ティム・ホジキンソン
[Wikipedia|▼Menu]

ティム・ホジキンソン
Tim Hodgkinson
ティム・ホジキンソン(2009年)
基本情報
出生名Timothy George Hodgkinson
生誕 (1949-05-01) 1949年5月1日(75歳)
出身地 イングランド ウィルトシャー州ソールズベリー[1]
ジャンルアヴァン・ロックポストパンク実験音楽フリー・インプロヴィゼーション電子音楽インダストリアル現代音楽
職業ミュージシャン、作曲家
担当楽器サクソフォーン、クラリネット、キーボード、ラップ・スティール・ギター、MIDI
活動期間1968年 -
レーベルレコメンデッドウーフ、Mode
共同作業者ゴッドヘンリー・カウザ・ワーク、K-Space、Konk Pack、フレッド・フリス、クリス・カトラー
公式サイト ⇒www.timhodgkinson.co.uk

ティム・ホジキンソン[2](Tim Hodgkinson、1949年5月1日 - 、イングランドウィルトシャー州ソールズベリー生まれ)[1][3]は、主にリード楽器、ラップ・スティール・ギター、キーボードを使用するイングランドの実験音楽の作曲家にして演奏家である。1968年にフレッド・フリスと結成したイギリスのアヴァンギャルド・グループのヘンリー・カウのコア・メンバーの一人として最初に知られるようになった。ヘンリー・カウの解体後は、数多くのバンドやプロジェクトに参加し、最終的には現代音楽の作曲に専念し、即興演奏者として演奏している。
略歴

ティム・ホジキンソンは、1949年5月1日にイングランドウィルトシャー州ソールズベリーで生まれ[1]ケンブリッジウィンチェスター・カレッジトリニティ・カレッジで教育を受けた。1971年にケンブリッジを社会人類学で卒業したが、代わりに音楽のキャリアを追求することを選択した。しかし、彼の人類学への関心は残り、後のシベリアにおける一連の研究旅行の間にそこへと近づいた。
ヘンリー・カウ詳細は「ヘンリー・カウ」を参照

大学在学中、ホジキンソンと学生仲間のフレッド・フリスは1968年に独創的なアヴァンギャルド・グループのヘンリー・カウを結成した。1978年のバンド消滅まで、ホジキンソンはバンドのコア・メンバーの1人としてヘンリー・カウに在籍し続け、多くの楽曲を作曲した。特筆すべき曲は、「Living in the Heart of the Beast」(1975年のアルバム『傾向賛美』に収録)、「Erk Gah」(正式には録音されていないが、ライブ・バージョンは40周年記念ヘンリー・カウ・ボックスセットに登場)である。ヘンリー・カウはホジキンソンの音楽教育の基礎となり、彼が他の楽器奏者と密接に協力し合い、新しい音楽の風景をつくり出す機会となった。ヘンリー・カウ分裂後、ホジキンソンとバンド仲間であるクリス・カトラーは、1981年に出版されたバンドに関する文書と情報のコレクションである『The Henry Cow Book』を編集した。

1973年11月、ホジキンソン(およびヘンリー・カウの他のメンバー)は、BBCのために行われたマイク・オールドフィールドによる「チューブラー・ベルズ」のスタジオ・ライブ・パフォーマンスに参加した[4]。この演奏風景はオールドフィールドのDVD『エレメンツ?ザ・ベスト・オブ・マイク・オールドフィールド』で入手できる。
その他のプロジェクト

