テオドシウスの城壁
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コンスタンティノープルの城壁
イスタンブールトルコ
東ローマ帝国時代のコンスタンティノープルと城壁。大まかに、西側を南北に走る弧状の太線がテオドシウスの城壁、同様の少し内側の細線がコンスタンティヌスの城壁、海岸線をなぞる線が海の城壁。

座標北緯41度00分44秒 東経28度58分34秒 / 北緯41.01224度 東経28.976018度 / 41.01224; 28.976018
種類城壁
地上高最高12メートル
施設情報
所有者トルコ
管理者ローマ帝国東ローマ帝国ラテン帝国オスマン帝国
一般公開されている
現況陸の城壁:一部が崩壊、再建事業が進行中
海の城壁:大部分が消滅
歴史
建設4-5世紀
以降断続的かつ大幅に増改築
建設者セプティミウス・セウェルスコンスタンティヌス1世コンスタンティウス2世テオドシウス2世ユスティニアヌス1世ヘラクレイオスレオーン5世テオフィロスマヌエル1世コムネノス
建築資材大理石レンガ
使用戦争626年対アヴァール・ペルシア包囲戦、第一次・第二次対アラブ包囲戦、スラヴ人トマスの反乱、第4回十字軍1453年対オスマン包囲戦
世界遺産

区分文化遺産
基準i, ii, iii, iv
登録日1985年 (世界遺産委員会第9回)
所属イスタンブール歴史地域
登録コード356
所在地 トルコ
地域区分ヨーロッパ・北アメリカ

コンスタンティノープルの城壁では、コンスタンティノープル(現トルコイスタンブール)を取り囲む城壁について述べる。

この地をローマ帝国の首都としたコンスタンティヌス1世の時代から、帝国の首都を守る大城壁の建築が始まり、歴史上、数多くの城壁や防衛施設が築かれた。

この中には古代の築城様式を残す貴重な建築が含まれており、また全体を見れば歴史上、最も複雑で精巧に構成された防衛設備であるといえる。目次

1 概要

2 陸上の城壁

2.1 前史と記録上の城壁

2.1.1 ビュザンティオンの城壁

2.1.2 セウェルスの城壁


2.2 コンスタンティヌスの城壁

2.2.1 城門


2.3 テオドシウスの城壁

2.3.1 城壁線と地勢

2.3.2 構造

2.3.3 城門

2.3.3.1 第一軍門

2.3.3.2 黄金の門

2.3.3.3 イェディクレ要塞

2.3.3.4 クセロケルコス門

2.3.3.5 第二軍門

2.3.3.6 泉の門

2.3.3.7 第三軍門

2.3.3.8 レギオンの門

2.3.3.9 第四軍門

2.3.3.10 聖ロマノスの門

2.3.3.11 第五軍門

2.3.3.12 カリシウスの門

2.3.3.13 小門

2.3.3.14 ケルコポルタ


2.3.4 城壁の評価とその後


2.4 ブラケルナエの城壁

2.5 現代の保存と再建事業


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