ティレル・003
コンストラクターティレル・レーシング・オーガニゼーション
デザイナーデレック・ガードナー
先代ティレル・002
後継ティレル・004
主要諸元
シャシーアルミニウム モノコック
エンジンフォード-コスワース・DFV 2993cc V8 NA ミッドエンジン
トランスミッションヒューランド FG400 5速 MT
燃料エルフ
タイヤグッドイヤー
主要成績
チームエルフ チーム・ティレル
ドライバー ジャッキー・スチュワート
コンストラクターズタイトル1 (1971年)
ドライバーズタイトル1 (1971年)
初戦1971年スペイングランプリ
ティレル・003 (Tyrrell 003) は、ティレルが1971年のF1世界選手権参戦用に開発したF1マシン。設計はデレック・ガードナー、ジャッキー・スチュワートがドライブした。それは事実上、ティレル・001のノーズセクションを再設計し、ホイールベースを延長、モノコックを狭くしただけのものであった。ティレルは製造したシャシーに対して順に番号を付けたため、003は1台限りのものであった。フランソワ・セベールはティレル・002をドライブした。
コンセプトティレル・003、2004年、カナダで
ティレル・チームのオーナー、ケン・ティレルは1970年シーズンに使用したマーチシャシーの性能の低さに対し、自身でシャシーを設計し製造することを決心した。彼はデレック・ガードナーを採用し、自宅で秘密裏に設計を行わせた。その計画は「スペシャル・プロジェクト」を意味する「SP」のコードネームで呼ばれ、ティレルは22,000ポンド以上の自己資金をつぎ込んだ。完成したティレル・001はノンタイトル戦のオールトン・パークでデビューすることとなった。
シーズン終了後、ガードナーはシャシーのいくつかのセクションを再設計した。エアボックスを変更、ノーズ部分を改造し、ホイールベースを延長すると共にモノコックの幅を僅かに狭めた。再設計されたシャシーは002および003と名付けられ、1971年シーズンに投入された。チームはまた、ダンロップのF1撤退を受けグッドイヤーにタイヤを変更した。 003はジャッキー・スチュワートがドライブして1971年スペイングランプリでデビュー、優勝を果たした。チームとスチュワートはロータスおよびフェラーリに対してアドバンテージを維持したまま1971年シーズンを戦った。結局チームは6勝を挙げ、スチュワートは2度目のタイトルを獲得した。面白いことにスチュワートとチームメイトのセベールは1971年と1972年の両シーズンを通して異なったシャシーを使用し、スチュワートは003を専用的に使用、セベールは002を使用した。 1972年シーズンはエマーソン・フィッティパルディのロータスがスチュワートに挑戦することとなった。003は進歩を遂げたロータス・72に互することができず、ロータスが完走できなかったレースでしか優勝できなかった。フィッティパルディは大差を付けてタイトルを獲得した。003は1972年、4度の勝利を得たものの、その生涯を終えることとなった。ティレル・003はティレル・チームで最も成功したシャシーであった。また、F1史上最も多くの勝利を獲得した個別のシャシーでもある。 003は現在、スコットランド、エディンバラの国立博物館に展示されている。 チームは1973年、003に変えてティレル・005を投入した。 年チームエンジンタイヤドライバー123456789101112ポイント順位
戦歴
F1における全成績
1971年ティレルフォード V8GRSA
ESP
MON
NED
FRA
GBR
GER
AUT
ITA
CAN
USA
731.
ジャッキー・スチュワート21111111RetRet15
フランソワ・セベールRet7RetRet2102Ret361
ピーター・レヴソンRet
1972年ティレルフォード V8GARG
RSA
ESP
MON
BEL
FRA
GBR
GER
AUT