1980年、ホジキンソンは、ギタリストで作曲家のビル・ジローニス、ベーシストのミック・ホッブス、ドラマーのリック・ウィルソンとのポストパンク・バンド、ザ・ワークを結成。同時に、ホジキンソンとジローニスは独立したレコード・レーベル、ウーフ・レコードを設立した。それから数年間、ザ・ワークはヨーロッパをツアーした。1982年にボンでのロック・イン・オポジション・フェスティバルでボーカリストのカトリーヌ・ジョニオーと共演した後、バンドとジョニオーはウーフ・レーベルのためにアルバム『スロウ・クライムズ』(1982年)をレコーディングした。その年の後半、ラインナップを少し変えてホジキンソン、ジローニス、エイモス、クリス・カトラーというメンバーで、彼らは日本公演を行った。1982年6月の大阪でのコンサートは、ホールの途中でカセットレコーダーによって録音された後、クリーンアップされ、アルバム『ライヴ・イン・ジャパン』(1982年)としてリリースされた。日本ツアーの後にザ・ワークは解散したが、1989年にオリジナル・ラインナップで再び再編され、2枚のインダストリアル/ノイズ・アルバム『ラバー・ケイジ』(1989年)と『SEE』(1992年)をレコーディングした。1987年2月、ホジキンソンは南アフリカのバンド、カラハリ・サーファーズ (Kalahari Surfers)とツアーを行い、「Rote Lieder DDR」フェスティバル・オブ・ポリティカル・ソングスで演奏した。

1990年、ホジキンソンと、1978年から一緒に(かつてはShamsと呼ばれた)演奏していたスコットランドのパーカッショニストで即興演奏家であるケン・ハイダーは、シベリアソビエト極東、ソ連の中心部(モスクワレニングラード)を「Friendly British Invasion?: In Search for the Soviet Sham(an)s」と銘打ったデュオとしてツアーした。おそらく、これがソビエトの主要なコンサート関係者から独立して(ソビエト・ジャズ連盟の極東メンバーによって、そしてその後の支援によって)組まれた当時としては最長のツアーである。

その後、彼らはロシアに赴いてさらに多くのツアーを行い、特に地元のミュージシャンや儀式の専門家と連絡を取るためにシベリアへ勉強の旅に出た。彼らがトゥヴァ共和国出身のシャーマニズム・ミュージシャンであるGendos Chamzyrynと出会い、トリオとして1998年夏にアルタイの村をツアーしたのはこの時期であった。Chamzyrynはさまざまな伝統的なトゥバの楽器を演奏し、深みのあるカルギラー・スタイルの倍音を歌った。

この「シャーマン」プロジェクトの成功により、ホジキンソン、ハイダー、Chamzyrynからなるバンド、K-Spaceが結成された。K-Spaceの名前は、ロシアの天体物理学者ニコライ・コズイレフにちなんで「コズイレフ・ミラー」と呼ばれるデバイスを使用して名付けられた時空ワープである「コズイレフ・スペース (Kozyrev-Space)」に由来する[5]。彼らの音楽は、シャーマニズム文化とジャズの要素を取り入れた「シャム・ビート」であった。1999年からアジアやヨーロッパでのツアーをスタートし、2002年から4枚のCDをリリースしている。

ホジキンソンが深く関わっているフリー・インプロヴィゼーション・バンドがKonk Packである。1997年にブダペストで開催されたSzuenetjelフェスティバルにおいて、シンセサイザーでケルン出身のトーマス・レーン、パーカッションでロンドン出身のロジャー・ターナー、リード楽器とプリペアド・ギターのホジキンソンによって結成されたこのトリオは、サイケデリアフリー・ジャズライヴエレクトロニクスの即興演奏をブレンドしている。1999年、彼らはライブ・レコーディングによるCD『The Big Deep』をリリースし、2001年、2005年、2010年、2013年にさらにCDを作成した。2005年にKonk Packはトーマス・レーンの代わりにロル・コックスヒルと共にイギリスでツアーを行った。2007年に彼らはオリジナル・ラインナップでオランダ、ベルギー、ドイツをツアーした。

即興演奏家として、ティム・ホジキンソンは、ロル・コックスヒル、フレッド・フリス、クリス・カトラー、トム・コラ、リンジー・クーパー、ジョン・ゾーンエヴァン・パーカーカトリーヌ・ジョニオーチャールズ・ヘイワードなど、多くのミュージシャンと長年にわたって共演してきた。2006年12月、カトラー、フリス、ホジキンソンは、ニューヨークにあるザ・ストーンにて一緒に演奏した。これは、1978年のヘンリー・カウ解体以来初めて一緒に行ったコンサート・パフォーマンスである[6][7]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:37 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef