テティス
Tethys
テティス[9]またはテチス[10] (Saturn III Tethys) は、土星の第3衛星である。土星の衛星の中では5番目に大きい。1684年3月21日にジョヴァンニ・カッシーニによってディオネと共に発見された[11]。
概要テティス。右側に巨大なオデュッセウス・クレーターが写る。
テティスの密度は太陽系内の主要な衛星の中では最も低い部類であり、ディオネやレアと同じように、珪石等の岩石を含む氷が主成分であると考えられる。最近の研究で、テティスが異常に白く光の反射率が高いのは、同じ土星の衛星エンケラドゥスから吹き上げられた氷がその表面に降着したせいではないかとする説が提案されている。
進行方向側の半球の赤道部分には、両極より温度が低い地域がある。この領域はテティスの公転に伴って高エネルギーの電子が衝突し続けるため、地表の氷が硬い氷に変化して熱が逃げやすくなっていると考えられている。同様の温度分布は同じ土星の衛星であるミマスでも見つかっている[12]。
テティスのラグランジュ点には、トロヤ衛星のテレスト (L4) とカリプソ (L5) が存在する。 テティスは1684年3月21日に、ジョヴァンニ・カッシーニによってディオネと共に発見された。カッシーニはそれ以前にもレアとイアペトゥスを発見している[13]。これらの衛星は、カッシーニがパリ天文台に設置した大型の空気望遠鏡を用いて観測された[14]。 カッシーニは自らが発見した4つの衛星に対して、ルイ14世を讃えて Sidera Lodoicea と名付けた。これは「ルイの星」という意味である[15]。17世紀の終わりになると、天文学者はこれらの4衛星とタイタンをあわせ、Saturn I から Saturn V というように番号で呼ぶようになった。1789年にミマスとエンケラドゥスが発見されるとこの命名方法は Saturn VII まで拡張され、古い5衛星の番号を押し上げる形で番号が振り直された。この方式が続いたのは1848年にヒペリオンが発見されるまでであり、この時はイアペトゥスの番号が Saturn VIII に変更された。 これらの7つの衛星に現在知られている名前を与えたのは、天文学者のジョン・ハーシェルである。彼はミマスとエンケラドゥスの発見者であるウィリアム・ハーシェルの息子である。1847年に発表した『Results of Astronomical Observations made at the Cape of Good Hope』の中で、7つの衛星に対して命名した。テティスの名前は、ギリシア神話の巨人族(ティーターン)の1人テーテュースに因む。なおギリシア神話には別にテティス (Thetis) というニンフが登場するが、この衛星とは関係がない[11]。 テティスは土星からおよそ 295,000 km 離れたところを公転しており、これは土星半径のおよそ4.4倍に相当する。軌道離心率は非常に小さく、また軌道傾斜角はおよそ 1° である。テティスはミマスとの軌道傾斜角の共鳴に固定されているが、両者の質量が小さく及ぼす重力が弱いため、この共鳴は軌道離心率や潮汐加熱には目立った影響を与えていない[16]。 テティスの軌道は土星の磁気圏の内部にあるため、土星とほぼ同じ角速度で回転している磁気圏内のプラズマが衛星の後行半球に衝突する[注 1]。またテティスは磁気圏内の高エネルギー粒子 (電子とイオン) の継続的な衝突にさらされている[17]。 テティスは自身の軌道上に共回転するトロヤ衛星であるテレストとカリプソを持っている。テレストはテティスから 60° 先行した位置にある L4 付近、カリプソは 60° 後方にある L5 付近に存在する。軌道力学の観点からは、これらのトロヤ衛星はテティスとの 1:1 の平均運動共鳴を起こしている状態にある[18]。
発見と命名
軌道