この項目では、ギリシャの都市について説明しています。ギリシャの県については「テッサロニキ県」を、マケドニア王国の王女については「テッサロニカ」をご覧ください。
テッサロニキ
Θεσσαλον?κη
テッサロニキ港とテッサロニキ市街
市旗市章
位置
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テッサロニキの位置(中央マケドニア)
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度39分 東経22度58分 / 北緯40.650度 東経22.967度 / 40.650; 22.967
テッサロニキ(ギリシア語: Θεσσαλον?κη、ラテン文字転写:Thessaloniki [θesalo?nici] ( 音声ファイル))は、ギリシャ北部の都市。エーゲ海のテルメ湾に臨む港街でもある。古代ギリシア語ではテッサロニーケー(Thessalon?k?)/テッサロニケ/テサロニケ(慣用)[2]、中世?現代ギリシア語の実際の発音に近い音写ではテサロニキ[3]/セサロニキ[4]とも表記する。テッサロニカ/テサロニカ(ラテン語: Thessalonica)、或いは歴史的にはサロニカ(Salonica)の名でも知られる。
ギリシャでは首都のアテネに次ぐ2番目に大きな都市。中央マケドニアの首府であり[5]、マケドニア・トラキア行政管区(英語版)(Αποκεντρωμ?νη Διο?κηση Μακεδον?α?-Θρ?κη?)の首府でもある[6]。
2011年の国勢調査による統計でのテッサロニキ自治体の人口は322,240人[1]でテッサロニキ自治体と隣接する自治体で構成される都市的地域のテッサロニキ都市圏(英語版)の人口は790,824人[1] であった。バルカン半島ではイスタンブール、アテネ、ブカレスト、ソフィア、ベオグラードに次いで6番目に大きな都市圏を形成し、首都でない都市ではイスタンブールに次いで人口が多い都市である。テッサロニキ大都市圏(英語版)は周辺地域 1455.62km2の範囲で広がり、2011年現在の人口は1,006,730人に達する[1]。テッサロニキはギリシャ第2の都市として、経済や産業、商業、政治の中心であると共に南東ヨーロッパの交通の一大拠点で[7]、テッサロニキ港はギリシャや南東ヨーロッパの後背地にとっては重要な役割を果たしている[7]。ギリシャにおいて有名な行事が行われたり、様々な時代の遺構が残されていることから文化的な首都であると考えられている[8]。行事には毎年行われるテッサロニキ国際トレードフェアやテッサロニキ国際映画祭などがあり、半年ごとに行われるギリシャ・デゥアスポラ(英語版)の会議が開催される[9]。2014年の欧州青年首都(英語版)に選ばれている[10]。
テッサロニキは紀元前315年カッサンドロスによって創建され、以来2,300年の歴史がある都市で、ローマ時代には重要な大都市であった。テッサロニキは東ローマ帝国(ビザンツ帝国・ビザンティン帝国)時代には首都コンスタンティノープルに次ぐ帝国第二の都市になっており、市内には多くの著名なビザンティン建築が残されている。その中には世界遺産に登録されたテッサロニキの初期キリスト教とビザンティン様式の建造物群も含まれ、同様にローマ時代やオスマン帝国時代のもの、セファルディムの遺構も残されている。アテネが古代ギリシャを象徴する街なのに対して、中世東ローマ時代のギリシャを象徴する街と言われており、アトス山の修道院共同体もこのテッサロニキが入り口となる。テッサロニキ市のメインとなる大学のアリストテレス大学はギリシャやバルカンでは最大の学生数を誇っている[11]。
呼称テッサロニカ王妃へと読み取れる碑文 テッサロニキ考古学博物館所蔵
テッサロニキの都市の名称の語源や現在の呼び名のすべてのバリエーションはすべてギリシア神話の神Θεσσαλ??(Thessal?s, テッサロース)とΝ?κη(N?k?, ニーケー)を合わせたものから来ており、テッサリアの勝利という意味で、マケドニア王国の王妃テッサロニカの名前はマケドニア王国がクロコスの戦いで勝利した日に生まれたことに由来する[12]。
サロニカ(Salonika, Salonica)はサロニキ (Σαλον?κη, Saloniki)から変化したもので、ギリシャでは一般的に使われ、様々な言語でもテッサロニキの呼称として一般化し、いくつかの西ヨーロッパの言語では共通の呼称になっている。他の言語ではテッサロニキの歴史の中で古代教会スラヴ語ではソルン(Солоунь, Soloun)、ラディーノ語ではサロニカ(Salonika)、トルコ語ではセラーニクやセラニキ(Selanik, Selanik)、オスマン語ではセラーニク(??????)、南スラヴ語群ではソルン(Солун)やロシア語ではサロニキ(Салоники, Saloniki)、アルーマニア語ではサルーナ(Saruna)などがある。