テストパイロット(Test pilot)とは、新型あるいは改造型の航空機で特定の操縦を行い、その結果を測定し設計を評価する飛行士である。自衛隊では試験飛行操縦士[1]と称する。 業務としては機体の飛行特性や問題点を把握し、収集したデータを元に文章や言葉で開発者に伝えることである。新型機の場合は操縦マニュアルの作成を補助することもある。 テストパイロットは軍事組織や航空機メーカーなど航空宇宙関連の民間企業に所属していることが多い。軍用機・民間機共に高度な操縦技量と状況を的確に伝える説明能力が要求される。 航空機メーカーではテストパイロットによるグリーンフライト[注釈 1]で不具合が無いことを確認した後に、オーダーに合わせた塗装と内装の取り付ける艤装と最終チェックを済ませて顧客に引き渡す[2]。 1950年代には、およそ1週間に1人の割合でテストパイロットが死亡していたが、1960年代以降、航空機技術の成熟、地上テストの向上、シミュレーションの導入などによって危険は急速に減少し、最近では実験機のテストを無人で行うことが多くなってきている。しかし、故意に失速させるなどの危険な飛行を繰り返すため[2]、通常のパイロットよりも危険が伴う職業である。 計測機器のチェックやデータ解析を担当する技術者はフライトテスト・エンジニア
概要
未知の状況への対処や状況を説明する能力を高める訓練を修了していることから、有人宇宙飛行の黎明期の宇宙飛行士は軍のテストパイロットから選抜されていた。 陽気で恐れ知らずなイメージとは裏腹に、テストパイロットの資格を得るためには次のような能力が求められる。 テストの理由や方法を理解するには操縦の技量よりも飛行計画に従う能力や、航空工学の知識を元に疑問点を説明する能力が重要である。エアマンシップの則った徹底的に正確で職業的な飛行が求められ、スリルや興奮を求める冒険的なパイロット達には向いていない仕事だが、アルヴィン・ジョンストンのような無謀な飛行に挑戦する者も存在した。 黎明期には開発者がパイロットを務めることが普通であり、世界初の航空機パイロットであるオーヴィル・ライトは同時にライトフライヤー号のテストパイロットでもあった。 組織的な活動としてテスト飛行を始めたのは、第一次世界大戦中のイギリスのロイヤル・エアクラフト・エスタブリッシュメント(RAE)である。1920年代には、イギリスの RAE やアメリカのアメリカ航空諮問委員会(NACA)によりテスト飛行がさらに発展した。1950年代には、NACA は アメリカ航空宇宙局(NASA)に変わった。こうした年月を経ることで航空機の安定性や操縦性が向上し、テスト飛行はより科学的で質的な職業へと進化した。 世界最古のテストパイロット学校は、イギリスの RAF Boscombe Down
資質
テスト計画を理解できる。
非常に特殊な方法や条件で飛行を行い、テスト計画をやり遂げることができる。
各テストの結果を入念な文書にすることができる。
航空機に対する卓越した感覚を持ち、航空機に奇妙な挙動があればそれを正確に感じ取ることができる。
テスト中に航空機に起こった問題を迅速に解決することができる。
同時に進行している複数の事象に対処することができる。
歴史アメリカ空軍テストパイロット学校が使用するNF-4E