ティファニー
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この項目では、宝飾品ブランドについて説明しています。その他の用法については「ティファニー (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ティファニー&カンパニー
Tiffany & Co.
ニューヨーク・5番街にある本店
本社所在地 アメリカ合衆国
ニューヨーク 5番街
設立1837年9月18日
業種小売
事業内容宝飾品製品
代表者アンソニー・レドル(CEO)
従業員数14,200人(2019年)
主要株主LVMH
関係する人物チャールズ・ルイス・ティファニー
ジョン・B・ヤング
外部リンクwww.tiffany.com
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香港にある店舗創業当時、文房具や装飾品屋だった頃のティファニー(1887年)

ティファニー(英称:Tiffany & Co.)は、アメリカ合衆国宝飾品および製品のブランドである。

1837年9月18日チャールズ・ルイス・ティファニーとジョン・B・ヤングによってアメリカで創業され、今日では、ロンドン・ローマ・シドニー・東京など世界20カ国にブランドショップを持っている。現在はフランスの企業グループであるLVMHに属する。
取扱商品
ジュエリー

カルティエブルガリヴァンクリーフ&アーペルハリー・ウィンストンと並び、世界五大ジュエラーに数えられる。ティファニーはこの中では最も歴史が古い[1]。特色としては、他の高級ブランドと比較して幅広い品質と価格帯の商品を取り扱っていることが挙げられる[1]。ただし低価格帯の商品が多いことに関しては賛否があり、店舗での従業員による売り方に対しても、高級宝飾店としてのブランドを損ねていると批判する声がある[2]

ジュエリーの種類としては、ダイヤモンドを中心にした高級ジュエリー、ブライダル関連、シルバー・ゴールド製品、デザイナー名を冠したジュエリーの4つがある[3]。ダイヤモンドに関しては、原産地を明記し、紛争地や人権問題が懸念される国からは調達していない[4]。カットと研磨は、ベルギーボツワナモーリシャスタイベトナムカンボジアにある自社工場で実施している[5]。セッティングについては、エンゲージリングにおいて、ラウンドブリリアントカットのダイヤモンドを6本の細い爪で支える立て爪のセッティングを初めて取り入れたことで有名であり、この方法はティファニーセッティングと呼ばれている[6]

日本では、特にバブル期において、クリスマスなどの贈り物としてオープンハートのペンダントが人気であった[7]
食器

銀食器は1851年から製造しており、ティファニーを世界的に有名にした最初の商品であった[8]。アメリカ企業としては初めてスターリングシルバー基準を適用した[9]。この基準はその後アメリカ政府の公式基準として採用された[10]
時計

時計分野は1847年からかかわっており、1874年には自社製作をはじめている[11]。本店に飾られたアトラースの時計をモチーフにした「ティファニー アトラス ウォッチ」[12]、アメリカのクラフトマンシップの伝統が現れている「ティファニー 1837 メイカーズ ウォッチ」[13]などのコレクションを販売している。
アクセサリー

バッグ、財布などの革製品[14]や、サングラスを展開している。サングラスの発売元はレイバンプラダなどと同じルックスオティカジャパンである[15]
香水

1987年、初めての香水「ティファニー」を発表した。1989年にはティファニーメンズ、1995年にはトゥエステを販売した[16][17]。その後、販売をしていなかった時期もあったが、2017年にコティとライセンス契約し、15年ぶりの新作を販売した[18]。2020年には、初のペアフレグランス「ティファニー & ラブ」を発売した[19]

3代目社長であるウォルター・ホーヴィング(英語版)によって書かれたマナー本『ティファニーのテーブルマナー』を1961年に刊行している。もともと顧客への記念として送っていた。テーブルウェアも手掛けるティファニーだから、テーブルマナーの大切さを伝えたいという思いがこめられている[20]
歴史
19世紀

1837年9月18日チャールズ・ルイス・ティファニーとジョン・B・ヤングの二人は、ティファニーの前身であるティファニー・アンド・ヤングという会社を設立した[21]

一番初めの店はニューヨークブロードウェイ259番地におかれた[22]。この店は当時一般的な時価でなく、「各商品に値札をつけ値引き交渉に応じない」という当時としては革命的なポリシーを貫いており[23][24]文房具や装飾品などを扱っていた[25]。開店当初は売上が伸び悩んでいたが、東洋からの船により運ばれてきた日本の工芸品が高値で売れたことをきっかけに、東洋とりわけ日本の工芸品を扱うようになった[26][27]

1841年、新たにJ.L.エリスが出資者として加わり、社名を「ティファニー・ヤング・アンド・エリス(Tiffany, Young and Ellis)」に変えた[28]。また、店を隣の260番地まで拡張した[28]。さらに同年、エリスから得た資金をもとにヤングがパリに出向いた。ヤングはそこで珍しい商品を買い付けるようになったため、店の知名度は高まっていった[27]。また、ヤングは人造宝石の独占販売権を獲得し、これにより宝石の販売を始めた[29]

1845年、アメリカで初となるダイレクトメールカタログを発行した。これは現在ではブルー・ブック・コレクションとして知られている[9]1847年にはブロードウェイのチェンバーズ通りに店を出した[30]

1848年フランスでの二月革命発生に伴い、貴族から重要な宝石を買い入れ、宝石事業に本格的に進出した。さらにこのとき、マリー・アントワネットの所蔵品とされる秘宝も入手した[31]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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