テリー・カー
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル 文学

テリー・カー(Terry Gene Carr、1937年2月19日 - 1987年4月7日[1]は、アメリカ合衆国SF作家アンソロジスト編集者
経歴

オレゴン州グランツ・パス(Grants Pass)生まれ。1954年サンフランシスコのシティ・カレッジに入学。1957年カリフォルニア大学バークレー校に移り、1959年卒業。

1949年、SFファンダムの存在を知り、熱心なファンジン出版者となった。そのことが後に商業出版の編集者となる素地を作った。カーともう1人のSFファンは架空のSFファン「カール・ブランドン」を作り上げ、それが広く知られるようになり、カール・ブランドン協会 (Carl Brandon Society) はそれに因んで名付けられた。SFのプロとして経歴を積み上げる一方で、カーはSFファンとしての活動も死ぬまで継続し、ヒューゴー賞ベスト・ファンジン部門には5回ノミネートされ(1959-1961年と1967-1968年)、1959年にロン・エリックと共同編集した雑誌『FANAC』で受賞し、ベスト・ファンライター部門にも3回ノミネートされ(1971-1973年)、1973年に受賞した。また、1986年のワールドコンにはファン・ゲストとして招待された。

1961年ニューヨークに転居し、作家活動を開始した。作家としてのデビュー作は「Who Sups with Devil?」(『F&SF』誌1962年5月号)だが、徐々に編集の仕事に重点を置くようになる。

1962年から1964年まで出版エージェントのスコット・メレディス社に勤務。

1964年からエース・ブックス社に編集者として勤務し、ドナルド・A・ウォルハイムと共同で1965年から1971年まで、ジュディス・メリルの『年刊SF傑作選』に対抗したアンソロジー『WORLD'S BEST SCIENCE FICTION』を刊行[2]。1967年にはフランク・ハーバートの『デューン』のペーパーバック版を刊行する[2]。また1968年から Ace Science Fiction Specials というシリーズを立ち上げる。これには例えばアーシュラ・K・ル=グウィンの『闇の左手』『影との戦い』、アレクセイ・パンシン『成長の儀式』、R・A・ラファティ『トマス・モアの大冒険 -パスト・マスター』『九百人のお祖母さん』、キース・ロバーツ『パヴァーヌ』 といった有名作品も含まれていた。

エース・ブックスを率いていたドナルド・A・ウォルハイムと意見の食い違いから対立するようになり、フリーランスの編集者となった。Universe というオリジナル・アンソロジーと年間ベストSF作品を集めた The Best Science Fiction of the Year というアンソロジーを1972年から亡くなった1987年まで毎年刊行した。また、その間に他のアンソロジーも多数手がけた。ヒューゴー賞の編集者部門には13回ノミネートされ(1973-1975年、1977-1979年、1981年-1987年)、2回受賞している(1985年、1987年)。1985年に受賞した当時は、フリーランスの編集者として初の受賞だった。

1978年には、ミシガン州立大学クラリオン・ワークショップの講師を務めた。このときの受講者にはパット・マーフィーやリチャード・キャドリーがいた。

また1984年から New Ace Science Fiction Specials というシリーズを立ち上げ[3]キム・スタンリー・ロビンソン『荒れた岸辺』、ルーシャス・シェパード『緑の瞳』、ウィリアム・ギブスンニューロマンサー』などを刊行した。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:21 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef