「テヘラン」のその他の用法については「テヘラン (曖昧さ回避)」をご覧ください。
市旗市章
位置
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}テヘランテヘラン (イラン)イランの地図を表示テヘランテヘラン (中東)中東の地図を表示
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度41分 東経51度25分 / 北緯35.683度 東経51.417度 / 35.683; 51.417
テヘラン(ペルシア語: ????? ; Tehr?n 発音[ヘルプ/ファイル]/te??r??n/、英語: Tehran; 漢字:丁蘭)は、イランの首都であり、同国最大の都市。テヘラン州の州都。
人口869万人、都市圏人口は1,367万人であり、世界有数の大都市圏を形成している[2]。 テヘランは、イランの文化的中心でもあり、多数の博物館、美術館、宮殿、文化センター、高等教育機関を擁する。宗教的中心でもあり、イスラム教のモスクのみならず、キリスト教の教会やユダヤ教のシナゴーグも各所にみられる。住民の大多数はシーア派イスラム教徒。20世紀から21世紀にかけて、イラン各地から大量の人口流入があり人口が急増した[3]。 テヘランの住民は、ペルシア人が大多数を占めている[4][5]。他にはアゼルバイジャン人、アルメニア人、ユダヤ人などもいる。住民の98.3%はペルシア語を話す[6]。イランの主要民族構成は、ペルシア人(51%)、アーゼリ人(25%)、クルド人(7%)、アラブ人(4%)である。 イラン高原の北西部の、標高1200 mほどの地点にある。北部にアルボルズ山脈がそびえ、同山脈およびイランの最高峰であるダマーヴァンド山から南西に66kmはなれた山麓に位置する。南には中央砂漠が広がっている。テヘランはアルボルズ山脈からの扇状地の先端に位置する。山脈と扇状地の境界付近に北テヘラン断層、更にその北にはモシャ断層が分布している他、市南部にはレイ断層が分布しており、活断層に囲まれている。 テヘラン市街は中心部を東西に走る大通りであるエンゲラーブ通り(革命前はシャー・レザー通りという名だった)によって南北に分けられる。エンゲラーブ通りは取り壊されたテヘラン旧城壁の北端に位置し、通り以南は旧市街となっている。エンゲラーブ通り以北は行政機関や企業が集中するビジネス中心地区であり、パフレヴィー朝成立以後に開発が進んだ地区である。エンゲラーブ通りに面して北側にはテヘラン大学のキャンパスがあり、通りの西端にあるアーザーディー・タワーは1971年に建てられたテヘランのシンボルであり、上の展望台からは市街が一望できる。エンゲラーブ通りの少し北には1979年に起きたイランアメリカ大使館人質事件の舞台となった旧アメリカ大使館があるが、現在は閉鎖されている。テヘランの北端近く、丘陵のほぼ北端にはパフレヴィー朝時代には夏の離宮として使用されたサーダーバード宮殿があり、現在では宮殿博物館としてここも観光名所となっている。また、北端にはトチャル山へと登る全長3200mのロープウェイがあり、頂上からは市街が一望できる。 これに対し、南部は市の中心であるエマーム・ホメイニー広場や、その南にはかつての商業中心であるバザール、旧城壁の南側にはテヘラン中央駅も存在する。バザールの商業的機能は低下しつつあるが、それでもテヘラン有数の商業地であり、多くの人が訪れる。エマーム・ホメイニー広場とバザールの間にはガージャール朝の王宮であったゴレスターン宮殿があり、現在では王宮博物館として美術品などが展示され、庭園とともに観光客の多く訪れる名所となっている。一方、エマーム・ホメイニー広場から北のエンゲラーブ通りまでの間にはイラン国立博物館や、イラン中央銀行、その中央銀行の地下大金庫内にあるイラン宝石博物館など多くの観光名所が存在する。中でも宝石博物館には、イラン王家の象徴である孔雀の玉座や、182カラットあって世界最大のダイヤモンドの一つであるダルヤーイェ・ヌール、レザー・シャーの王冠や5万1千個の宝石をちりばめた地球儀など、イラン王家の所蔵していた非常に貴重な宝石類が収められている。 テヘランが巨大化するにつれて周辺も市街地化が進むようになったが、都市化は主に北へ向かって進み、南へはそれほど伸びてはいない。これは、標高の高い市の北部のほうが環境がよく、夏の暑熱もしのげるために高級住宅地となっているからである。これに対し、南部は下町となっており、貧富の差によっておおよその住み分けが行われている。テヘランでは地元民は市街北部を「上」、市街南部を「下」と呼ぶ。これはテヘランがアルボルズ山脈の麓にあるため南北に高低差があることに加え、所得水準にも差があるためである[7](文字通りの「アップタウンとダウンタウン」、「山の手と下町」)。近年では北西部や西部の都市開発も進み、新興住宅街が成立している。 市の南部にはイラン最大の墓地であるベヘシュテ・ザフラー墓地があり、ルーホッラー・ホメイニーの墓廟であるホメイニー廟もここに建設されている。 東京都、アメリカのニューメキシコ州サンタフェと緯度がほぼ一致する。例えば、テヘラン中央駅(北緯35度39分31秒 東経51度23分51秒 / 北緯35.658514度 東経51.397455度 / 35.658514; 51.397455 (テヘラン中央駅)
概要
テヘランの風景
テヘランのパノラマ テヘランの夜景
地理テヘランの人工衛星写真。周辺領域も含めると東西40km、南北30kmの範囲に都市が広がっているテヘラン市街地
地勢市の北部、ディジンスキー場から見たダマーヴァンド山
テヘランの水は、テヘランの北西30km、キャラジ市にあるにあるカラジ・ダム[8]をはじめとするダムに依存している。キャラジ市はこのダムの電力により発展し、テヘラン郊外の工業都市となった。
気候