テオドリック
Theodoric
東ゴート国王
イタリア王
テオドリックの硬貨
在位東ゴート王:471年[1][2][3]- 526年
イタリア王:493年 - 526年
出生454年
死去526年8月30日
埋葬ラヴェンナ、テオドリック廟
配偶者アウドフレダ
子女ティウディゴート
オストロゴート
アマラスンタ
家名アマル家
父親ティウディミール
母親エレリエヴァ[4]
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テオドリック(Theodoric、ゴート語: ??????????、454年 - 526年8月30日)は、東ローマ帝国の軍人および政治家。484年の執政官。ローマ帝国の副帝としてローマ帝国の西半分を統治した[5]。また、497年にイタリア王の称号を認められ、東ゴート王国を成立させた[6]。表記は他にテオデリック(Theoderic, Theoderik)、テオドリクス(羅: Theodoricus)、 テオドーリコ(伊: Teodorico)など。しばしばテオドリック大王と呼ばれる。
生涯テオドリック大王のブロンズ像。(正面)
ペーター・フィッシャー (父)
テオドリックは454年にゴート人の有力者の一人ティウディミールの子として生まれた。弟にティウディムント
(ポルトガル語版)がいる。461年頃より東ローマ帝国のコンスタンティノープルの宮廷へ人質として送られ[7]、東ローマ帝国の実質的な支配者だったアラン人の将軍アスパルの下で教育を受けた。469年にボリア川の戦い(英語版)でパンノニアのゴート王の一人ウァラメールが死亡すると、皇帝レオ1世はテオドリックをウァラメールの代わりとしてスラヴォニアの守備隊へ配属した。テオドリックは470年にババイ(ポルトガル語版)に率いられたサルマタイ人との戦いに勝利し、テオドリックの下で戦った6000人の従士から王として推戴された[8]。これは父ティウディミールが率いる集団とは全く異なる集団においての推戴だった[9][注 1]。
471年、東ローマ帝国の実質的な支配者でテオドリックの師でもあった将軍アスパルが、皇帝レオ1世とイサウリア人(ドイツ語版、ハンガリー語版、オランダ語版)の族長ゼノンによって殺害された。