ティレル・004
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ティレル・004
コンストラクター ティレル・レーシング・オーガニゼーション
デザイナー デレック・ガードナー
先代ティレル・003
後継ティレル・005
主要諸元
シャシーアルミニウム モノコック
サスペンション(前)ダブルウィッシュボーン 不等長, ショックアブソーバー
サスペンション(後)アッパーアーム, タイロッド, ショックアブソーバー
エンジンフォード-コスワース DFV, 3.0リッター, V8 NA, ミッドエンジン, 縦置き
トランスミッションヒューランド FG 400, 5速, シーケンシャル MT
重量560kg
燃料エルフ
タイヤグッドイヤー
主要成績
チームエルフ・チーム・ティレル
ドライバー ジャッキー・スチュワート
パトリック・デパイユ
エディー・ケイザン[1]
初戦 1972年モナコグランプリ

出走優勝ポールFラップ
5000

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ティレル・004 (Tyrrell 004) は、ティレル1972年のF1世界選手権参戦用に開発したF1マシン。設計はデレック・ガードナー
レース戦績

004は基本となった001を元にして作られた4番目であり最終となったマシン。004は5戦に出走、ティレルからの出走は3戦で、1972年モナコグランプリジャッキー・スチュワートが4位に入った[2]。スチュワートはベルギーグランプリでも004を使用する予定であったが、胃潰瘍のため欠場しチームは代わりのドライバーを起用しなかった。パトリック・デパイユ はフランスグランプリとアメリカグランプリで004を使用したが、フランスは非完走扱い[3]、アメリカでは7位に入った[4]

004は新型の005に置き換えられたが、1973年には南アフリカのチームに売却された。第3戦の南アフリカグランプリでエディー・ケイザンがドライブし13位となった[5]。翌年の南アフリカグランプリでもケイザンがドライブし14位となる[6]。ケイザンはこの他にも南アフリカF1選手権(英語版)に参戦、73年と74年で2勝を挙げ2位9回を記録している。004は現在アメリカ合衆国のコレクターが所有し、レストアを行いヒストリックカーレースに参加している。
F1における全成績

(key) (太字はポールポジション

年チームエンジンタイヤドライバー123456789101112131415ポイント順位
1972年[7]エルフ・チーム
ティレル
フォード コスワース DFVGARG
RSA
ESP
MON
BEL
FRA
GBR
GER
AUT
ITA
CAN
USA
51[8]2
ジャッキー・スチュワート4
パトリック・デパイユNC7
1973年[9]Blignaut-Lucky
Strike Racingフォード コスワース
DFV 3.0GARG
BRA
RSA
ESP
BEL
MON
SWE
FRA
GBR
NED
GER
AUT
ITA
CAN
USA


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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