テニス
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テニス
グランドスラムトーナメントの一つ全米オープン
統括団体国際テニス連盟
通称庭球
起源19世紀
特徴
身体接触無
選手数2人または4人
男女混合有
カテゴリ屋外競技
実施状況
オリンピック1896年-1924年1988年-
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テニス(: tennis、: 網球)またはローンテニス(: lawn tennis)は、二人または二組のプレイヤーがネット越しにラケットボールを打ち合う球技オリンピックパラリンピックで採用されている競技であり、年齢性別、身体的個性を問わず広く親しまれている。日本において漢字名の庭球(ていきゅう)と呼ばれることもある。

後述の「ジュ・ド・ポーム」のことを「テニス」という場合がある(この場合は本稿のことを「ローンテニス」と呼ぶ)。
歴史後のテニスになる「jeu de paume」

複数の人間が1つのを互いに打ち合うという形式の球技の起源は、紀元前にまで遡ることが出来る。エジプトでは宗教的な行為のひとつとしてこのような球技が行われていた。紀元前15世紀の壁画で球を打ち合う球技を行う人々の姿が描かれたものが発見されている。

フランス貴族の遊戯として定着をはじめた16世紀以降には「jeu de paume」(ジュ・ド・ポーム、「掌の遊戯」の意)と呼ばれた。

フランスでこの球技が盛んになった理由としては、ローマ時代の直接の影響よりも、8世紀から11世紀まで、イベリア半島から南フランスまで進出していたイスラム教徒後ウマイヤ朝)が、エジプト時代と同様に、宗教的行為として行っていたものに、キリスト教の僧侶が興味を持ち模倣したことから始まったと言われている(「ラケット」の語源がアラビア語であることに注意されたい。フランスの僧院で特に盛んに行われるようになったのは、イスラム勢力がヨーロッパから駆逐された12世紀ごろ以降からとされる)。

「テニス」の名称はフランス宮廷で行われたテニスの原型であるジュ・ド・ポーム (Jeu de Paume) において、攻守交代の際にサーバーが「トゥネス!」(: Tenez!、動詞 tenir の命令形で「(球を落とさないように)取ってみろ」の意、現代フランス語では「トゥネ」と発音する)と掛け声をしていたことにちなむと一般的に言われる。アラビア史研究の権威フィリップ・K・ヒッティ(Philip Khuri Hitti)は、中世にリンネル織物で有名だったエジプトのデルタ地方の都市で、リンネルで球を作ったと思われる「ティンニース」からきているのだろうと述べている[1]。基本的なルールやスコアリング方式はローンテニスと似ている部分もあり、ファイブズ (fives)、ペロタ (Pelota) などのハンドボールから発達した。

18世紀から19世紀にかけてヨーロッパの貴族の間で大流行し、多くのコートが建造されたが、現存するものは少ない。イギリスでは復元されたコートがクリフトン大学にある。近代における貴族階級の遊戯としてのテニスは、イギリスではロイヤル・テニス(Royal Tennis、「王家のテニス」の意)、アメリカではコート・テニス(Court Tennis、「宮廷のテニス」の意)とも呼ばれている。

手袋を使うこともある。Jeu de paumeの「paume」とは掌を意味する。ボールは固形物(石等)を芯に糸を巻き、皮で被ったもので現代のものよりはるかに重く、弾力性は少ない。サーブは一方の側からのみ行われ、傾斜した屋根を転がるように打ち上げる。レシーブ側のプレイヤーは、落ちてきたボールが二度バウンドする前に打ち返す。失敗したプレイヤーはポイントを失う。ゲームの最初の第一球の打ち込みが「サーブ」と呼ばれるのは、中世においては、レシーバーにあたる人間の従者が第一球を屋根に打ち上げる役目を行っていたことに起源がある(従者「サーバント」が主人に対して行う行為は「サービス」)。14世紀には現在のラケットの原型が登場した。これにはまだガットは張られておらず、ガットが張られるようになったのは16世紀になってからである。

現代の多くのスポーツとは異なり、ローンテニスの歴史はごく浅い。1873年12月ウォルター・クロプトン・ウィングフィールド少佐が考案した「スフェリスティキ(sphairistike、ギリシア語: σφαιριστικ?、「球戯術」の意。略してスティッキ[sticky])」がその原型。現在の社会体育、生涯スポーツの概念の先駆けとなる発想で、ラケット、ネット等をセットで商品化し、芝生の上なら何処でも楽しめる「持ち運びのできるテニス」などともいわれ、コートは、中心部分が細くなっている蝶ネクタイ型をしていた。ボールは中空のゴムボール(ソフトテニスボールと同様なもの)を採用し、当初は現在のように硬質のフェルトで覆われていなかった。1874年、少佐は商用としての可能性を見て特許を取得したが、商業的には成功せず、特許の期限切れにともなう再申請は行っていない。しかし、イギリスやアメリカで有閑階級を中心に急速に広まり、アメリカではニューヨークのスタッテン島、メアリー・ユーイング・アウターブリッジの家で最初にプレイされた。中空のゴムボールでは芝生上でしばしば不安定なバウンドをみせることがあり、フェルトを巻いたものも考案され、2種のボールは永らく併用されていたが、やがてフェルトカバーボールが主流となっていく。

1877年、イギリスのロンドンでアマチュアの大会としては第1回目のウィンブルドン選手権が開催された。アメリカでは1881年に設立されたアメリカ国立ローンテニス協会(現在の全米テニス協会)が、ルールを標準化し、かつ競技を組織化した。同年、「全米シングルス選手権」(最初の名称:U.S. National Singles Championship)の第1回大会がアメリカ・ロードアイランド州ニューポートで開催され、1887年には「全米女子シングルス選手権」(U.S. Women's National Singles Championship) が始まった。これらのアメリカでの大会群は現在の全米オープンの原型である。1900年には男子国別対抗戦であるデビスカップがナショナルチームの間で始まった。
ルール

試合形式としては、1人対1人で行うシングルスと2人対2人で行うダブルス、混合ダブルスがある。

試合開始前のトスによって決定された一方のプレイヤーがサーバー、他方がレシーバーとなり、1ゲームごとに交替する。プレーヤーは奇数ゲーム終了ごとにコートを入れ替わる。サーバーはベースラインの外から相手コートのサービスエリアにバウンドするようにボールを打つ。レシーバーはサーブされたボールを2回バウンドする前に相手コートに打ち返す。次のようなときに失点(相手の得点)となる。

サーブを2回続けてフォールト(ダブルフォルト)したとき

サーブされたボールがバウンドする前にレシーバーが触れたとき

自分のコートでボールが1回バウンドし、もう1回バウンドしたとき(2回目のバウンドはコート外や設備などでも構わない)

自分のコートでボールが1回バウンドし、逆回転によってネットを越えて相手のコートに戻ったとき(この場合は特殊で、ボールが相手コート上にあってもネットタッチさえしなければ、2バウンドする前にオーバーネットして打ち返し、相手が取れなければそのポイントは自分のものとなる)

自分のコートに落ちたボールがバウンドしなかったとき

自分の打ったボールの1回目のバウンドが、相手のコート外(アウト)だったとき

打ったボールが審判に命中したとき

ラケット以外の部位がボールに触れたとき

相手コート内でボールに触れたとき

体やラケットがプレー中にネットに触れたとき

ラケット以外の持ち物をコート上に2回落としたとき

スコアは、0ポイント:ラブ (love)、1ポイント:フィフティーン (fifteen, 15)、2ポイント:サーティー (thirty, 30)、3ポイント:フォーティー (forty, 40) と数える。


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