テリーザ・メイ
[Wikipedia|▼Menu]

イギリス政治家テリーザ・メイTheresa May
公式肖像(2016年撮影)
生年月日 (1956-10-01) 1956年10月1日(67歳)
出生地 イギリス
イングランド
サセックス イーストボーン
出身校オックスフォード大学
所属政党保守党
配偶者フィリップ・メイ
サイン
第76代 首相
内閣第1次メイ内閣
第2次メイ内閣
在任期間2016年7月13日 - 2019年7月24日
女王エリザベス2世
第91代 内務大臣
内閣第1次キャメロン内閣
第2次キャメロン内閣
在任期間2010年5月12日 - 2016年7月13日
女性・平等担当大臣
内閣第1次キャメロン内閣
在任期間2010年5月12日 - 2012年9月3日
庶民院議員
選挙区メイデンヘッド選挙区
在任期間1997年5月1日 - 現職
その他の職歴
第21代 保守党党首
2016年7月11日 - 2019年7月23日
第34代 保守党幹事長
2002年7月23日 - 2003年11月6日
テンプレートを表示

テリーザ・メアリー・メイ(英語: Theresa Mary May[1]1956年10月1日 - )は、イギリス政治家。第76代首相(在任:2016年7月13日 - 2019年7月24日)。庶民院議員枢密顧問官内務大臣女性・平等担当大臣を歴任した。マーガレット・サッチャーに続くイギリスで2人目の女性の保守党党首(英語版)かつ首相を務めた。
来歴
生い立ち

1956年10月1日、イーストボーンに誕生する[2]。公共活動派だったイングランド国教会司祭の父に影響され、12歳の時に政治家を志した[3]グラマースクールと呼ばれる公立進学校を経て、オックスフォード大学のセント・ヒューズ・カレッジ(英語版)で地理学を学ぶ[4]
庶民院議員2007年6月2日

イングランド銀行でキャリアを始めた後、支払清算サービス協会(英語版)で勤務する。1997年5月から庶民院議員となり、2002年7月に保守党幹事長に就任する。2003年には枢密顧問官となった。
内務大臣

2010年イギリス総選挙で保守党が勝利して政権に復帰すると、同年5月に内務大臣に就任した[4]。保守党は総選挙の際の公約で、移民を10万人未満に抑えるとしていた。2010年当時イギリスに流入する正味の移民は約25万人であった。メイが内務大臣であった時期に正味の移民の数は増減したが、2015年には約33万人にまで上昇し、そのうちの42パーセントがヨーロッパ連合からの移民だった[5]
EU離脱の是非を問う国民投票

メイは一般的には欧州懐疑派の政治家と見なされてきたが[6][7]2016年6月23日のイギリスのヨーロッパ連合離脱の是非を問う国民投票では「残留」に投票することを表明した。しかし、残留のキャンペーン展開には消極的であった[8]。メイのこうした日和見的な態度は、将来の首相就任を見据えてEU残留派・離脱派で分断していた党内でより多くの支持を得るための布石と見られていた[9]
2016年保守党党首選挙「2016年イギリス保守党党首選挙」も参照

ヨーロッパ連合離脱の是非を問う国民投票で離脱派が勝利したことを受け、デーヴィッド・キャメロンが首相辞任を表明し、後継者選びのための保守党党首選挙が行われることになった。メイは立候補の意向を示し、保守党党首に選出された場合には「保守党とイギリスのまとまりを強化する」と意気込みを語った[10]。自らは残留に投票したEU離脱問題については、国民投票の結果を受けてEU離脱を遂行させると言明した。EU離脱交渉では、人の移動の自由の制限とサービス・財の貿易の両方を可能な限り要求していく考えを示している。欧州連合条約(Treaty on European Union)第50条については、イギリスの交渉方針が合意に至るまでは行使せず、2016年度内の行使は無いとみられている[10]

また、メイは人権と基本的自由の保護のための条約(ECHR)を破棄することを提案していたが、首相になった場合はこの提案を撤回すると述べた。EU離脱後のイギリスを上手く機能させるとも主張した[11]。そしてイギリスを団結させ、イギリスの未来のための強い新たな肯定的なビジョンを持つことが必要だとし、そのビジョンは「一握りの特権階級のためのものでは無くイギリス国民全員のためのビジョンである」と論じた。マクロ経済の財政政策に関しては緊縮寄りであり、歳出削減と財政赤字削減を進めていく方針である。ただし、ジョージ・オズボーン財務大臣が言及していた緊縮財政政策のための懲罰的予算は編成しないと述べている[10]。さらに2020年以前に解散総選挙を行うことはないとも言明した[11]。しかし、結局は2017年5月に解散総選挙を実施している。

保守党党首選挙には5人が立候補し、議員投票の結果としてメイとアンドレア・レッドサムの間で決選投票を行うこととなっていたが、7月12日にレッドサムが党首選挙から撤退することを表明したため、メイの保守党党首及び首相就任が確定した[12]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:93 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef