テキサス州の石油ブーム
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テキサス州の石油ブームスピンドルトップでアンソニー・F・ルーカス(英語版)が掘り当てた油井、テキサス州で最初の大きな油井になった。
日付1901年 ? 1940年代
場所アメリカ合衆国テキサス州
別名噴出時代

テキサス州の石油ブーム(テキサスしゅうのせきゆブーム、: Texas Oil Boom)は、20世紀初期にアメリカ合衆国テキサス州で石油が発見されてから、劇的な変化と経済成長が起こった時代を指す言葉である。噴出時代(: Gusher Age)とも呼ばれる。ボーモントの近くで発見された石油は、その埋蔵量が前例の無いくらいの量であり、アメリカ史の中でもほとんど無かったような急速な地域発展と工業化時代の火付け役となった。テキサス州は直ぐにオクラホマ州カリフォルニア州と並んで国内でも石油生産高の高い州になった。そして、アメリカ合衆国の石油生産高は当時のロシア帝国と並ぶようになった。1940年代になると、テキサス州は国内で最も生産高の高い州になった。世界の石油時代の始まりをこのテキサス州での石油ブームの始まりに置く歴史家も居る[1]

石油探査と投機を拡大させ始めた大きな「当たり」はテキサス州南東部でだったが、間もなく州全体で埋蔵量が確認され、北テキサス、東テキサスおよび西テキサスのパーミアン盆地でも油井が建設された。これに先立って19世紀にも限られた量の石油が発見されていたが、1901年にボーモント近くのスピンドルトップで発見されたものは全国的な注目を浴び、石油探査と開発を加速させ、それが1920年代以降まで続くことになった。スピンドルトップと、世界恐慌の始まり時期にあった東テキサスでのジョイナーの石油発見が、この変化の時代の重要な転換点となった。

この時代はテキサス州を大きく変革させた。20世紀への変わり目でのテキサス州は、特に大きな都市も無く、大半が田園部だった[2]。それが第二次世界大戦が終わるまでに、州内の工業化が大きく進み、都市の人口では国内20傑に入ってくるものがあった[3]。中でもヒューストン市はこのブームの恩恵を受けた最大の都市であり、その都市圏は世界でも最大級に石油精製石油化学プラントが集積される地域となった[4]。ヒューストン市は1900年時点で小さな商業中心に過ぎなかったが、その後の数十年間に国内でも最大級の都市となった。しかし、この期間ではテキサス州の全ての商業中心が変化しており、石油ブームが始まったボーモントとポートアーサーの地域も発展した。

この時代に最も影響力があった事業家といえば、ヒュー・ロイ・カレン、H・L・ハント、シド・W・リチャードソン、クリント・マーチソンの4人だった。彼らは州内および国内で最も富裕な者となり、政治的な影響力も大きかった。
時間的な枠組み

19世紀にはテキサス州で石油に関わる成長の始まりとして扱われる幾つかの出来事があった。その中でも初期の1つが1894年のコーシカナ油田の開業だった[5]。1901年にスピンドルトップで石油が発見され、これがそれまで発見された中でも最大級に生産可能性の高い油井と判断された。歴史家の大半はこれが出発点だと見なしている。この1つの発見がテキサス州の急速な変化の始まりとなり、世界中の注目を集めさせた[6]

1940年までに、州内石油産業を規制していたテキサス州鉄道委員会が、アメリカにおける石油生産を安定させ、ブームの初期では当たり前だった石油価格変動の大半を抑えさせた[7]。1920年代にブームタウンとなっていたワーサムのような多くの小さな町は、比較的限られた量の石油埋蔵量に依存していたために、1920年代後半から1930年代初期にはブームが終わり、地元経済が崩壊した。これら小さな油田の幾つかではこの時期に生産量のピークを迎え、世界恐慌で需要が低下したために、投機家達が逃亡した[8]。ボーモント、ヒューストン、ダラスのような石油精製と加工の中心地では、第二次世界大戦が終わるまで、ブームが様々に継続した。終戦までに州内主要都市部の経済は成熟していた。テキサス州は繁栄と成長を続けたが、ブーム初期にあった極端な成長パターンと劇的な社会経済的変化は影を潜め、都市部はより落ち着いた持続可能な成長パターンに落ち着いていった[9]。しかし、西テキサスなど地域に限られたブームが継続し、戦後は小さな町の幾つかを変革させた[10]
背景
南北戦争後のテキサス州ヒューストン市、1873年頃。

南北戦争後、テキサス州の経済は牛の牧畜と綿花の栽培、さらに後には木材に大きく依存して急速な成長を始めた[11]ガルヴェストンの港は世界最大級の綿花積み出し港となり、州内最大の商業中心となった[12]。しかし、1890年までに、人口ではダラス市がガルヴェストン市を追い越し、1900年代初期にはヒューストン港がガルヴェストン港を脅かす存在になった[5]

1900年、大型ハリケーンがガルヴェストン市を襲い、大きな被害を与えた[13]。1915年にも別のハリケーンが襲い、投資家の目はガルヴェストンを離れ、商業展開により安全な場所に映ったヒューストンに向くようになった。このような展開の中でおこった石油ブームにより、ヒューストン市は港と商業中心としてブームの中心になった[14]
石油開発の初期初期の油井、バクーバラハヌィ / サブンチ

1850年代、エイブラハム・ゲスナーが石油から灯油を蒸留する処理工程を発明した。照明用燃料として石油に対する需要が世界中で大きくなった[15]。世界の多くの地域で石油探査の動きが高まり、特にロシア帝国のバクーにあったノーベル兄弟石油会社(英語版)が19世紀末まで石油生産をリードした[16]

1859年、ペンシルベニア州のエドウィン・ドレイクが、地球の深層部から石油を掘削する技術を発明した[17]。ドレイクの発明はアメリカ合衆国における石油産業を始めさせたものとされている。ペンシルベニア・オイルラッシュが起きた1861年に、ペンシルベニア州西部で国内初の石油精製所が操業を始めた[18]オハイオ州ジョン・D・ロックフェラーが設立したスタンダード石油が多州にわたるトラスト企業となり、国内の歴史が浅い石油産業を支配するようになった[19]

テキサス人はその地下に石油があることを昔から知っていたが、水の井戸を掘るためには邪魔になったので、利益よりも問題が生じると見ている場合が多かった。後に影響力ある石油事業家となった牧場主のW・T・ワゴナーは1902年に水の井戸を掘っていた石油を掘り当て、「水がほしかったのに石油に掘り当たってしまった。私は気狂いだよ、全くの気狂いだ。我々自身と我々の牛が飲む水が必要だったんだ。」と言ったと伝えられている[20]

多くの牧場主や農園主にとって石油は否定的な関係しかなかったが、南北戦争後のテキサス州で、石油が湧き出ると知られていた泉や、水の井戸を掘っているときに偶然見つけた石油で、灯油やその他石油からの派生品にたいする需要が、石油の将来性を促進することになった[5][21]。テキサス州で最初のそこそこの油井はナカドーチェスに近い、オイルスプリングスの町付近で開発された。この油井は1866年に生産を開始した[22]。テキサス州で最初の経済価値のある油田は1894年、コーシカナ近くで開発されたものだった[23]。1898年、この油田に州内では最初の近代的製油所が建設された[23]。コーシカナ油田の成功と、世界中の石油需要の増加により、州全体で探査が行われるようになった[23]


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