」Interamna と名付けた。ローマ帝国時代、この都市には水路、市壁、野外劇場、神殿、橋など、いくつかの建物が建設された。 3世紀にインテラムナの司教を務め、殉教した人物にウァレンティヌスがいる。のちに聖人とされた「聖ウァレンティヌス」の伝承には、テルニのウァレンティヌスも含め複数の殉教者たちのイメージが重なっているとされるが、テルニは聖ウァレンティヌスを都市の守護聖人としている。 755年にランゴバルド人がこの地を征服すると、テルニはこの地方を代表する都市という位置を失い、(スポレートの後塵を拝して)スポレート公国で第二の都市という位置づけになった。1174年には神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(バルバロッサ)に従うマインツ大司教クリスチャン1世 (Christian I (archbishop of Mainz)
地理
位置・広がり
隣接コムーネ
アックアスパルタ
アッローネ
コッリ・スル・ヴェリーノ (RI)
ラブロ (RI)
モンテカストリッリ
モンテフランコ
ナルニ
リエーティ (RI)
サン・ジェーミニ
スポレート (PG)
ストロンコーネ
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Piazza del Popolo
マルモレの滝
歴史
古代
中世テルニのドゥオーモ(17世紀建設)
14世紀にテルニは、独自の都市憲章を制定した。1353年からは市壁が拡張され、新たな運河が開かれた。中世後期のイタリアの都市国家の多くと同ように、テルニでも教皇派(ゲルフ)と皇帝派(ギベリン)の党派に分かれてしばしば流血の抗争が行われた。のちに、テルニにおける両者は Nobili と Banderari という党派になった。
その後、テルニは教皇領となる。近代以後「鉄の町」として知られるテルニであるが、1580年にはモンテレオーネ・ディ・スポレートの鉄鉱山で産する鉄鉱石を用いた製鉄が行われており、伝統的な産業としての性格も持つ。