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テオクリトス
Theokritos
誕生紀元前3世紀頃
シチリア
職業詩人
代表作『小情景詩(エイデュリア)』
ウィキポータル 文学
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テオクリトス(古希: ΘΕΟΚΡΙΤΟΣ, Θε?κριτο?, Theokritos, 英: Theocritus)は、古代ギリシアの詩人である。ギリシア文学史の牧歌のジャンルの創造者にして『小情景詩』(牧歌、エイデュリア、ΕΙΔΥΛΛΙΟΝ, Eidyllia)32編の著者。
生年は紀元前310-前318年と推定され、現在のシチリアに生まれた。前290年-前283年頃、コス島でプトレマイオス2世の家庭教師ピレタスに師事。ニキアス、アスクレピアデス、レオニダスともに学ぶ。この頃『牧歌』第1、3、6、8、11及び12歌を創作した。前285年-前275年、シチリアに移り、『牧歌』第4、5、9、10歌を創作。ポエニ戦争のためシラクサの僭主ヒエロン2世が前275年-前278年支配権を有していたと雖も、同僭主への頌歌第16歌を献上すると雖も、ヒエロン2世はテオクリトスを保護しなかった。そのため、前274年-前270年にかけて、東方のアレクサンドリアに招聘され、エジプト王プトレマイオス2世の保護下に移り、宮廷詩人として同宮廷に迎えられる。この時期に、カリマコスと非常に親しくなり、詩作もカリマコスの詩法の影響を受ける。前270年頃、コス島に戻り、ミレトゥスの許で過ごす。没年は前270年以降とされるが不詳。
テオクリトスの作品は、愛の詩(第12、28、29、30)、ミーモスと呼ばれる小舞台的な対話と情景と習俗をとりまぜた劇詩(第15)、神話叙事詩(第13、25、27)、仮想的な恋愛詩(第2、3、11)、ヘレネー婚礼歌(第18)、ヒエロン頌歌(第16)、プトレマイオス2世頌歌(第17)を含む、広義の牧歌(Bucolica)群であり、ギリシア文化圏の実在の背景の下に、叙情詩と神話を踏まえて、牧人の生活と、純粋な恋と、自然との調和を描きだし、パストラーレと呼ばれる、「田園詩・牧歌」の文学ジャンルを創造した作品である。
ドーリア方言という叙情情景の文学ジャンルの詩形であり、六脚韻のヘシオドスの『仕事と日々』(ΕΡΓΑ ΚΑΙ ΗΜΕΡΑΙ)」の韻律と同一又は類似する詩形であり、同作品の影響(第581行-596行)を受けている。サッポーの作品からも影響を多分に受けている。
日本語訳
八木橋正雄により、1981年-1985年にかけて、4部に分けて日本初の全訳が私家版で刊行された。
テオクリトス『牧歌』古澤ゆう子訳、京都大学学術出版会(2004年)
関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、テオクリトスに関連するカテゴリがあります。