ティム・バーナーズ=リー
Tim Berners-Lee
ティム・バーナーズ=リー(2014年)
生誕 (1955-06-08) 1955年6月8日(68歳)[1]
イングランド・ロンドン[1]
国籍 イギリス
教育オックスフォード大学ザ・クイーンズ・カレッジ
ティモシー・"ティム"・ジョン・バーナーズ=リー(英語: Timothy "Tim" John Berners-Lee、1955年6月8日 - )は、イギリスの計算機科学者。ロバート・カイリューとともにWorld Wide Web(WWW)を考案し、ハイパーテキストシステムを実装・開発した人物である。またURL、HTTP、HTML の最初の設計は彼によるものである[2]。
メリット勲章(OM)[2]、大英帝国勲章(KBE)[3]、FRS(王立協会フェロー)[2]、FREng(王立工学アカデミー(英語版)フェロー)[2]、FRSA(王立技芸協会フェロー)を保持する。 出生地はロンドン。黎明期の電子計算機の一つであるManchester Mark Iの開発チームに参加していた数学者夫妻コンウェイ・バーナーズ=リーとメアリー・リー・ウッズのもとに生まれる。 1973年にロンドンのエマニュエル校を卒業後、オックスフォード大学ザ・クイーンズ・カレッジ
経歴
その後、会社を辞めて個人でコンサルタントを営み、1980年6月にスイス・ジュネーヴの欧州原子核研究機構(CERN)にソフトウェア技術のコンサルタントとして6ヶ月間在籍した。バーナーズ=リーは数千人に上る研究者や参加者に効率よく情報を行き渡らせるためのシステム開発を命じられるが、折しもバーナーズ=リーは個人的開発作業の一環として、ランダムに他の文書と連結できる仕組みを持ったENQUIREを開発していた。公表こそされなかったものの、WWWの概念の基礎となるものであった。
1981年からの4年間は英 イメージ・コンピュータ・システムズ社の技術デザインの責任者を務めた後、1984年にCERNへ復帰すると科学データ閲覧のための分散リアルタイムシステムに関する業績でフェローシップを贈呈される。1989年3月、後にWWWへ発展することになる、CERN内の情報にアクセスするためのグローバルハイパーテキストプロジェクトの提案を公式に行う[6]。上司マイク・センドールや同僚ロバート・カイリューの支援も受け、1990年11月にはより具体化した提案書 WorldWideWeb: Proposal for a HyperText Project を提出[7]。同年12月にNEXTSTEP上で世界初のWebサーバであるhttpdと世界初のウェブブラウザ・HTMLエディタであるWorldWideWebを構築する[8]。そして1990年12月20日、世界最初のウェブサイト ⇒http://info.cern.ch/ を公開する[9]。
1991年8月6日には「World Wide Webプロジェクトに関する簡単な要約」をalt.hypertextニュースグループに投稿[10]。CERNは1993年4月30日、WWWを誰に対しても無償で開放することを発表した[11]。
1994年、マサチューセッツ工科大学に着任した直後 World Wide Web Consortium(W3C)を設立。WWWの仕様や指針、標準技術を策定・開発することで、WWWの可能性を最大限に導くことを目的としている。1999年、MITコンピュータ科学研究所内の 3Com 創業者会会長に就任。2004年12月にはサウサンプトン大学電子コンピュータ科学部の学部長兼教授に就任し、次世代のWeb技術として、Semantic Web技術の標準化を進めている。
2009年、World Wide Web Foundation(英語版)を設立した[12]。
栄誉・受賞ティム・バーナーズ=リー(2005年11月18日)詳細は「w:Awards and honours presented to Tim Berners-Lee」を参照
1995年 - アルス・エレクトロニカ賞を受賞。
1996年 - サウサンプトン大学から名誉博士号を授与される。
1996年10月30日 - C&C賞を受賞[13]。
1998年 - USENIX貢献賞を受賞。
1998年6月2日 - マッカーサー・フェローを受賞[14]。
1998年 - エドゥアルト・ライン財団技術賞受賞。