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「ジェリー伊藤」とは別人です。
テリー伊藤
2017年撮影
誕生伊藤 輝夫(いとう てるお)
(1949-12-27) 1949年12月27日(74歳)
日本・東京都中央区築地
職業制作会社経営、演出家、テレビプロデューサー、
タレント、評論家、著作家、司会者
国籍 日本
教育経済学士(日本大学)
修士(政策・メディア)(慶應義塾大学)
最終学歴日本大学経済学部卒業
慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了
デビュー作『お笑い北朝鮮』
配偶者既婚
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テリー伊藤(テリーいとう、本名:伊藤 輝夫〈いとう てるお〉、1949年12月27日 - )は、日本のテレビディレクター、テレビプロデューサー、タレント。テレビ番組制作会社・ロコモーション代表取締役社長、IVSテレビ制作非常勤相談役。東京都・中央区築地出身[1]。本籍地は千葉県山武郡横芝光町[2]。身長174cm。血液型O型。
芸名の「テリー」は本名の「輝夫」をもじったもの[3]。 実家は東京・築地場外市場にある玉子焼き店『丸武』[1]。早稲田実業学校中学部・高等部、日本大学経済学部卒業。日大の同期に松崎しげるがいる。 18歳の時に日大全共闘に参加する(彼が学生運動に参加する様子を当時のテレビカメラが捉えていた[4])が、デモ行進中に投げられた石が顔面に当たり重傷を負い、東京慈恵会医科大学附属病院に2ヶ月間入院。この怪我が元で、左目が55度外を向く「外斜視」になる。 大学卒業後は寿司屋やアパレルメーカーのアルバイトを経て、1973年にIVSテレビ制作に入社。2年後に放送が開始された『びっくり日本新記録』にADとして参加し、テレビマンとしてのキャリアを開始させた[5]。その後、「シマウマは素肌も白黒か?」や「たこ八郎に東大生の血液を輸血してIQ上昇実験」などを手掛けた[5]。 1985年に独立しロコモーションを設立。IVSにも籍を残し、自身も手がけていたIVS制作番組の『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』や『ねるとん紅鯨団』のゼネラルディレクター・総合演出を引き続き行った。ロコモーションとしては電通や吉本興業と共に立ち上げた『浅草橋ヤング洋品店』がテレビ東京としては好調な番組となった。 1993年、北朝鮮を訪問した際の体験談などを綴った『お笑い北朝鮮』を出版した[6]。 2007年頃、「キャラクタービジネスで "10億円稼ぐ"」ことを目標にプロジェクトを立ち上げ、「ナニティー」というキャラクターを誕生させる。また、その模様を2年半に亘り追ったドキュメンタリー映画『10億円稼ぐ』では自ら監督を務めた。 2017年、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程に入学、ラジオ通信販売における消費者心理学について研究した。2023年3月、同大学院を修了[9]、修士(政策・メディア)。 実家は祖父の代から玉子焼き店『丸武』を営んでおり、長兄・光男が店を継いでいる。テリーがレギュラー出演しているTBS『サンデージャポン』などの番組にこの長兄が「アニー伊藤」の通称でしばしばテレビ出演し、彼を困惑させている。2010年には、「つきじ丸武 玉子焼スイーツ」をプロデュースした[10]。 テリーの本名である伊藤 輝夫(いとう てるお)は、伊東四朗の本名である伊藤 輝男と読みが同じ。
略歴
テレビ業界へ
小泉純一郎の郵政民営化の際には、新聞広告に竹中平蔵とともに登場し[7]、民営化賛成の旗振り役を務めた[8]
大学院修士課程へ
人物
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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