テリー・サザーン(Terry Southern, 1924年5月1日 - 1995年10月29日)は、アメリカ合衆国の作家・脚本家・エッセイスト・大学講師。 1950年代には、パリ戦後文学運動の一翼を担い、グリニッチヴィレッジのビート作家に名を連ねた。1960年代には、スウィンギング・ロンドン サザーンの、広い視野・皮肉・暗くてしばしば不条理という作風は、多くの世代の、比較的インテリな、作家や読者・映画制作者や映画ファンに支持された。1962年には「エスクワイア(Esquire)」誌に『Twirling at Ole Miss』を発表してジャーナリストのトム・ウルフにニュージャーナリズムの素質を評価され(この頃「エスクワイア」は、ジョン・サック 生まれはテキサス州のアルバラード
概要
主たる業績
生涯
1958年には最初の小説『Flash and Filigree』がアンドレ・ダッチ(英語版)によって出版され、すぐに次の作品『ザ・マジック・クリスチャン』が出版された。1960年にはメイソン・ホッフェンベルグ(英語版)と共同で執筆した『キャンディ』が、マックスウェル・ケントン(Maxwell Kenton)名義で、伝説的な出版社オリンピア・プレスより出版された。また、サザーンとビート族詩人のグレゴリー・コルソは、オリンピアの出版者であったモーリス・ジロディアス(英語版)に、当時はまだ無名だったウィリアム・S・バロウズの小説『Naked Lunch』を売り込むことにも一役買った。1963年には短篇『The Road Out of Axotle』でオー・ヘンリー賞受賞。
1964年、英国俳優のピーター・セラーズの勧めもあって、映画監督のスタンリー・キューブリックがサザーンに『博士の異常な愛情』の脚本への協力を依頼した。キューブリックの初稿は、ピーター・ジョージ(英語版)の小説『Red Alert』に基づいていた。キューブリックとジョージ、そしてサザーンは、『博士の異常な愛情』のクレジットの上では脚本の共同執筆者となっているが、しかし実際は、この暗く風刺的な脚本は、ほとんどサザーンによって書かれたものであった。なお『博士の異常な愛情』の後、サザーンはコメディ映画の企画を探していたキューブリックの為に、ポルノ業界を描いた『Blue Movie』を執筆。結局、この作品は映画化されなかったが、昭和30年代に日本で早川書房が翻訳出版したが、内容が余りにも猥褻過ぎて、同社社長が警視庁でお咎めを受けた。
1960年代の後半、サザーンは映画の脚本を書き続けた。1965年の『ラブド・ワン』『コレクター』、1966年の『シンシナティ・キッド』、1967年の『007 カジノ・ロワイヤル』『バーバレラ』がその作品である。