ティモシー・ダルトン
Timothy Dalton
1987年7月
本名Timothy Peter Dalton
生年月日 (1946-03-21) 1946年3月21日(78歳)
出生地 ウェールズ、コルウィン・ベイ
国籍 イギリス
身長188cm
ジャンル俳優
活動期間1964年 -
活動内容1968年:映画デビュー
主な作品
映画
『冬のライオン』
『クロムウェル』
『クイン・メリー/愛と悲しみの生涯』
『フラッシュ・ゴードン』
『007』シリーズ
『ロケッティア』
『ルーニー・テューンズ:バック・イン・アクション』
『ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!-』
『トイ・ストーリー』シリーズ
『ツーリスト』テレビドラマ
『ナイトメア?血塗られた秘密?』
『ドゥーム・パトロール』
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ティモシー・ピーター・ダルトン(Timothy Peter Dalton, 1946年3月21日 - )は、イギリスの俳優。 マンチェスターで広告業に就いていた、イギリス人の父親[1]と、アイルランド・イタリア・イギリスの血を引くアメリカ人の母親の元に5人兄弟の長男としてウェールズのコルウィン・ベイで生まれ、ダービーシャーのミルフォードで育つ 子供の頃から演じることに興味があったが、16歳の時『マクベス』の舞台を観て本格的に俳優を志す。高校卒業後は王立演劇学校に入学し、そこで2年学んだ後、バーミンガムの劇団に入団するため学校を去る。それから間もなくテレビ出演を重ねるようになり、1968年『冬のライオン』で銀幕デビューを飾った。 1987年、イギリスの大人気シリーズ映画『007』シリーズの4代目ジェームズ・ボンド役として、シリーズ第15作『007 リビング・デイライツ』と 第16作『007 消されたライセンス』に出演した[2]。ダイアナ妃はワシントンD.C.の英国大使館で『007 リビング・デイライツ』を見た際に、”最もリアルでシリアスなジェームズ・ボンド”と評した。 ロジャー・ムーア(3代目)とは対照的に主な変更点は笑いやセックスは一切無く、友情想いで任務を放棄してまで大事な友人の敵討ちを行い、喫煙者(ヘビースモーカー)となっている。 『007 リビング・デイライツ』の際、プロモートで来日した。『消されたライセンス』でのダルトンのボンドはイアン・フレミングの原作に最も近いとも言われる[1]。その後はテレビ映画への出演が多い。 1997年、ロシア人(ウクライナ出身)モデルで歌手のオクサナ・グリゴリエヴァとの間に息子アレクサンダーをもうけたが[3][4]、後に離別[5]。オクサナは2009年、28年間連れ添ったロビン元夫人と離婚したばかりだったメル・ギブソンの恋人となり[5][6]、ギブソンの娘を出産した[7][8][9]。 過去には、ブルック・シールズ[3]、エリザベス・テイラー[3]、ヴァネッサ・レッドグレイヴ[3] 、ウーピー・ゴールドバーグ[3]らと浮名を流している。 趣味は釣り、読書、ジャズ、オペラ、骨董市、オークション、映画鑑賞であり、特に釣りに関しては太平洋周辺での釣りを好んでいる。 マンチェスター・シティFCのサポーターであり、マンチェスター・シティ・スタジアムでチームの観戦をすることがよくある 2代目ジェームズ・ボンドのオファーは『女王陛下の007』の時にも受けているが、この時ダルトンは「自分は若すぎる」と言って断っている[1]。また、『007 ムーンレイカー』の後、ロジャー・ムーア(3代目)が引退の意思を示した際、次回作『007 ユア・アイズ・オンリー』のボンド役として、再び彼にオファーが来たが『ココ・シャネル』への出演が決まっており断念した。『007 美しき獲物たち』を最後にムーアは引退したが、ダルトンは舞台で多忙のためピアース・ブロスナン(5代目)にオファーが行くも、ブロスナンは『探偵レミントン・スティール』の契約があり受けられなかった。そこで、ダルトンに3度目のオファーがあり、『リビング・デイライツ』でついに4代目ジェームズ・ボンドを演じることとなった[1]。『消されたライセンス』の次作はイオンプロとMGMの法廷闘争で5年の空白期間が空いた。製作再開時にダルトンはあと1本だけボンド役を望んだ。しかし、プロデューサーアルバート・R・ブロッコリに「あと4,5本は演じて欲しい」と要請されたため「一生がそれだけで終わってしまう」と、丁重に断ったのだという[10][11]。 ダルトンはボンドを演じる際、最も原作に近いキャラクターを研究し、撮影現場ではイアン・フレミング作の『007』を読んでいる姿が見られたという。
来歴
キャリア
4代目ジェームズ・ボンド
私生活
エピソード
主な出演作品
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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