ティールーム
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この項目では、主にイギリスの喫茶文化に基づいて英語圏で紅茶を提供する店について説明しています。茶道で使用する部屋については「茶室」を、日本にかつて存在した茶などを出す店については「茶屋」を、コーヒーや紅茶を売る日本の店については「喫茶店」を、さまざまな文化圏の茶を売る店一般については「ティーハウス」をご覧ください。
ロンドン、ストランドの昔ながらのトワイニングズ・ショップウィロー・ティールームズコロラドスプリングスのグレン・エイリー城にあるティールームウィロー・ティールームのギャラリー

ティールーム(英語: Tearoom)またはティーショップ(英語: Tea shop)は主にイギリス喫茶文化に基づき、英語圏で飲み物や軽食を提供する小さなレストランである。とくに落ち着いていて静かな雰囲気の店舗を指す。この用語は家でティーを出すための部屋を指すこともある。

お客はジャムの付いたスコーンクロテッドクリームから成るクリームティー(テヴォンシャティーとしても知られる)を食べたり、サンドウィッチ、スコーンそしてケーキのアフターヌーンティーをする。あるいは1日の最後の食事として、料理が付いたハイ・ティーが提供される。スコットランドでは紅茶はたいていスコーン、パンケーキクランペット、その他のケーキなど様々なものとともに提供される。

関連する使用法として、「ティールーム」(tearoom)は仕事場のかたわらにスタッフがリラックスするためや、特に仕事の休み時間に元気を回復するために用意される部屋を指すことがある。伝統的にそのようなティールームで食べ物と飲み物を出すスタッフはティー・レディと呼ばれた。
歴史的発展

紅茶はオリバー・クロムウェルの護国卿時代の間に初めてイングランドに入って来て、まもなく国民的飲み物になった。紅茶を飲むことはイギリス人にとっての娯楽になった。すでに1784年にはラ・ロシュフーコー=リアンクール公爵(フランス語版)は「イングランド全体を通じて紅茶を飲むことは一般的である」と書き留めている。それにもかかわらず、ベッドフォード公爵夫人アンナ・ラッセルは1840年にアフターヌーンティーを始めたと言われている[1]
ロンドン

トマス・トワイニングは1706年に初とされるティールームをイングランド、ロンドンのストランド街216番地にオープンした[2]。そこでは紅茶が今でも売られている。1787年にその会社は設立当初以来現在まで絶え間なく使用されているものとしては世界最古の広告用のロゴを作った[3]

1864年に、エアレイテッド・ブレッド・カンパニーはA.B.C.ショップとして知られるようになる初めての店をオープンした。ロンドンベースのエアレイテッド・ブレッド・カンパニーの女支配人によるティールーム開店のアイディアは「全ての階級の客に無料の紅茶とコーヒーを提供し、店内に宣伝用に公共のティールームを設置する許可を得る[4]」というものであった。ティールームが提供する場所は、ヴィクトリア時代の女性が男性の同伴者なしでも体裁の心配なく食事をとれる場所であったので重要だった。1923年時点でA.B.C.紅茶ショップの総数は250店であり、A.B.C.ショップの30年後にオープンしたジェイ・ライアン・アンド・コーに次いでいた[5]

1894年にはジョン・ライアンズがピカデリーにティールームをオープンさせ、翌年には14店舗をかまえるチェーンに発達させた[6]
グラスゴー

1875年、スコットランドグラスゴーで茶の小売業者であったスチュアート・クランストンが「クランストンのティールーム」を開店した[7]。1878年にその妹であるキャサリン・クランストンは「ミス・クランストンのティールーム」のチェーン店となる店を同じくグラスゴーでオープンさせた[7]。兄のティールームをしのぐ人気店となり、女性客も多かった[8]。ケイトはチャールズ・レニー・マッキントッシュの支援者になり、インテリアのデザインをまかせた[8]。また、マッキントッシュはその後非常に有名になるウィロー・ティールームズの建物もデザインした[8]
20世紀の展開

ティールームの一般化に伴い、ホテルデパート劇場などにもティールームがもうけられるようになった[9]。こうしたティールームは女性に人気があり、女性経営者によるティールームも多かった他、女性参政権運動家がよく訪れる場所でもあった[10]

1919年にはヨークシャーハロゲイトに「ベティーズ」が開店した[11]

エドワード朝時代には、アメリカ合衆国や他のヨーロッパの地域も含めて、英国式のティールームはアフターヌーンティーダンスを売り物として盛んに提供するようになった[12]。しかしながら第二次世界大戦中から1950年代にかけて、ティールームはより安価なセルフサービスコーヒーショップなどと競合するようになり、人気がなくなるようになっていった[13]

こうしたティールームの退潮は、ナショナル・トラストが1970年代から歴史的建造物に併設されたティールームで茶を提供するようになった動きによって歯止めがかけられ、盛り返しが見られるようになっていった[14]
脚注^ Helen Simpson The Ritz London Book of Afternoon Tea. Ebury Press, 2006
^ “The English Tea Room - a Real British Cultural Experience”. www.sbcen.usst.edu.cn. 2021年11月12日閲覧。
^ Tom Standage.(2005). A History of the World in Six Glasses. New York: Walker. p. 202.
^ Brandt, Pamela Robin. “ ⇒Tea for View, View for Tea,” Miami New Times. October 17, 2002. (Retrieved 2009-05-08). See also: “ ⇒英格??茶?俗由何而来? (二),” British Council China. August 8, 2007. (Retrieved 2009-05-08).
^"Aerated Bread Company (ABC)", London Metropolitan Archives. The National Archives|National Archives. ACC/2910, 1869-1885. (Retrieved 2009-05-08).
^ ヘレン・サベリ 著、村山美雪 訳『ヴィジュアル版世界のティータイムの歴史』原書房、2021年、76頁。 
^ a b ヘレン・サベリ 著、村山美雪 訳『ヴィジュアル版世界のティータイムの歴史』原書房、2021年、72頁。 
^ a b c ヘレン・サベリ 著、村山美雪 訳『ヴィジュアル版世界のティータイムの歴史』原書房、2021年、73頁。 
^ ヘレン・サベリ 著、村山美雪 訳『ヴィジュアル版世界のティータイムの歴史』原書房、2021年、77頁。 
^ ヘレン・サベリ 著、村山美雪 訳『ヴィジュアル版世界のティータイムの歴史』原書房、2021年、79頁。 
^ ヘレン・サベリ 著、村山美雪 訳『ヴィジュアル版世界のティータイムの歴史』原書房、2021年、78頁。


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