ティアーズ・フォー・フィアーズ
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出典検索?: "ティアーズ・フォー・フィアーズ" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2015年10月)

ティアーズ・フォー・フィアーズ
Tears for Fears
左/カート・スミス、右/ローランド・オーザバル(2017年)
基本情報
別名TFF
出身地 イングランド バース
ジャンルニュー・ウェイヴ
シンセポップ
エレポップ
サイケデリック・ロック
活動期間1981年 -
レーベルニュー・ドア、ガット、シ・ビス、
エピック、フォノグラム、
マーキュリーフォンタナ
ユニヴァーサル
共同作業者グラデュエイトオリータ・アダムス
公式サイト ⇒tearsforfears.com

メンバーローランド・オーザバルボーカルギター
カート・スミス(ボーカル、ベース

旧メンバーイアン・スタンリー
マニー・エリアス

ティアーズ・フォー・フィアーズ (Tears for Fears)は、イギリスの2人組バンド1980年代に数々のヒット曲を放った。

初期はシンセサイザーを多用しながらアコースティックな印象すら与える、たおやかな音使いをしており、当時流行したエレポップと呼ばれる音楽性の範疇にありながら、歌詞の繊細さとよくマッチしたサウンド・メイクが特徴となっている。やがてローランド・オーザバルのギターサウンドを核に、王道とも呼べる良質なブリティッシュ・ロックを聞かせるバンド・サウンドへと変化していく。目次

1 バンド名の由来

2 来歴

2.1 デビュー以前

2.2 アルバム『ザ・ハーティング』

2.3 アルバム『シャウト』

2.4 アルバム『シーズ・オブ・ラヴ』

2.5 カート・スミス脱退

2.6 アルバム『ブレイク・イット・ダウン・アゲイン』

2.7 アルバム『キングス・オブ・スペイン』

2.8 再結成 - アルバム『Everybody Loves A Happy Ending』とその後


3 エピソード

4 来日公演

5 日本での主なテレビ出演

6 ディスコグラフィ

6.1 スタジオ・アルバム

6.2 ライブ・アルバム

6.3 コンピレーション・アルバム

6.4 参加コンピレーション・アルバム

6.5 シングル


7 脚注

8 関連項目

9 外部リンク

バンド名の由来[ソースを編集]

心理学者アーサー・ヤノフの著書『Prisoners of Pain』に登場する章題からそのまま取られている。直訳すれば「恐れのための涙」。ヤノフの提唱した心理療法である原初療法(ジョン・レノンらも受けたと伝えられる)は「恐怖や心の痛み (Pain)を心にしまわないで、子供のように声に出して叫べ (Shout)、泣け」というもの。ティアーズ・フォー・フィアーズの初期の歌詞に「Pain」「Shout」という言葉が頻出するのはそこから来ている。
来歴[ソースを編集]
デビュー以前[ソースを編集]

両親の離婚に伴いポーツマスからバースへ移り住んだローランド・オーザバルは、同じく離婚家庭に育ったカート・スミスと13歳のときに出会い、一緒に音楽活動をするようになる。この両親の離婚、残された子供たちの心の痛みと悲嘆というテーマは、ティアーズ・フォー・フィアーズ初期の活動に重要な影響を及ぼしていく。

ティアーズ・フォー・フィアーズ始動以前に彼らが活動していたバンドにはグラデュエイト、ネオン (Neon)等がある。グラデュエイトは1979年に結成されたモッズ・スタイルのスカ・バンドであり、翌年にアルバム『Acting My Age』及びシングル「Elvis Should Play Ska」を発表。シングルは英国よりスペインなどヨーロッパ諸国で好評を博した。ネオンは後にネイキッド・アイズを結成しヒットを飛ばすピート・バーンとロブ・フィッシャーが主導するバンドで、2曲のみ録音を残している。各バンドで、ローランドはギターとボーカル、カートはベースとボーカルを担当した。
アルバム『ザ・ハーティング』[ソースを編集]

ローランドとカートは2人が核となる音楽を求めて、ティアーズ・フォー・フィアーズ(以下、TFF)の名称で活動を始めた。間もなくしてフォノグラムと契約し、1981年10月、デビュー・シングル「悩める子供達」をリリース。ヒットこそしなかったものの良好なオンエアー率を記録した。やがてローランドとカートは音楽上のパートナーを探していたキーボード奏者のイアン・スタンリーと出会う。イアンの所有するスタジオを有効活用してつくられた3枚目のシングル「狂気の世界」が大ヒット。快進撃は「チェンジ」、「ペイル・シェルター」と続き、これらの楽曲を収録したファースト・アルバム『ザ・ハーティング(LP発売時の邦題は「チェンジ」)』を1983年3月に発表。全英アルバムチャートで1位を記録する。勢いに乗るTFFはイアン・スタンリー、ネオン時代の盟友であるマニー・エリアス(ドラム)を正式メンバーとし、アンディ・デイヴィス(同郷のバンド・スタックリッジのメンバーとして知られる)をサポート・キーボード奏者として迎えたバンドで、イギリス国内のツアーを行った。

しかし次のシングル「ザ・ウェイ・ユー・アー」がヒットせず、息切れを見せた彼らは休養し、新たなアイデア作りの時間をとるため、音楽シーンから一旦姿を消す。
アルバム『シャウト』[ソースを編集]

約1年近いブランクの間、彼らは新しいTFFサウンドを練り直すことに専念していた。


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